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掌編小説 夢三編

 今はなき「書き出し.me」というサイトから頂いた書き出しを題材に、拙いながらも書いた過去の作品です。少し手直ししました。
 頂いた書き出しは「あのー、すいません……この右から二番目にある『夢』っていくらで買えますか?」です。


1.掘り出された夢(青春)


「あのー、すいません……この右から二番目にある『夢』っていくらで買えますか?」
 俺がなんの気なしに古本屋に立ち寄ったのは、ほんの気まぐれだった。
 古本屋に入ることなど初めてのことである。チェーン店などといった新古書店ではなく、本当にプレミアの付いた江戸時代や明治時代の本などを扱った、古本屋である。
 店内は蔵を改造した古い木造建築で、真昼間だというのに小さな窓からわずかな日の光が入ってくるばかりで、夜の喫茶店のようなシックな雰囲気に包まれている。小さな窓と窓の間の柱には琥珀色に光る電燈ランプが下がり、店内を淡く灯している。
 ふと本棚を眺めていたら、とある題名が目に飛び込んできて、手に取って立ち読みしていたら否応もなく本好きの好奇心を刺激されてしまったというわけだ。
 暇そうにコーヒーを嗜む店主に俺は冒頭のように問いかけたのだが、彼は丸眼鏡の奥から長く白いまつ毛に覆われた目をわずかに向けてきたかと思えば、ゆるく首を左右に振ってきただけだった。
「それは売り物じゃないよ。値段が書いてないだろう」
 しわがれた声でありながらはっきりと断言された。言われてみれば、ほかの本には裏表紙のあたりに値札シールが貼られていたのだが、俺が手に取ったこの『夢』という本だけには、なにも貼られていなかった。
 値段が決められていないというだけでもわずかな興味をそそるというのに、売り物ではないのに店内に並べられているということが、意味深く感じられ、なおさら俺はこの本が欲しくなってきて店主に食い下がった。
「でもこの本、いま少し読んだだけなんですけど、すごく面白そうなんです。果てしなく続く道について書かれているというか、自分の未来がすごく広がっていく気持ちがわいてくるというか、なんだか未知のことが書かれていそうで」
 自分でも何を言っているのかわからなかったが、正直な気持ちを言ったつもりだ。
 店主は俺の言葉に興味をひかれたのか、わずかに顔をあげてこちらを眺めてきた。そしてまた一口、コーヒーを飲んだところで立ち上がっている。そしてえっちらおっちらと、コーヒーカップを片手に持ったままカウンターをよけてこちらに歩み寄ってきた。
 俺は手にしっかりと握りしめていた古書の表紙を、彼に見せつけるように差し出した。加工した厚手の紺色の和紙が表紙だが、今や角や端がひび割れ、過ごしてきた年月を思わせる趣の本である。
 店主は掛けている丸眼鏡を指でつつきながら、納得したような唸り声とともにこう言ってきた。
「ああー……やっぱりな。これぁ、僕が書いた本だ。君ぐらいの年の時に」
 ちなみに俺はまだ二十歳の大学生である。俺は驚天動地で問い返した。
「ええっ。おじいさん、この年で作家だったんですか? すごい」
「すごいもんか。まったく売れなかったがね、名目は作家だった。本棚の飾りにしていただけだってのにな、よく見つけたもんだ」
 なんとなく値段をつけていなかった理由が推し量れてきたが、本を書いたという人を間近で見るのは大学の関係者以外では初めてのことだったので、もう俺はとにかく興奮しきって話し続けた。
「だったら言い値で買います。俺が出せる範囲内でですけど……あと、サインしてください!」
 背表紙をめくって俺がサインをねだると、最後の一口のコーヒーを飲みきった店主は、いぶかしげな顔をしたままでいた。
「変わりもんだね。まあ、あんたみたいな若いのが金持ってるわけないだろうがね……千円でいい。持ってけ」
 そのまま俺に背を向けて店主は歩きだし、元々腰かけていたカウンターに戻っていった。俺は目当てのものが格安で、しかも作者の直筆サイン入りで手に入ることになったので、天にも昇る気持ちでいる。
