見出し画像

書評:宇南山卓/著『現代日本の消費分析――ライフサイクル理論の現在地』(堀雅博/評)

宇南山卓 [著]
現代日本の消費分析――ライフサイクル理論の現在地
慶應義塾大学出版会、2023年、532ページ、7480円(税込)

https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766428957/

評者:堀雅博(ほり・まさひろ)
一橋大学大学院経済学研究科教授

わが国世帯の消費はどう決まっているのか

消費は、経済活動の目的であり、経済的な豊かさに直結している。国内総生産の最大構成項目であり、マクロ経済動向を左右する最重要変数とも言える。本書は、現代日本におけるその「消費」の決定構造を明らかにし、消費決定と密接に関係するさまざまな経済現象――消費税や拡張的金融政策、給付金等の影響、高齢化による貯蓄率低下等々――を体系的に理解することを目的に著者が取り組んできた研究の総覧である。

経済学研究におけるテーマの重要性、また日本経済に対する含意の大きさにもかかわらず、日本の家計消費を中心テーマに据える研究者は多くない。その数少ない例外で気鋭の学者である著者が最も脂の乗ったこのタイミングで本書をまとめる労をとられたことについて、謝意を表したい。

副題が示す通り、本書の分析の基軸は、現代マクロ経済学における消費の標準理論と言えるライフサイクル仮説である。この仮説では、生涯所得に係る予算制約の下での効用最大化を図る個人が想定されており、その下で、消費はその時々の所得ではなく、将来所得まで見据えた生涯可処分リソースの大きさの期待値(恒常所得)で定まる。したがって、ライフサイクル理論に従う消費は、恒常所得を変化させる「新しい情報」に反応して変化する一方、「新しい情報」がない期間には平準化される。

ライフサイクル理論は、現実とのフィードバックを通じて進化し、有名なランダムウォーク仮説や過剰反応テスト、流動性制約の検証、退職消費パズルや裕福なその日暮らしの発見、等々で更新が重ねられてきた。これらの理論的発展は、ほぼすべて米国での研究からもたらされたものだが、著者はそれらを一つひとつフォローして、日本のミクロデータを使った分析を積み重ねている。

そうした作業を通じ、著者はライフサイクル理論の現在地から日本の消費を評価し、「日本ではベーシックなライフサイクル理論の当てはまりがよく、消費動向は比較的単純なモデルによって描写できる」(p.xi)と総括する。さらに、日本は「他の先進国より流動性制約がバインドする家計の割合が低い」(p.xii)等のため、限界消費性向(MPC)は小さく、消費刺激策を採っても大きな景気刺激効果は期待できないという。

先行する欧米に比べ日本の家計消費研究はいまだ層が薄いため、本書の主張を文字通り受け入れてよいかの判断にはもう少し時間が欲しいところだが、著者が重ねてきた実証分析の蓄積は、日本に足りない政策基礎研究の先駆けとして高く評価できる。望むらくは関連の後続研究が増えて再検証され、エビデンスとして確立されんことを。

ところで、日本での消費研究の遅れはデータの制約から来るところが無視できない。家計収支に係る統計調査やデータの癖を論じている第IV部および第13章は、著者も自認する通り、類書には見られない本書の特徴となっている。そこで記述されている内容は、それ単独で査読学術誌等に掲載されることは難しいかもしれないが、日本の家計消費の実証分析に取り組む際に知っておくべき白眉の論説である。

そうした点も含め、本書は、マクロ経済学の中核理論たるライフサイクル仮説の発展の歴史と現在地が鳥瞰でき、またその多くが英語で公刊されてきた著者の研究成果を日本語で一覧できる便利な一冊である。フロンティアを示す大著だが、難解ではなく読みやすい。幅広い経済学徒とEBPM志向の政策の実務家の座右に置いてほしい。


本稿は『経済セミナー』2023年12月・24年1月号掲載の書評記事の転載です。

以下では、宇南山先生ご自身による本書の解説動画がご覧いただけます(RIETI BBLウェビナー:【Part 1 講演】【Part 2 Q&A】)

