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「マッチング理論」で考える、望ましいワクチン配布


野田俊也(のだ・しゅんや)
ブリティッシュコロンビア大学経済学部助教授

(付記2021/05/20)本稿を執筆された野田俊也先生含む経済学者6名による、ワクチン予約の仕組みに関する緊急提言「ワクチン予約システムに関する改善提案」が、以下の東洋経済オンライン様に掲載されています。ぜひ本稿とあわせてごらんください!

1 新型コロナウイルスの世界的流行を巡る状況

2019年末に流行が始まり、2021年の春となった今もなお終息の兆しが見えない新型コロナウイルスの世界的流行は、言うまでもなく世界で最も重大な社会問題の1つだ。問題の深刻さゆえに、ワクチンの開発は従来の常識を覆す急ピッチで進められ、2021年4月1日の時点ですでに12種類のワクチンが少なくとも1カ国以上で承認され、世界中で少なくとも6億回以上のワクチン接種が実施されている。

ワクチンの性能に関する評価は、現在も新しい情報をもとに更新が続けられているものの、接種が進んでいる国の状況に鑑みると、(少なくともいくつかの)ワクチンは流行の終息に対して効果的と言ってよさそうだ。例えばイスラエルでは、3月末の時点ですでに人口の半分に対する接種が完了しているが、死者・重症者・感染者のすべての指標が接種開始以前と比較して大幅に改善されており、すでに行動制限が段階的に緩和されている。また、イスラエルのデータを使った実証分析では、ワクチンが発症・重症化を防ぐのみならず、無症状の感染も予防する効果があることも示唆されている。

ワクチンの生産も前例のないスピードで進められているものの、現状ではまだまだ莫大な需要に追いつくだけの供給はなされておらず、ワクチンは世界的に不足している。これほど多くの人間に対し、短期間でワクチンを接種することも人類史上例がなく、配布のためのロジスティクスの策定も一筋縄ではいかない。

残念ながら、日本はワクチンの配布に関して出遅れている。前述のように、イスラエルでは3月のうちに人口の半分が接種を完了し、アメリカの多くの地域でも4月のうちに健康な成人なども対象とした一般向けのワクチン接種が開始されている。他方で、日本では3月中に医療従事者向けの接種を終えることはできず、高齢者向けの接種にも6月いっぱいを費やす見通しである。アメリカのようなワクチン開発国以外でも3月中に医療従事者向けの接種をほぼ完了している国は多いことを踏まえると、日本の出だしは順調とは言えない。

もっとも、この状況を日本政府の失敗だと断じるべきではない。日本はワクチン接種が進んでいる国々と比べると、もともと感染者数も重症者数も少ない。製薬会社は、被害がより深刻な国を優先してワクチンを供給したいだろうし、そうすることは世界全体の利益にもかなっている。日本には状況に余裕がある分、自国で独自に追試を行ったり、時間をかけて接種への体制づくりを整えたりしたいという動機も働くだろう。実際、感染の被害が浅いオーストラリアやニュージーランドでも、同様にワクチン接種の動きは遅い。

しかし、限られた供給を国家間で奪い合うという構図は、ワクチン配布問題の一側面に過ぎない。手元にあるワクチンを効率よく、滞りなく国民に配ることができれば、誰も損させずに社会全体を幸福にすることができる。政府のワクチン政策の成否は、このフェーズでの成績によって評価されることとなるだろう。

2 接種予約のスケジューリング

マーケットデザインは、上手く制度を設計してインセンティブを調整し、希少な資源を効率的かつ公平に配分することを目指す学問である。数多くの研究者らがワクチン配布に関連する研究を行っており、例えば政府と製薬会社の間の適切な契約の結び方(Castillo et al. 2021)、年齢・人種・職業など、優先順位にかかわる要因が多次元である場合における公平性の保ち方(Pathak et al. 2020)、国家間のワクチン供給契約を交換するためのプラットフォームの設計(注1)などについての論考が発表されている。

(注1)3月25日に、Canice Prendergast氏が東京大学マーケットデザインセンター主催のワークショップで自身らの取り組みとして報告したが、論文等としては未発表。

筆者らが特に注目しているのは、ワクチン接種の予約管理だ。ワクチンの接種会場に混雑を作り出すのは、接種者の快適さという意味でも感染リスクの意味でも望ましくない。また、事前連絡なしに訪れた接種希望者が、本当に接種の対象となっているかどうかを接種会場で確認するのは非効率的だ。このため、多くの国・地域では、ワクチンの接種は予約制となっている。

