【連載】感情の哲学 入門の入り口 第2回 ロボットは感情をもてるか?(源河亨)
身近な「感情」をテーマにした哲学の入門書、『感情の哲学入門講義』。刊行にあたり、著者・源河亨氏による連載(全3回)をお届けします。
第1回「感情と思考は対立する?」はこちら
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『感情の哲学入門講義』という本を書きました。それを手に取ってもらうための連載の2回目です。前回は「感情と思考は対立するか?」という話を取り上げましたが、今回は「ロボットは感情をもてるか?」という問題について書きたいと思います。
泣いているロボットのカバーが目印
多くの人は、「ロボットが感情をもつわけない」と考えているのではないでしょうか。というのも感情は、人間だけがもつもの、しかも、「人間らしさ」にとってとても重要なものだと思われるからです。
なので、まず、「人間らしさ」と感情の関係に関する常識から確認することにしましょう。そのあとで、ロボットが感情をもてるかどうかについて少し考えてみたいと思います。
「人間らしさ」と感情
「人間らしさとは何か」という問いは、「正義とは何か」と同じくらい、いかにも哲学的な問題に思われるでしょう。そして、この問題を考えるうえで、感情は避けては通れません。というのも、感情は私たち人間の生活の中心にあるからです。
私たちは基本的に、喜び、楽しみ、満足感といったポジティヴな感情をなるべく増やし、悲しみ、怒り、恐怖といったネガティヴな感情をなるべく減らすように行動しています。ご飯を食べるなら、なるべくなら美味しいものを食べて喜びを感じたいし、不味いものを食べて嫌な気持ちになりたくありません。ダイエットをして一時的に苦しい思いをしても、理想的な体型になる満足感が苦しみを上回ると思えるからこそ、我慢できるのでしょう。つまり、私たちは、自分がどういう感情をもつかを予測して行動を選択しているわけです。
そして、毎日は選択の連続です。何を食べるか、誰に会うか、どこに住むか、何の仕事をするか、などなど、重大なものから些細なものまで、私たちの日常は選択にあふれています。そうすると、日常にあふれる選択に重要な影響を与える感情は、人間の生活の中心にあると言えるのではないでしょうか。
それとは別に、「人間らしさ」には感情を表に出すかどうかという点も関わってきます。「人間味がある」と言われる人は、よく感動したり、すぐ怒ったり、泣き上戸だったり、大声で笑ったりするなど、感情をよく表に出す人でしょう。反対に、あまり感情を出さない人は「人間らしくない」と言われるでしょう。
それに対応するように、漫画や小説では、ロボットが感情をもたない存在として描かれることが多いのでしょう。ロボットは、論理的な計算はできますが、喜んだり、悲しんだり、怖がったりしません。こうしたロボットの場合、無感情であることが人間でないことを示すサインの一つとなっているでしょう。なので逆説的に、ロボットなのに笑ったり泣いたりするキャラクターが登場すると、「人間っぽい」と思われるでしょう。
表情があるだけで「人間」らしく見えるかも?
画像:Unsplash
ここで最初の話に戻りましょう。ロボットは本当に感情をもてないのでしょうか。また、私たちは何の根拠から「ロボットは感情をもてない」と考えているのでしょうか。今回の残りは、ロボットが感情をもてない根拠としてすぐ挙げられそうな理由を二つ検討してみたいと思います。
感情の表れは偽物だ
さきほど、笑ったり泣いたりするロボットは「人間っぽい」と言われると書きましたが、それと似たようなロボットは実際にあるでしょう。最近の自動販売機には、お金を入れて飲み物を買ったときに「ありがとうございます!」という音声が出るものがあります。その音声は、本物の人間が嬉しい気持ちになっているときと似たものでしょう。
では、自販機は嬉しい気持ちを表現しているのでしょうか。そうではない、と考える人が大半だと思います。その理由としてすぐ思いつくのは、自販機は録音された音声を再生しているだけだから、というものでしょう。自販機が出す音声は、人が近づけば自動的に出されるようにプログラムされた反応でしかなく、自分の感情を表しているわけではないと考えられるのです。
ですが、人間はどうなのでしょうか。私たちの反応だって自動的に生まれてくるものではないでしょうか。ヘビを見たら勝手に冷や汗が流れてきて、自然と「うわっ!」という声が出たりします。プレゼントをもらったら思わず顔が緩み、声が明るいトーンになります。私たちの感情的な反応だって、自分が置かれた状況に応じて勝手に出てくるものではないでしょうか。
さらに、私たちの反応にも「プログラムされている」と言える側面があります。たとえば、知り合いから1万円札をもらった場面を考えてみましょう。そのとき、びっくりして目を見開いたり、思わず笑みがこぼれたりするでしょう。こうした反応は生まれながらのものではありません。その証拠に、生まれて間もない赤ちゃんに1万円札を握らせても、そうした反応は出てこないでしょう。1万円札があれば、美味しいものを食べられたり、欲しいものを買えたりできるのですが、赤ちゃんはその紙がそうした機会を与えてくれるものだと理解していないのです。
