石人山古墳と装飾文様
【石人山古墳(せきじんさんこふん)】
所在地:福岡県八女郡広川町
墳丘長:107m
墳長:120m
前方部正面幅:54m、高さ6m
後円部直径:76m、高さ12m
形状:前方後円墳
構造:竪穴系横口式石室
築造年代:5世紀前半〜中頃(古墳時代中期)
墓主:筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)の祖父とされている。
石人山古墳は、『弘化谷古墳と装飾壁画』で書いた、弘化谷古墳から徒歩6分くらいの場所にある。
⏬『弘化谷古墳と装飾壁画』
石人山古墳も『岩戸山古墳と磐井の乱』で書いた、筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)と関連がある古墳だ。
⏬『岩戸山古墳と磐井の乱』
【出土品】
江戸時代から石棺全面が露出しており、盗掘されている。
しかし、墳丘や周辺部から表面採取された資料から、円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪・形象埴輪(家形、楯、動物、人物)、須恵器(器台、壺、はそう)が見つかっている。
【石人山古墳の最大の特徴】
屋根形の石棺蓋に浮き彫りされた、幾何学文様が最大の特徴。
この幾何学文様は、重圏文(じゅうけんもん)と直弧文(ちょっこもん)の2種類の装飾文様で浮き彫りされている。
重圏文:屋根の上と*棒状縄掛突起(ぼうじょうなわかけとっき)先端に彫られた、二重丸の文様。
直弧文:屋根の下に彫られた、直線と帯状の弧線が組み合わされた文様。
これらは最古期の装飾古墳として重要。
*棒状縄掛突起:屋根の両側にある棒状の縄を掛けるような突起のこと。
【石人】
古墳の名前の由来になった、阿蘇溶結凝灰岩製(あそようけつぎょうかいがんせい)の『武装石人』が、石人山古墳に一体ある。
高さ1.8m、三角板短甲(さんかくいたたんこう)と草摺(くさずり)をつけ、靫(ゆき)を背負い、武装した姿に彫刻されている。
左脇には石刀をつけるための抉り込み(えぐりこみ)がある。
現在、顔は潰れ、上半身の模様は不鮮明になっている。
地元では「せきじんさん」と呼ばれ、信仰の対象となっている。
肩や腰、手足などに痛みがある人が、石人の同じ部分をさすったり、たたいたりすると、それが治るとされていたようだ。
江戸時代の文献の模写図には、目・鼻・口、足元にもう一個の石人頭部が描かれているが、現存しない。
前方部と後円部の墳丘くびれ部分には、後円部の石棺入口を背にして、一体の『武装石人』が立っている。
まるで被葬者を守護しているかのようだ。
石人山古墳の石室は、保護施設に覆われており、のぞき込むようにして見学できる。
黒いカーテンを自分で開閉して見学する。
石人山古墳についての詳細は、下のブログ記事にまとめています。
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