 店主はレジスターではなく帳簿に何やら万年筆で売り上げを書き込んでいき、そろばんをはじいて売り上げを算出した。俺が千円札一枚と五十円玉一枚と十円玉三枚を差出し、油性の細マジックを取り出してねだると、しぶしぶといった気乗りしない様子で、彼は俺の望みを叶えてくれた。


 れっきとした店なので消費税はかかるものと思っていたのだが、それはまけてくれたらしい。
 さらにコーヒーまで差し出してきたので恐縮してしまった。
「えっ。そんなここまでしてもらったのに……」
「まあ飲め。ついでだ、その本の話をしてやるから、付き合え。若い客は珍しくてな。しかもサインをねだられるなんて初めてだ……夢が叶った」
「夢? おじいさんの夢は……」
 俺がほかほかのコーヒーカップを受け取りながら聞き返すと、店主はカウンターに置かれた俺のものになった彼の本を見ながら物憂げにつぶやいていた。
「作家になってサインをねだられることだ」
 つまり今日この瞬間に彼の望みは成就したということか。俺がしばらく呆けた後にほほえましさを感じて笑みをこぼすと、店主は真顔で無感動に言い返してきた。
「笑うな」
「すみません」
 俺はあわてて会釈して非礼を詫びるとコーヒーカップに口をつけたが、のぞき返した彼の顔は言った言葉に反して怒りをにじませている様子もなく、どこか穏やかでぬくもりさえ感じさせる柔らかい表情でいる。
 夢を叶えた人物の表情か、と俺が感心していたところで、店主が緩やかに口を開いてきた。 
「その本を書いたいきさつだが……」
「あ、聞きたいです!」
 俺が右手で挙手をして話を促すと、彼はとつとつと語りだした。
 値段をつけようもない果てしない未来に向かって情熱を注いでいた、二十歳の青年の話を。



2.手軽に買える夢(ファンタジー)


「あのー、すいません……この右から二番目にある『夢』っていくらで買えますか?」
 値段の書かれていない水晶玉を、無遠慮に手に取った少年が声をかける。
 しかし、漆黒のローブを身にまとった店員はフロントの革張りの丸椅子に腰かけたまま、百科事典のように分厚い古書に夢中になっており、気づいている様子はない。
 黒いランドセルを背負ったあどけない少年がいる店内は、まともな大人なら避けて通るような場所にあった。少年自身、塾からの帰り道で、ふらりといつもと違う道を通ったばかりにこの店に迷い込んでしまった。
 店の看板には「夢を売る店」と書かれて、入り口は紅いカーテンで仕切られ、中は占い師でも出てきそうな雰囲気だった。
 しかし少年に恐怖の色は見受けられない。それどころか瞳が輝き、小学生特有の好奇心に包まれた行動力を、今現在も刺激され続けている様相すら感じられる。
 店内は黒一色の壁紙に包まれているものの、商品の輝きによって宇宙空間のようなきらびやかさに包まれ、寂しさや恐ろしさは見受けられない。未知の宝石に包まれた洞窟に迷い込んだような、奥に進みたくなる静けさと輝きに包まれている。
 その店内の商品たちの美しさに導かれるように、少年はなおも声を張り上げた。
「すいません! この右から二番目にある『夢』って――」
「――そこにあるのは勇者になる夢ですよ。本当にそれでいいのですか?」
 黒いローブと頭にかぶったフードでわからなかったが、店員は女性だったらしい。オルゴールが奏でた曲のような儚い声だったが、他に人がいなかったので少年の耳にも、かろうじてその言葉は届いた。
 少年は本革の黒いランドセルをぎしぎしいわせて、はしゃぎながら言った。
「勇者になる夢か! 超いいじゃん! これ下さい! みんなに自慢できるし!」
「買えるのは一度だけですよ、よく考えてください。お客様、失礼ですがおいくつですか?」
「オレです? 八才。小学三年ですけど、何か文句ありますか? ちゃんとお金ありますって」
 店員はひとしきり、そろばんを弾いてその商品の値段を計算していたらしいが、漆黒のフードの陰で少年には見えなかった瞳を光らせて、お菓子を売るような手軽さで言い放った。