1万円札の価値は、私たちが成長して社会生活を送るなかで、いつのまにか理解されているものです。その価値観は、社会が私たちに「プログラムした」と言えないでしょうか。その結果、1万円札をもらったときに、自動的に、笑みがこぼれるようになります。その笑みは、プログラムされた反応と同じではないでしょうか。
さらに、こうした「プログラム」が「感情」なのではないか、という考えも浮かんできます。自販機は、お金が入って飲み物が購入されたとき、プログラムが働き、「ありがとう」という音声を出します。お店を経営している人は、客がお金を払って商品を買ったとき、嬉しいという感情が生まれ、「ありがとう」と言います。客が商品を購入して、「ありがとう」という声が出ることのあいだにあるもの、自販機のプログラムと人間の感情は、同じようなものではないでしょうか。
ここで「同じじゃない!」「じゃあどこが違うの?」という議論が続けられますが、次は別の論点をみてみたいと思います。
体の違い
ロボットと人間の違いとしてわかりやすいのは、素材です。ロボットはシリコンチップとか、鉄とかプラスチックとかでてきているでしょう。それに対して人間の体はほとんどタンパク質からできています。
こうした違いから、ロボットは感情をもてないと考える人もいるかもしれません。つまり、感情をもつためには、タンパク質でできた体が必要だということです。
ですが、その根拠は何でしょうか。なぜ感情にはタンパク質の体が必要なのでしょうか。その根拠を説明できない限り、「感情にはタンパク質の体が必要だ」という言い分に説得力はありません。勝手にそう言い張っているだけでしょう。
ロボットは人間とはちがう素材でできているから感情をもてない?
画像:Unsplash
それどころか、タンパク質の体は必ずしも必要ないと考えたくなる理由もあります。というのも、感情を含め、心をもつことにとっては、「体が何でできているか」よりも「どんな働きをするか」の方が重要だと考えられるからです。哲学ではその考えが「機能主義」と呼ばれます。少し説明してみましょう。
まず、私たちの体を考えてみましょう。体のなかには脳とか、心臓とか、肺とか、さまざまな器官があります。ですが、それらのどれかと心を同一視することはできないでしょう。というのも、その器官を解剖してみても、見つかるのは血管とか筋肉とか神経とか、タンパク質からできた物体だけです。どこにも心に相当する物体はありません。
むしろ、「心がある」とは、それらの器官が活動し、一定の働きをして、それによって、外からの刺激に反応し、何らかの行動を起こせることではないでしょうか。たとえば、「こんにちは」と人から話しかけられたときに、音に反応し、それが言葉であると理解し、「誰だろう」と考えたり、「こんにちは」と挨拶を返したりすることができます。そして、こうした一連の反応や行動をする働きが「心」なのではないでしょうか。
では、この働きには、タンパク質でできた体が不可欠なのでしょうか。そうではなさそうです。というのも、人間の体の一部は機械に置き換えられるからです。現在でも、人工内耳や人工心臓など、体を補助する機械をつけている人がいます。最近では、目が見えない人の視覚を機械で補う人工視覚の研究も進んでいます。さらに、こうした技術が発展すれば、脳の一部を機械で置き換えることもできるようになるかもしれません。
体の一部を機械に置き換えた人は、一部がタンパク質でない体になっています。では、そうした人には心がないのでしょうか。そんなことはないでしょう。人工心臓をつけた人に、「あなたは体が完全にタンパク質でできていないから、心はないんだね」なんて言うわけがありません。
では、体の半分が機械になったらどうでしょうか。心はあるのでしょうか。80%が機械だったら? 90%だったら? 「◯%以上が機械になったら心はない」という基準はあるのでしょうか。そういう基準を設定する根拠はあるのでしょうか。
その基準がないなら、ロボットはどうでしょう。100%機械の体をもつロボットも、「外からの刺激に対して反応する働き」ができれば、心があると言えるかもしれない、と思われてくるのではないでしょうか。機械の体を殴られたときに「何するんだ!」と大きな声を出すロボットは、本当に怒っているのかもしれません。
ここまでの話で、「ここはおかしい、変だ、間違っている」と思われるポイントがいくつもあったでしょう。前回もそうですが、この連載は販促なので、抜けている話もあります。これを読んで反論したくなったり疑問が生まれたりしたら、ぜひ『感情の哲学入門講義』を手に取ってみてください。
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第3回「怖いもの見たさって何だ?」はこちら
【執筆者プロフィール】
源河 亨(げんか とおる)
2016年、慶應義塾大学にて博士(哲学)を取得。現在は、九州大学大学院比較社会文化研究院講師。専門は、心の哲学、美学。
著作に、『知覚と判断の境界線――「知覚の哲学」基本と応用』(慶應義塾大学出版会、2017年)、『悲しい曲の何が悲しいのか――音楽美学と心の哲学』(慶應義塾大学出版会、2019年)。訳書に、ジェシー・プリンツ『はらわたが煮えくりかえる――情動の身体知覚説』(勁草書房、2016年)、セオドア・グレイシック『音楽の哲学入門』(慶應義塾大学出版会、2019年、共訳:木下頌子)など。
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