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岩戸山古墳と磐井の乱

岩戸山古墳は、福岡県八女市にある。

墳丘135mの前方後円墳。

九州地方北部で第1位の規模。

527年に起きた、古代史上最大の内乱『磐井の乱(いわいのらん)』を主導した、『筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)』が築造した。

古墳の横には『別区(べっく)』と呼ばれる広場があり、日本で初めて裁判が行われた場所とされている。

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森が岩戸山古墳、芝生が別区


古墳の周りには埴輪を並べるのが一般的だが、筑紫君一族(ちくしのきみいちぞく)は、あえてそれを取り入れず、地元の石で作った『石人・石馬』を並べた。

別区の広場には、100体にも及ぶたくさんの『石人・石馬』が並んでいた。

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別区と石人・石馬


ほとんどの石人・石馬の顔や手足は、ヤマト官軍によって壊されている。

広場にある石人・石馬はレプリカで、本物は広場の側の資料館「いわいの郷」にある。

本物の石人


磐井の乱は、日本書紀にはこう記述されている。

『継体天皇が新羅征討のために、近江毛野臣(おうみのけぬのおみ)は、6万の軍隊を派遣しようとしたのを、新羅と結託した磐井が妨害し、反乱を起こした』

しかし、古事記と筑後国風土記の逸文の内容はそうではない。

墳頂へはここから登って行く
墳頂


岩戸山古墳では不思議なことがあった。

 謎の光 古墳北側
古墳北側
別区にも光


続きと、岩戸山古墳についての詳しい内容は、こちらに書いています。

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