「五百円になります」
 少年はさすがに面食らった表情をしていたが、手に持った水晶玉をしげしげと見つめた。エメラルド色のオーロラがたゆたう内面をうっとりと見つめた後、我に返ってやや疑いをにじませた声を発した。
「中古のドラクエだってもっと高いのに。ウソだ、ぜってぇウソだー。お姉さん、サギ師ですか?」
「八才でしたらその値段で実現可能です。仮にお客様が十三才でしたら五千円、十八才でしたら五万円、二十三才でしたら五十万円、二十八才で五百万円、三十三才でしたら五千万円いただきます。それ以上のご年齢の方にはお売りできません」
 若ければ若いほど実現は容易ということらしいが、少年は目を白黒させるばかりだ。
 ふと気づいた少年は水晶玉をもとあった商品棚に戻し、ランドセルを床におろして、中に入れていた財布を取り出した。なけなしの小遣いである千五百円が入っていたが、十分に勇者の夢を買うには余裕のある金額だ。
 つばを飲み込んで少年は財布を半ズボンのポケットに突っ込んで、今度は商品棚にあった勇者の夢の右隣の、水晶玉を手に取った。
 麗しい生き血のように真紅のオーロラがたゆたう、悪魔に魅入られそうな水晶玉だ。それをひとしきり見つめた後、少年はフロントに駆けつけて店員を問い詰めた。
「じゃあこれはいくらですか!」
「これは魔王として君臨する夢です。お客様でしたら千円でお譲りできますわ」
「……魔王のが高いわけ? なんで? 意味わかんないんですけど」
「なりたがる人が少ない夢ほど先駆者が必要です。お値段に見合った極悪非道な覇道をお約束いたしますわ……前例はあまりございませんが、何より魔王は、富豪でもございます。そういった夢ほど値段が高く、幸運になれる確率が高(たこ)うございます」
「……五百円の勇者は?」
「厳しい修行と冒険の甲斐なく、途中で魔物にやられて行き倒れる可能性も無きにしも非(あら)ず……」
「ゆ、勇者やめます。魔王にします」
「しかし魔王は並大抵の人間に実現できる職業ではございません。帝王学その他政治的知識と魔導や戦闘に対する技術、部下を養う国力の維持、そして人間界を貶めることへの躊躇のない精神力と残虐さが必要かと。現代社会で置き換えるなら、連続殺人犯と国王を両立できるぐらいの資質が必要かと存じます。買ったら最後、修正はできません。よろしいですか?」
 あまりの現実に、少年はたじろぎながらも、値段相応で夢が実現できるという誘惑を振り切ることは適わなかったらしい。身を引きながらも、口は動いている。
「……他の夢ないですか。もっと他の、フツーの……オレ、サッカー選手になりたいです! それがダメなら、映画俳優!」
「それでしたらございます。お客様は運動の方が得意とお見受けいたしましたのでサッカー選手は三千円、映画俳優は五千円になります」
 少年は度肝を抜かれて、再び自身の財布の中を見つめた。しかし何度見つめても、千五百円しか中身はなかった。
 納得いかないので身を乗り出して店員を問い詰めた。
「なんで勇者が五百円でサッカー選手が三千円なんですか! インチキ!」
 微動だにせず店員はなめらかで美しい口調のまま、答えていった。
「申し上げましたでしょう。幸運になれる確率が高いほどお値段は上がります。命の危険がなく名声をほしいままにできる可能性があるなら、安いものでございましょう。先駆者も多く、成功すれば歴史に名を残すことすら可能ですわ」
 矛盾も見当たらず、言い返す気力も失せてきた少年はやがて、小学生特有の飽きっぽさが表情ににじみ出てきた。やがて考えるのが面倒臭くなり、カウンターから身を引っ込めてしまった。
「買うのやめます。やってらんねぇ」
 ふてくされて踵を返した少年は、床に転がしていたランドセルを拾って背負ったところで、ふと気づいたことを店員に向かって問いかけた。
「高校生になったらバイトして、また来てもいいですか?」
 店員は深々とお辞儀をしてから、漆黒のフードの向こうから再び瞳を光らせてこう述べた。
