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【試し読み】『三田文學』の書評ページをチラ見せ! その2

こんにちは! 現在発売中の『三田文學』2023年春季号(153号)から書評記事をお試し公開します。その2の今回は、小川哲『地図と拳』の書評です。
読者のみなさまにとって、新たな出会いになれば幸いです!

↓ その1の記事はこちら

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踊る満洲のスキャンダル

小川哲『地図と拳』 

巽 孝之

 10世紀後半、北欧のヴァイキングは未踏の大地を求めて西へ航海を続け、その果てに発見した謎の島をヴィンランドと命名した。これが現在の北米だが、20世紀中葉、このヴィンランドを書き込んだ15世紀前半の世界地図が発見され、その真贋論争は今も引き続く。だが肝心なのは、この世界地図がコロンブスによる1492年の北米到達以前に制作されたという前提であり、おそらく北米中西部に多いスカンジナヴィア系移民の闘争意識と無関係ではない。
 
 20世紀前半には、ロシア革命を経た1929年に、シュールレアリストによる世界地図が制作され、巨大なロシアとともに、北米の半分を占めるほどに誇張された旧ロシア領アラスカが描かれる。いわゆるアメリカ合衆国の影は薄く、ヨーロッパはユーラシア大陸の西端に甘んじ、イギリスなどは極小の島国だ。日本に至っては、存在自体が皆無。社会主義イデオロギーを中心原理に据えたこの地図は、のちに心理地理学へと発展を見る超現実的実験結果である。

 そうした地図の精神史をふまえるなら、1932年3月から45年8月まで中国東北地方に実在し「五族協和」「王道楽土」をスローガンに成長し、13年5ヶ月で消滅してしまった日本の傀儡国家ないし偽国家・満洲を舞台に、地図作成学を駆使した小川哲の第三長編小説『地図と拳』は、現存する北米最大の前衛作家トマス・ピンチョンがアメリカ独立革命前夜の測量技師たちを主役にした『メイスン&ディクスン』(原著1997年)への挑戦として意義深い。

 もちろん、満洲というモチーフ自体が、絶えず蠱惑的な物語の霊感源だった。

 レジナルド・ジョンストンの『紫禁城の黄昏』(1934年)や清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀の自伝(原著1964年)を基礎にしたベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラストエンペラー』(87年)はもとより、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』三部作(94〜95年)、久間十義『ヤポニカ・タペストリー』(92年)、さらにはデイヴィッド・ブレア監督が20年近くをかけた『失われた部族』(95〜2012年、原題「満洲のイスラエル」)に至るまで、この極東を代表するユートピア的/ディストピア的時空間は、いつの時代にもロマンティックな夢想を誘う。そんな文脈へ、2015年に文字通りユートピアとディストピアの逆説を主題にした長編小説『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞した大型作家が、果敢に介入してみせた。

 プロットは複雑怪奇だ。けれども、まずは本書を統御する二つのベクトルを、満洲に傀儡国家を建設する日本側の地図作成学的要請と、そうした日本の帝国主義的侵略を不満に思う中国側のテロリズム的要請に絞ってみよう。次に、前者の代表を気象学的建築学的天才の須野明男すのあけお(ギリシャ神話の水の神「オケアノス」にかけている)、後者の代表を馬賊出身と言われ東北にある理想郷の旧李家鎮リージャジェン、現仙桃城シェンタオチョン最大の権力者・孫悟空ソンウーコンの娘で父と日本を憎んでやまぬ抗日テロリスト孫丞琳ソンチョンリンに絞ると、決して和解しえぬ両ベクトルの交点に壮大な歴史ロマンスが浮上する。

 主人公たちを導く脇役たちも見逃せない。

 まずは1899年、ロシア潜入の使命を帯びた高木が知り合う、ロシア語と支那語双方ができる細川という学生通訳。彼は日露戦争後に満鉄に就職したのをきっかけに満洲国建国から解体へ至る歴史を左右し、本書タイトルとも関わる戦争構造学を樹立していく。とりわけ満鉄から「黄海にあるとされる青龍島という小さな島が実在するかどうか調査してほしい」と依頼を受けた、東京帝国大学で気象学を学ぶ学生・須野との交友は重要だ。というのも、やがて細川は須野を戦死した高木の未亡人に紹介し縁を取り結び、1912年には明男が生まれるのだから。
 
そして1901年、ロシア軍の命で、シベリアの南に位置する満洲地方を測量していたロシア正教司祭クラスニコフは、義和団の内輪揉めで死んだとばかり思われたのに蘇生した若者・孫悟空を助けるばかりか、やがて権力者に昇り詰めた孫悟空がもうけた娘の丞琳が15歳で母を喪った時には彼女を引き取り、毎晩「神の教え」を説く。そして1932年、丞琳は、日本人に搾取されるあまり反日感情を募らせた匪賊の一味に加わり、仙桃城炭鉱を襲撃する。

 全く同じ満洲国の建国前夜から解体以後までを見つめながら、地図と建築を指向する明男と偽国家解体を目論む丞琳は一見、全く異なる人生を辿っているかのように見える。しかし、この両名が、当初は後者が働いていた仙桃城のダンスホールで初対面のパートナー同士として出会い、その直後に丞琳は炭鉱襲撃のテロを引き起こし、それから12年後、明男の設計したモニュメントの聳える李家鎮公園で敵味方となって戦う。そして明男の分隊が丞琳の八路軍を追い詰め、ついに彼が彼女の右手を摑んだクライマックスの描写は、文章以外では不可能な、あまりにも美しい一枚の絵画だ。

(前略)不意に、ダンスホールで踊り子をしていたころのことを思い出す。日本人は嫌いだったし、彼らと手を繫ぐのは不快だったが、ダンスは嫌いではなかった。もしかしたら、踊り子として生きていく人生もあったのかもしれない、そんなことを考える。
ようやく耳に詰まった空気が抜けて、夜の音が蘇った。
行こうゾウバ
 丞琳の右手を摑んだ日本人がそう言った。その声をどこかで聞いたことがあるような気がする。遠い昔、どこかで耳にした声。
 丞琳は黙ったまま右手を握り返した。
 二人の背後で巨大なモニュメントが黄金に輝いている。

 (第十六章「一九四四年、冬」)

 冒頭から無数の群像劇と百科全書的情報網で読者を引き摺り回したあげくに、本書は、気象学的建築的天才と傀儡=偽国家解体者のほのかな触れ合いを素描して、みごと全ての伏線を回収し切る。稀有の物語学的大団円と呼ぶほかはない。

(集英社・2,420円税込)

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