書評:藤田菜々子著『社会をつくった経済学者たち』(経セミ2023年4・5月号より)
評者:秋朝礼恵(あきとも・あやえ)
東海大学文化社会学部教授(※2023年4月より)
福祉国家スウェーデンの構築における経済学者の役割とは
著者は、経済学者らの理論や思想のみならず、膨大な資料を活用して人物像、人間関係、政治や社会との関係についても分析し、それらを丹念に鮮やかに描きだすことに成功している。本書は、世代の異なる経済学者たちの思想面での対立と政策面での知的遺産の継承を経糸に、同時代に生きた経済学者の交流を緯糸にして緻密に編まれた重厚な織物のようだ。
世代の異なる経済学者たちとは、ダヴィッドソン、ヴィクセル、カッセル、ヘクシャーらからなる「第1世代」、ストックホルム学派といわれ、本書の中心に置かれるリンダール、ミュルダール、オリーン、ハマーショルドらの「第2世代」、両者の「中間世代」に位置するバッジェやオカーマンらである。
第2世代のミュルダールらは第1世代とは思想面で対立したが、その知的遺産の上に新しい社会を構想し、公共論議に積極的に貢献した。彼らは、企業家や政治家と年数回集まって経済論議をし、新聞、ラジオ、市民学習活動の場等を通じてその内容を市民にも発信した。さらに、経済学者としてのキャリアの後は政治や行政の場に活動の舞台を移し、ウィグフォシュら他の政治家と連携して政策形成や制度改革にコミットする。本書の緯糸は、社会を構成する同時代を生きた人々の間で広く積み重ねられた対話でもある。
本書を読むと、思想や理論や政策はおよそ真空から生まれるものではないことを改めて確認する。他者との対話やときに激しい議論を経て形づくられるのだ。まさに、この手間暇かかるプロセスこそが、政治過程において合意や市民の支持を調達する仕掛けでもある。
社会政策の政治過程に関心をもつ評者には、科学的知見がどのように政策に反映されるのかも興味深い点である。スウェーデンで科学的知見と政治の関係を研究するルンド大学のÅsa Knaggårdは"Vetenskaplig kunskap i politiken: En breddad diskussion och användning är nödvändig"(Vetenskap och beprövad erfarenhet: politik, Lunds universitet,71-80, 2018 所収)で、政治の場における科学的知見の活用について、道具的使用(知見が直接、問題解決に係る意思決定の指針となる)、概念的使用(直接には意思決定の指針にならないが、のちに政策課題に対する認識や対応策に影響を与えうる)、象徴的使用(知見が、政治家や行政官が既に決定した事項の裏付けとして利用される)の3つを提示する。スウェーデンで、学者や専門家が政治過程に関与する機会の一つが政策課題の調査研究のために組織される調査委員会で、人口委員会(p.294他)や失業委員会(第9章)がこれに当たる。そして、これら委員会による調査報告書(SOU)は、のちの法案の基礎となる。第2世代の科学的知見は大いに道具的に活用され、スウェーデン社会の形成過程を導いたのである。
本書はスウェーデン経済学史を詳細に扱った日本で初めての本であるが、政治学的分析が主流の福祉国家研究においてもその意義は大きい。経済学からの通史的研究は、スウェーデン福祉国家やスウェーデン・モデル理解へのミッシング・リンクを埋めるものであり、地域研究にも多大な貢献である。「独自性あるスウェーデン社会の歴史的形成過程に関心をもってきた」(p.413)という著者の圧倒的な研究成果である。ぜひ、手に取っていただきたい。
■主な目次
*『経済セミナー』2023年4・5月号からの転載