「はい。お待ちしております……十年後でしたらサッカー選手は三十万円、映画俳優は五十万円になります。ご本人の所持金以外からのご契約は受け付けられませんので。悪しからず」
 がくっと肩を落とした少年は、怒ってこう吐き捨てた。
「もう二度と来るかっ!」
 やがて少年は入口の紅いカーテンをくぐり、怒り心頭で出て行ってしまった。
 後に残された静寂の中、鈴の奏でる音色のように儚い含み笑いをする店員が、漆黒のローブの中からつぶやいた。
「まったくこの世界の子どもは夢がないったらありゃしない。せっかく手頃に夢をかなえてやろうと思いましたのに。結局釣れたのは、二十歳過ぎのいい大人どもだけ……子どもの魂をいただきたかったのに、うまくいかないこと……」
 店員の座っていたフロントのカウンターの下から、小さな蝙蝠(こうもり)が飛び上がってきた。
 キィキィと鳴き声を発した後、地の底から響くようなかな切り声で、蝙蝠は言い放った。
「魔王様が正直すぎるのがいただけません。説明などせず、連れ去ってしまえば楽でしょうに!」
「私(わたくし)が? ああ、後継者探しも兼ねているのですよ。互いに納得し合ったやり取りをせねば、契約できませんでしょう。誘拐では契約になりません。私が欲しいのは体ではなく、魂なのです。年齢が若いほうが私の魔力の消費も少ないままに実現できるのだから、値段も安く提供しているというのに。もっとも……夢が実現して寿命が来た暁には、私と契約した報酬として魂は私のものになることに、変わりはありませんことよ……一度は夢をかなえるのだから、嘘は申し上げておりません。輪廻の輪から永久に外れて、二度と転生できなくなってしまうだけ」
 蝙蝠はおどけて空中で前転をして見せた後、くるくるとその場を飛び回って言った。
「まあよろしいです。しかし値段が安い子どもほど食いつかず、値段が高い大人ほど大漁でしたね」
 黒いローブを羽織った魔王は立ち上がり、フードの下から瞳を閃かせて言った。
「夢は大人になるほど価値が上がり、輝きを増すということですよ。さ、帰ることにいたしましょう」
 そう言って魔王が指を振った途端に忽然と、その「夢を売る店」は渦を巻いて闇の中へと吸い込まれていき、その場には塵一つ残らなかった。
 ただ残っていたのは、何もない更地と、店を抜け出したばかりの少年が目を点にしている姿だけだ。
 いくら目をこすってもその場には何も残っておらず、現実は変わらない。興味が失せたことに対してはすぐ投げ出す少年はあまり深く考えることもなく、自宅に置いてあるサッカーボールのことだけを考えて悪態をつき、帰路についたのだった。
「へん。いつかオレはサッカー選手になるんだ、自分の力で。あーんなはした金で買えるほど、安くないんだい。失礼なヤツ!」
 値段に文句を言いながらも、そのおかげで自分の身が助かったのだということは彼自身も気づいていなかった。
 そのことは知らないままに、限りない未来は果てしなく続いている。



3.売却可能な夢(SF)


「あのー、すいません……この右から2番目にある『夢』っていくらで買えますか?」
 私は現在、店に入って手あたりしだい、夢メモリーのソフトを選んで回っては、店頭の機械人間(アンドロイド)に取り置きさせる作業に没頭している。
 アンドロイドは小型で一メートル二十ほどしかない、人間の子ども程度の身長で、かいがいしく私について回っているところだ。
「オ客サマ、コチラノ商品ハ1500万円ニナリマス。一括払イガオ得デ、現金デシタラ一割をポイント還元イタシマス」
 店頭アンドロイドはスタンドアローンの高性能機器で、百パーセントが無機質のコンピューターで生成されている。ややおぼつかない面は見えるものの見た目はほぼ生身の人間に近く、現在の下働きはほぼ、この機械人間がとり行っている。
 現代において生身の人間は、アンドロイドと改造人間を下敷きにした最上級の身分を与えられるほどの希少種になっていた。私はその数少ない、百パーセントが有機物で生成された、正真正銘の肉体を持つ人間である。無論、私が誕生時に役所に届け出されたのは製造保証書ではなく出生届である。