この接種予約のスケジューリングも、マーケットデザイン、特にマッチング理論で分析可能な問題だ。1つの予約枠は、接種するワクチンの種類・予約の日時と場所などを指定する異質財で、接種希望者たちはこれらの予約枠に対して多様な選好を持っている。予約システムは、接種希望者たちにどのように選好を申告させ、どのように誰にどの予約枠を割り当てるのかを決めなければならない。

通常のマッチング問題と同様に、なるべく接種希望者たちの希望を叶えるパレート効率性は、接種に対する意欲を喚起する上で重要だ。さらに、ワクチンの接種には正の外部性があるため、接種希望者の選好を考慮するだけでは、社会的に最適な配分が達成できるとは限らないという点にも注意が必要だ。特に、医療機関のキャパシティを節約して医療崩壊を防いだり、感染予防の効果を活かして流行を抑えたりするためには、接種数を大きくすることが目標となる。これらの目標を達成するにあたり、マッチング理論の知見はいくつかの有益な政策提言をもたらす。

3 マッチング理論の知見と限界

まずはマッチング理論がもたらす基本的な洞察と限界を整理しよう。

第1に、「空いている予約枠から好きなものを選ぶ」という従来の予約管理システムを用いても、それなりに理想的な数に近い接種数を達成することは可能である。より具体的には、空いている予約枠が存在する限り、接種希望者がその枠を必ず発見し、予約を取り付けることができるなら、均衡として生成されるマッチングは必ず局所最大となる(図1)。あるマッチングが局所最大であるなら、その接種数は、理想的な接種数の半分よりも大きいことが数学的に証明できる。


図1 接種予約におけるマッチングの例

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〈中央〉接種希望者の選好が点線で表されている。希望者Aは予約枠1・2ともに都合がつき、希望者Bは予約枠2にしか都合がつかない。
〈左〉局所最大なマッチングの1つ。希望者Bは予約枠2にしか都合がつかないため、予約枠1が空いていることを知っていても応募しない。このマッチングは理想的な接種数(2)の半分の接種数(1)を達成している。
〈右〉理想的な接種数を達成するマッチング。すべての希望者が接種を受けられる。


第2に、予約管理に複雑なマッチング・メカニズムを導入しても、政府が接種希望者たちの選好を知らなければ、理想的な接種数を達成することはできない。より正確に言えば、接種希望者が正しく自分の選好を申告するという耐戦略性という性質を要求する限り、達成可能な接種数は、理想的な接種数の63.2%より大きくすることができない場合があることが、筆者の研究によって証明されている(Noda 2020)。従来の予約管理システムでも50%は保証されることを踏まえると、改善の幅は大きくはない。

第3に、情報格差(デジタル・ディバイド)の問題が存在するために、複雑なマッチング・メカニズムが利用できるとは限らない。複雑なメカニズムを用いて予約管理を行うためには、接種希望者の選好をリストとして入力させ、希望者たちの選好リストが出そろった後に、希望者が最終的にどの予約枠を取ることができたのかを通知する必要がある。WebサイトとEメールなどを通じて選好リストの入力と予約結果の通知を行えばこれらは何も難しくないが、すべての接種希望者がこれらの使い方に習熟しているとは限らない。例えば電話予約しか行えない接種希望者がたくさんいるのであれば、コミュニケーションでやりとりされる情報量が少なく、しかも予約結果がその場で伝えられるような予約方法を選択肢として残す必要がある。

マッチング理論の知見が活かせる局面はいろいろあるものの、実務的な理由から、使えるメカニズムには制限がかかるし、自由に使えたとしても理論的な限界があり、見込める改善幅が小さい目標も存在する。この点には注意が必要である。

4 政策提言

前節で説明したように、空いている予約枠が速やかに埋まるのであれば、従来の予約管理でも大きな接種数が達成されることが期待できる。逆に言えば、空いている予約枠の発見が難しいなら、接種政策の効率は悪くなりうるということだ。

空き枠の発見が容易かどうかは、予約管理の方式による。例えば、東京都練馬区や三重県桑名市などでは、ワクチンを医療機関に配布した後は、医療機関に接種の段取りを任せる個別接種を実施する方針を発表している。通常、個別接種では個々の医療機関が独立して予約管理を行うが、これでは医療機関Aに電話をかけても医療機関Aの空きが確認できるだけで、医療機関Bに空きがあるかどうかはわからない。この状況を放置すれば、空いている予約枠が上手く発見されずに接種数が減少してしまうリスクがあるのみならず、接種希望者から見れば空き枠を探すサーチ・コストが上昇するし、医療機関の側から見れば、確認のための電話連絡の件数が増えて、応対のための人的コストが上昇してしまう。

