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【連載】感情の哲学 入門の入り口 第3回 怖いもの見たさって何だ?(源河亨)

身近な「感情」をテーマにした哲学の入門書、『感情の哲学入門講義』。刊行にあたり、著者・源河亨氏による連載(全3回)をお届けします。

第1回「感情と思考は対立する?」はこちら
第2回「ロボットは感情をもてるか?」はこちら

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感情の哲学入門講義』という本を書きました。それを手に取ってもらうための入門の入門連載の3回目で、これが最後です。今回は、「怖いもの見たさって何だ?」ということを考えてみたいと思います。

image1感情の哲学入門講義画像

泣いているロボットのカバーが目印

前回、人はポジティヴな感情を増やし、ネガティヴな感情を減らすように行動していると書きました。ご飯を食べるなら、なるべくおいしいものを食べて嬉しくなりたいですし、まずいものを食べて嫌な気持ちになりたくはありません。どこに住むか決めるときには、通勤や通学に快適で、治安も良くて安心できる場所が良く、会社や学校までの距離が遠くて苦労し、物騒で不安になる地域は避けられるでしょう。

ですが、こうした基本から外れ、ネガティヴな感情を自分から求めているように見える場合があります。それが「怖いもの見たさ」です。

たとえば、お化け屋敷を考えてみましょう。お化け屋敷には、来た人を怖がらせる仕掛けがたくさんあります。薄暗くて周りがよく見えなかったり、不気味なお経が聞こえてきたり、床に血の跡のようなものがあったり、急に叫び声がしたり、ゾンビが出てきたりします。

お化け屋敷に行く人は、具体的にどんな仕掛けがあるかは知りませんが、何かしら怖がらせるための仕掛けがあることは理解しているでしょう。そうすると、お化け屋敷に行く人は、行けば怖くなると予測できる行動をとっていることになります。

もちろん、怖いからお化け屋敷には絶対行きたくないという人もいます。ですが、わざわざ行く人がいることは確かです。進んでお化け屋敷に行く人は、もし仕掛けがショボくてちっとも怖くなかったら、「これはひどい!金返せ!」と言うかもしれません。しかし、わざわざお金を出してまで怖くなりたいのは一体なぜなのでしょうか。

「なぜ恐怖を求めるのか」は興味深いテーマで、その謎を解明しようとするいろいろな考えがあります。たとえば、恐怖は日常生活でたまったストレスを吹き飛ばしてくれるのでたまに経験するのが良いとか、怖い思いを繰り返し経験することでメンタルが強くなるとか、人間は心のどこかに恐怖を求める本能があるとか、説明はさまざまです。

お化け屋敷

なぜ私たちはわざわざ怖い思いをするためにお化け屋敷に行くのでしょうか?
画像:Unsplash

いろいろな説明があるなか、今回紹介したいのは、「恐怖を求めているように見える人は本当は怖がっていない」という考えです。怖くないからお化け屋敷に行くのです。

この考えにとって重要なのは、「そう見える」からといって「本当にそうである」とは限らないことです。たとえば、蜃気楼を考えてみましょう。遠くにオアシスがあるように見えたのに、近づいたら何もありませんでした。オアシスがあるように見えたからといって、本当にあるとは限らないのです。

今回説明する考えも同じように理解できます。お化け屋敷に行く人は、はたから見れば確かに怖がっているように見えるでしょう。ですが、怖がっているように見えるからといって本当に怖がっているとは限りません。むしろ、本当は怖がっていないと考えたくなる理由があります。以下では、その理由を説明しましょう。

感情の役割

「本当は怖がっていない」という考えを理解するには、感情がどんな役割を果たしているのかを理解する必要があります。まず、どんなときに恐怖が生まれるかを考えてみましょう。山道を歩いていたらヘビが出てきた、すごいスピードの車が自分のすぐ横を通り過ぎていった、断崖絶壁の前に立っている、夜道を歩いていると知らない人が近づいてきた。こうした場面で私たちは恐怖を感じます。

このように場面はさまざまでも、そこには共通点があります。それは、「自分の身に危険が迫っている」ということです。ヘビに噛まれたり、車にぶつかったり、崖から落ちたり、不審者に襲われたら、下手したら命を失ってしまいます。恐怖は、危険が迫っていることに対する反応なのです。

他の感情でも、感情が反応する共通要素を見つけることができます。悲しみは、財布を落としたり、恋人と別れたり、飼っている小鳥が逃げ出したりしたときに生まれます。こうした場面には、「大事なものが失われた」という点が共通しています。怒りを感じるのは、行列に割り込みされたり、悪口を言われたり、嘘をつかれたりしたときなど、自分が不当な扱いを受けているときです。そして、好物を食べたり、お小遣いをもらったり、テストで良い点をとって喜ぶときには、自分にとって何かしら好ましいことが起きています。

こうした点を踏まえると、感情は、ただ単に心に浮かんでは消えていくものではないと言えるでしょう。感情は、私たちがどういう状況に置かれているかを私たちに伝えてくれるものなのです。あなたが喜びを感じるとき、その喜びは、あなたに良いことが起きたと実感させてくれます。あなたが感じた怒りは、あなたが不当な扱いを受けていると訴えかけてくるものです。