 路地裏にあるこの店は、いまこの街で最先端の娯楽を扱う量販店だ。いいようによっては娯楽どころではなく、人生を売っていると言っても過言ではない。人類の脳科学はすでに、記憶を操作する段階にまで発展している。
 夢メモリーを買いに来た私は、すでにハードウェアを自宅に持ち合わせている。旧世紀で言うなら、家庭用テレビゲーム機とゲームソフトのような関係性だ。夢メモリーのハードウェアに、この店で購入したソフトウェアをセットして脳にダイレクト投影すれば、その記憶が私の中に吸収されるという寸法である。
 旧世紀にはテレビも空中投影型ではなく、モニター内での上映か壁へのプロジェクターしかできなかったというが、現代人でよかったとつくづく思うところだ。いちいち物体がなければ投影できないなど、面倒この上ない。頭部にヘルメット型のハードウェアをセットする格好悪さに辟易するものの、それさえ我慢すればバラ色の人生である。引き換えにそれまでの記憶と自身の夢を失うことになるが、望みの黄金の人生が待っているのだから、背に腹は代えられない。
 何しろ自分では実現しえない夢と人生の幕開けが、約束されているわけである。平凡な人生に飽き飽きしていた自分としては、渡りに船だ。夢を見て自分で選べる権利というのは、生身の人間にしか与えられていない特権だ。活用しない手はない。
 あとはこれから、私の夢を売り払ったお金を手に入れて、不足分を足してより取り見取りの夢を探せばいい。そうすれば私は、銀河連邦軍軍師なり、可動式人型兵器のパイロットなり、宇宙ステーション大統領なり、タイムパトロール隊員なり、好みの人生を歩めるということだ。
 ああ、かの有名なHIVウイルス特効薬の開発者や、放射線除去装置の発明者の人生も捨てがたい。生身の人間が数少なくなっている現代でさえ、彼らの偉大さには陰りが見られないのだから、素晴らしい努力家の夢が自分のものになるかと思うと胸が弾む。
 間違っても、せっかくの肉体を機械化してしまった改造人間たちの夢などはごめんだ。そんな夢メモリーに当たらないことを祈るばかりである。
 私は店頭アンドロイドに連れられて体験ブースへと向かった。まずは店頭で説明を受けてから夢メモリーを脳内に仮投影して、実際に書き込むべきかどうかをテストする。実際に夢を脳内から消去してしまわなければ、売却手続きは完了にならないのは便利なシステムだ。売る前だったら上書きされてしまうこともないので、自分の夢を失わずに済む。
 なぜか生身の人間においては、必ずなんらかの夢を脳内にとどめておかなければ生きていけないというのが世界共通の見解らしい。私には本当に何も将来の夢などないというのに、賛同しづらい理論である。
 まずはカプセルホテルの一室ほどの装置が二つ並んで、一つの機械を挟んで巨大なチューブでつながっている場所についたが、これが体験ブースの記憶転送装置だ。店頭アンドロイドに連れられ、私は片方の転送装置へと押しこめられた。
 中は明るく、真っ白い空間だ。初めての体験にはしゃいで、私は軽快に外の空間にいる店頭アンドロイドへと話しかけた。
「私には何も夢などないわよ。ちょっと、今すぐ私の夢を金額に算出できないの? どうせ二束三文なのに、すぐ売ってしまったって構わないわ」
「オ客サマ、法律上ソレハ不可能デス。必ズテストヲ受ケテカラニシテイタダケマセント、僕ガスクラップニサレテシマイマスッ。ブルルッ……恐ロシイ。思ワズ両手両足ノ接続部ニ震エガ。マア、金額算出ダケデシタラ、スグニデモ。イイデスヨ、オ待チクダサイマセ……行キマース。チョット、ビリットシマスヨ」
 ポチポチと軽快に、空中投影されたキーボードを操作して店頭アンドロイドが記憶転送装置を操作しているようだ。途端、私は五臓六腑に静電気が弾けて全力疾走していったようなすさまじい痺れを感じた。
 体をスキャンされたらしいが、それだけで私はこれほどに痛いのかと恐怖を覚えてしまった。やがてポチポチと響いていた軽快な電子音は止まり、店頭アンドロイドの電子音声が聞こえてきた。