空き枠の一覧性向上を達成するもっとも望ましい方法は、予約管理を自治体等が一元的に行うことだ。予約を単一のシステムで管理すれば、どこに空き枠が存在するのかは一目瞭然となり、予約をかけるために何度も電話をかける必要はなくなる。現実には、医療機関は接種以外の業務も行っているため、個別接種のケースも包含した予約の一元管理は難しいかもしれない。その場合でも、空き枠の情報を整理して開示するWebサイトなどを立ち上げれば、一元管理に近い効果を得ることができる。アメリカでは、このような予約枠の空き情報を一覧にして提供するサービスがすでにいくつか運用されている。

もし予約管理をある程度一元的に管理できる状況であれば、その中で予約の割り振りにマッチング・メカニズムを導入するのもよいだろう。空いている予約枠が見つけられなかった接種希望者は、次に空き枠が追加されるタイミングを見つけるべく頻繁にWebサイトを確認することになる。これは従来の予約システムの「早い者勝ち」の性質が生み出す望ましくないインセンティブである。例えば、Webサイトが接種希望者の選好リストをあらかじめ集めておき、新しく空き予約枠が発生した段階でメカニズムを使って自動的に予約を割り振るようなシステムを作っておけば、一度選好リストを入力した希望者は、もうWebサイトを確認する必要はなくなる。

これらの工夫は、Web予約を自分で行えない情報弱者にとっても有用だ。Web予約の利便性を向上させ、コールセンターを利用するインセンティブを下げれば、コールセンターの混雑が緩和されて、電話での予約が取り付けやすくなるからだ。無理にWeb予約と電話予約を対等に扱おうとするのはやめ、Web予約を多少優遇してなるべく多くの接種希望者をWebに誘導したほうが、コールセンターの手が空き、電話予約しかできない者にとっても望ましい状況を作り出すことができる。

マーケットデザインの技術を駆使してなお、万能の解決策は存在しない。より的確な政策提言を行うためには、個々の自治体が直面している具体的な状況をヒアリングすることが必要不可欠だ。筆者も参加している東京大学マーケットデザインセンターならびに東京大学エコノミックコンサルティング株式会社では、経済学の知見を活かしたワクチン配布に関する政策検討に取り組んでいる。ワクチン配布に関し、制度設計の専門家の意見を聞きたい担当者の方がいれば、ぜひ相談してほしい。


参考文献

Castillo, J. C., Ahuja, A., Athey, S., Baker, A., Budish, E., Chipty, T., Glennerster, R. Kominers, S. D., Kremer, M., Larson, G., Lee, J., Prendergast, C., Snyder, C. M., Tabarrok, A., Tan, B. J. and Więcek, W.(2021)“Market Design to Accelerate COVID-19 Vaccine Supply,” Science, 371(6534): 1107-1109.

Noda, S.(2020)“Size versus Truncation Robustness in the Assignment Problem,” Journal of Mathematical Economics, 87: 1-5.

Pathak, P. A., Sönmez, T., Unver, M. U. and Yenmez, M. B.(2020)“Leaving No Ethical Value Behind: Triage Protocol Design for Pandemic Rationing,” NBER Working Paper, No.26951.

付記

本稿は『経済セミナー』2021年6・7月号に掲載予定記事の先行公開版(2021年4月5日版)です。トピックの緊急性と内容の公益性の高さなどを考慮し、著者の許可を得て特別に本バージョンを公開させていだきました。

本稿が掲載された『経済セミナー』2021年6・7月号の特集は、「社会の仕組みを経済学で創る」です。以下のようなラインナップでお届けしています。

【鼎談】「経済学を役立つ道具にするために
  ……小島武仁(東京大学)× 森脇大輔(サイバーエージェント)× 安井翔太(サイバーエージェント
より良い就活ルールをマッチング理論で創る」……栗野盛光(慶應義塾大学)
オークション理論と不動産オークション」……坂井豊貴(慶應義塾大学)
マッチング理論で考える望ましいワクチン配布」……野田俊也(ブリティッシュコロンビア大学)
経済学で人材活用――マーケットデザインで社員の配置を考える」……小田原悠朗(東京大学マーケットデザインセンター)

その他連載等も含む詳細情報は以下のサイトから! 今号は、社会と経済学を結び付け、問題解決につなげるための記事がもりだくさんですので、ぜひご覧ください!

本稿のより詳しい解説として、東京大学マーケットデザインセンターのウェブサイト内で公表されている、野田俊也「COVID-19ワクチンの配布計画とマッチング・マーケットデザイン」もございますので、ぜひご参照ください!

山口慎太郎先生(東京大学)より、『朝日新聞』2021年4月29日付掲載の「論壇委員が選ぶ今月の3点」にて、本稿をご紹介いただきました。


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