なお、本書は下記を受賞しています。

受賞関連情報は以下よりご覧いただけます。

■ 主な目次

第Ⅰ部 消費の決定理論

第1章 消費のライフサイクル理論
消費の決定とは/所得と消費:ケインズ型消費関数/ライフサイクル理論の基本モデル/消費の平準化/ライフサイクル理論と恒常所得仮説/コラム1:相対所得仮説/コラム2:指数割引と時間的整合性

第2章 所得の不確実性と消費
所得の不確実性と確実性等価モデル/消費の決定要因としての「情報」/同時点の所得と消費:再考/政策のアナウンスと消費の変化―2014年の消費税率の引上げ―/所得リスクと予備的貯蓄/予備的貯蓄の含意/予備的貯蓄の重要性/コラム3:不確実性と「消費保険」

第3章 異時点間の消費の代替
消費の平準化と実質利子率/CES型の瞬時効用関数と異時点間の代替の弾力性/予期しない実質利子率の変動と消費の反応/実質利子率の影響の発生タイミング/異時点間の代替の弾力性の推計とその課題/補論:CES型の効用関数におけるオイラー方程式の導出

第4章 利子率と日本の消費
日本の異時点間の代替の弾力性(IES)の推計/「大胆な金融政策」と消費/ライフサイクル理論と日本の消費/補論:IESの推計式の導出

第Ⅱ部 ライフサイクル理論の検証と拡張

第5章 ライフサイクル理論の検証
ライフサイクル理論の「検証」/オイラー方程式と消費の変化―ランダムウォーク仮説―/予期された所得の変動と過剰反応テスト/過剰反応テストとデータ/ミクロデータを用いた過剰反応テスト/ミクロデータで観察された過剰反応/家計の非対称性と過剰反応テスト/コラム4:予期されない所得変動の分析

第6章 退職消費パズル
退職消費パズルとは/日本における退職前後の所得と消費/退職消費パズルの発生原因/日本の退職制度と老後の消費/生涯現役社会と老後の生活設計/補論:退職消費パズルとデータ

第7章 過剰反応と流動性制約
流動性制約とは/流動性制約のモデル化―借入制約―/過剰反応と限界消費性向/資産選択と流動性制約/ライフサイクル理論とケインズ型消費関数:再考/コラム5:その日暮らしと貧困

第8章 ライフサイクル理論のフロンティア
理想の過剰反応テスト/自然実験としての公的年金給付/年金給付に対する過剰反応/家計の「合理性」の再検討

第Ⅲ部 現金給付の経済学

第9章 消費刺激の経済学
消費刺激策とライフサイクル理論/消費刺激策のMPC/消費刺激策のターゲット/消費刺激策としての流動性の供給/現金給付と商品券/行動経済学と消費刺激策/コラム6:消費刺激策の有効性をめぐるフロンティア

第10章 児童手当の効果
経常的な所得移転と家計行動/児童手当とは/児童手当に対する過剰反応/児童手当の長期的影響/消費の内訳とラベリング効果/コラム7:リバタリアン・パターナリズム

第Ⅳ部 家計収支の把握

第11章 公的統計における家計収支
統計の体系と家計収支データ/日本の家計収支データ/消費データの乖離とその原因/消費家計収支調査とライフサイクル理論の分析/コラム8:全国家計構造調査と全国消費実態調査

第12章 新しい家計収支データ
家計収支統計の直面する課題/新しい消費統計/家計簿アプリデータとRICHプロジェクト

第Ⅴ部 貯蓄の決定要因

第13章 ミクロとマクロの貯蓄率
ライフサイクル理論と貯蓄の決定/ミクロとマクロの貯蓄率の乖離/家計調査の調査範囲と貯蓄率/貯蓄の概念/家計調査の非標本誤差/貯蓄率のミクロデータに基づく分析に向けて

第14章 人口動態と貯蓄
高齢化と貯蓄/全国消費実態調査によるミクロの貯蓄率データの構築/所得・消費・貯蓄の年齢プロファイル/高齢化の貯蓄率への影響/日本の貯蓄率とライフサイクル理論/コラム9:SNAと世帯調査の水準差:残された謎


この記事が参加している募集

推薦図書

サポートに限らず、どんなリアクションでも大変ありがたく思います。リクエスト等々もぜひお送りいただけたら幸いです。本誌とあわあせて、今後もコンテンツ充実に努めて参りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。