「オ待タセシマシタ。オ客サマノ夢ノオ値段ハ、4000万円ニナリマス。オ売リシマスカ? 今デシタラ、店頭デポイントモ加算サレマシテ――」
 私は予想以上の高金額に一瞬、息が詰まってしまった。そのまま店頭アンドロイドは私の夢を店で買い上げる話を進めているが、それどころではなかった。
 慌てて私は話をさえぎって問いかけた。
「どういうことなの? 私の夢なんて何もない、何の苦労もしていない道楽娘のものでしかないのに! どうしてそんな金額がついているのよ? 有名な発明家やものすごい仕事についているわけでもないのに!」
「ミソハ、ソレデス。オ客様ハ生キル活力ニアフレテイラッシャイマス。ゴ家族モソロッテイテ、元気ニ平凡ニ、ゴ病気モセズニ過ゴシテイラッシャッタ。オトモダチも多イ。コレカラモ元気ニ生キテイキタイ。ソレガオ客様ノ夢デス。ソシテソレハ、子ドモモ大人モ、ダレモガ喉カラ手ガ出ルホド欲シイ『夢』ナノデス。全世界ノヒトノ共通ノ『夢』ヲオ持チデシタノデ、高イノデス。ドコニ売ッテモ買イ手ガツキマス」
 スタンドアローンで稼働し、感情すら持っている店頭アンドロイドは電子音であるにもかかわらず、夢見るような声で話を続けてきた。
「地位ヤ名声ヲ手ニ入レタ人々ガ夢メモリーに夢ヲ売ッタノハ、ソレガ彼ラニトッテハ、コレカラツライ夢シカ見ラレナカッタカラナノデショウネ。アルイハ亡クナラレル直前、モウ夢ヲ目指スコトガデキナクナッタカラ、ゴ家族ガ売ッテシマッタカノドチラカデス。ダッテ本当ニ取ッテオキタイ夢ナラ、売ッタリシマセンモノネ……デキルコトナラ、オ客サマの夢ハ高クテイイモノナノデ、僕モホシイグライデス。ウラヤマシイ」
 そこまで聞こえた店頭アンドロイドの電子音声は停止したが、私の返答がないのを気にしてか、さらにこう続けてきた。
「失礼シマシタ。デハ、夢メモリーのテストヲ開始シマス」
「待って! 中止、売らない! 買うのもやめるわ! 出して、ここから出して!」
 私が白一色の装置の中でばたばた飛び跳ねながら必死に訴えると、店頭アンドロイドの電子音声が聞こえてきた。
「チュウシ? ヨロシイノデ?」
「中止よ! テストもしないわ。出してぇ!」
「ア、暴レナイデクダサイマセ。ワカリマシタ。ワカリマシタ。オープン!」
 ポチポチと電子音がしたと同時に、エアが抜ける音を立てて開閉装置が起動した。外界と再びつながったのを見計らって、すぐさま私は外へと飛び出した。
 ポツンと立ち尽くして私の様子を眺めている店頭アンドロイドが、こちらにゆっくり近づいてきて再び問いかけてくる。
「イイノデスネ? オ買イ上ゲイタダケズ、ザンネンデス」
 残念という割には、アンドロイドなので無表情のためか、あまり本当に悔しがっているようには見えなかった。私は心の中でこの店頭アンドロイドは販売促進をしなくていいのかと気がかりにもなったが、今となっては再び購買意欲は湧いてこなかった。
 私は自分にとって大事なものを失わずに済んだとあって、どんどんと目の前の店頭アンドロイドに感謝の念を覚えた。無機物でできたコンピューターであるにも関わらず、尊敬の念さえ感じた。恐らくこのコンピューターは、単に算出された事実を無感動に述べたに過ぎないのだが、愛着が湧いてきたほどである。
 なので素直に生身の人間らしく、深々とお辞儀をした。
「ありがとう」
 店頭アンドロイドは私の言葉の意味がよくわからなかったらしいが、高性能なりきに首をかしげる動作をして見せてから、深々と儀礼的にお辞儀を返してくれた。
「マタノオコシヲ」
 背が小さいので、まるで手伝いをする子どもの様だった。私は買わなくてごめんと心の中で謝りながら、店を後にした。
 もうあの店に行くことはないだろうが、夢メモリーを買わなかった代わりにあの店頭アンドロイドが欲しくなったのは、また別の話である。

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