それだけでなく、感情は、状況に合わせた行動をうながしてきます。好物を食べて生まれた喜びは、好ましいことがあることを伝えると同時に、その好ましさを長続きさせる行動をうながします。なので、もっと食べたくなるのです。確かに、「これ以上食べたら健康に悪いな」と思って食べ続けないこともありますが、食べたくはなっているでしょう。食べるという行動をとる方に傾いていることは確かであるように思えます。

ここで冒頭の話に戻りましょう。ポジティヴな感情は増やしたいものだと書いていましたが、ここでその理由が明らかになります。ポジティヴな感情を増やしたいのは、その感情を抱く状況が自分にとって好ましいものだからです。そして、好ましい状況を増やしたいからなのです。

同じことはネガティヴな感情にもあてはまります。ヘビと遭遇したときの恐怖は、あなたの身に危険が迫っていることを実感させます。そして、その危険な状況が長続きしないように、その場から逃げ出すなどの行動をうながすのです。そして、恐怖などのネガティヴな感情をなるべく避けたいのは、身の危険といった自分に不都合な状況をなるべく減らしたいからなのです。

本当は怖がっていない

以上を踏まえて、お化け屋敷を考えてみましょう。お化け屋敷に行く人は本当は怖がっていないという考えにとって一番重要なポイントは、先ほど説明した恐怖の役割です。恐怖は、自分の身に危険が迫っていることを教えてくれるもので、その危険を回避する行動をうながすものでした。これに対し、お化け屋敷はどうでしょう。そこには回避すべき危険はありません。そうであるなら、お化け屋敷に行っても恐怖は生まれないと考えられるのではないでしょうか。

また、お化け屋敷に行く人も、危険はないと確信しているはずです。その確信がなければお化け屋敷には入れないでしょう。たとえば、遊園地の場内アナウンスで「山から降りてきたクマがお化け屋敷のなかに逃げ込みました」と放送していたら、進んでお化け屋敷に入る人はいなくなるでしょう。お化け屋敷に入れるのは、安全だとわかっているからなのです。そして、安全だとわかっているなら、怖がる必要はないわけです。

ヒグマ

クマが目の前に現れたらやっぱり怖い……
画像:Unsplash

同じようにしてホラー映画も説明できるでしょう。ホラー映画を見ているときには何の危険もありません。画面から貞子が出てきてあなたを襲うことはありません。また、映画を見ることで危険な目にあうと考えている人は誰もいないでしょう。そのため、ホラー映画にも怖がるべきものはないことになります。

では、心霊スポットはどうでしょうか。お化け屋敷やホラー映画は完全な作り物で安全が確保されていますが、心霊スポットはそうではありません。本当に幽霊が出たり怪奇現象が起きたりして、危険な目にあう可能性があるかもしれません。

そうすると、わざわざ心霊スポットに行く人は、恐怖を求めているのでしょうか。また、そこに行くと本当に怪奇現象が起きて危ない目にあうと思っているのでしょうか。

そうではないように思われます。むしろ、心のどこかで「どうせ何もないだろ」と思っているからこそ心霊スポットに行けるのではないでしょうか。危険な目にあうかもしれないと思っていたら、クマが逃げ込んだお化け屋敷と同じく、心霊スポットに行くことはできないように思われます。

話をまとめましょう。自分から進んで恐怖を求めているように見える行動をとっている人は、その行動が危険につながるわけではないと確信しているでしょう。そうでなければその行動はとれないように思われます。そして、危険はないと確信しているなら、危険に対する反応である恐怖が生じることはないでしょう。なので、「怖いもの見たさ」と言われる行動をとる人は、本当は怖がってはいないと考えられるのです。

どうでしょうか。「やっぱりどこかおかしい」と思う人もいるでしょう。たとえば、「お化け屋敷に行く人は怖がっていないと言われたけど、じゃあなんで多くの人はお化け屋敷に行くと怖くなったと思ってしまうのだろう?」という疑問が生まれるかもしれません。前回も書きましたが、常識的な考えを否定したら、次に、なぜその常識は間違っているにもかかわらず広まっているかを説明する必要が出てきます。本当は怖くないのに自分は怖がっていると勘違いしてしまう理由は何なのでしょうか。

その理由は……残念なことに、そろそろ字数の上限なので、今回はここまでとなります。続きが気になった方は、ぜひ『感情の哲学入門講義』を手に取ってみてください。本では、「本当は怖がっていない」という考えをより詳しく説明してあります。それだけでなく、「怖いけど楽しみもある」という考えも説明してあります。

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【執筆者プロフィール】
源河 亨(げんか とおる)
2016年、慶應義塾大学にて博士(哲学)を取得。現在は、九州大学大学院比較社会文化研究院講師。専門は、心の哲学、美学。
著作に、『知覚と判断の境界線――「知覚の哲学」基本と応用』(慶應義塾大学出版会、2017年)、『悲しい曲の何が悲しいのか――音楽美学と心の哲学』(慶應義塾大学出版会、2019年)。訳書に、ジェシー・プリンツ『はらわたが煮えくりかえる――情動の身体知覚説』(勁草書房、2016年)、セオドア・グレイシック『音楽の哲学入門』(慶應義塾大学出版会、2019年、共訳:木下頌子)など。

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