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20240307_遊牧民族と農耕民族の君主の違いについて考えたこと_ゲームチェンジの世界史_紹介と感想25

はじめに

こんにちは、Keiです。

 今まで私にとって"元気が出た"と思ったコンテンツや"役に立つかもな"と思ったコンテンツや考え方を紹介してきました。今回も良い人生にするために"役に立つかもな"と思った考え方を紹介していきます。

参考書

この度、参考にした本は
『ゲームチェンジの世界史』神野正史
です。

内容と感想

 前回の記事では"異民族好みの仏教、世界へ拡散"までの部分を読んで感じた事を書きました。

 今回の記事では"農耕民族の君主"までの部分を読んで感じた事を書いていきます。

内容

 遊牧民族が掲げる君主と農耕民族が掲げる君主では同じ"王(or 皇帝)"と訳されていても異質の存在。
 遊牧民族は周辺の牧草を食べつくしたら、新しい牧草地を求めて移動する生活を余儀なくされる民族。次の行先を決めるのも命懸けで決断次第で部族全体の命運が大きく左右される。1人の決定による失敗のリスクの大きさを抑えるため、"王"はいたとしても"民会の議長"程度の権限しかもたなかった。冒頓単于やチンギスカンなど、稀に部族全体が信頼する"英雄"が現れると全権を委任することもあったが、どの君主も民会の解体などはせず、あくまでも民会の決定を尊重した。
 遊牧に対して、農耕では(土作り、種まき、収穫など)毎年やるべき時期と作業が決まっているため、思案に暮れる必要がなかった。また大河による水害を防ぐべく、定期的に治水する必要もあった。農耕社会では、やるべきことが決まっていて民の意見を聞く必要もなく、多くの労働力を一斉に動かす必要があったので、"専制君主"となった。

感想

 同じ"王"や"皇帝"という言葉を使用していますが、遊牧民族と農耕民族では全く異なるものだと知ることができました。同じ君主でも民族の活動形態によって求められる能力が異なるという点も学びになりました。常に意識する事は難しいことだと思いますが、ワードだけで判断せず本質を見る力は伸ばしていきたいと思いました。歴史的な経緯を学びながら理解が深めることは今後も続けていきたいと思いました。
 遊牧民族の場合、次の行き先の判断も命懸けであるという点は学びになりました。行き先によって部族全体の命運が左右される場合、意思決定は慎重にならざるを得ないと思います。1人の決断に任せるより、複数人で判断し、判断を誤るリスクを抑えるという方法は妥当だと思いました。意思決定のスピードよりも判断の質が求められる場合は民主的に決めた方が良いという点は覚えておくべきだと思いました。
 農耕で専制が根付く理由について納得できました。必要な能力が遊牧と全く異なるという点は学びになりました。意思決定を慎重にする必要がなく、まとまった行動をするためには専制の方が実用的という点も抑えておけると良いと思いました。
 歴史的な経緯も知ることで、民主制も専制も一長一短でそれぞれの暮らしに適した形があるという点を理解できると思います。状況に応じて適切な方法は変わると思うので、自分らにとってはどちらが適しているのかという点を考え続けることは大事だと思いました。

最後に

 "全く同じ用語でも、中身が異なることもある"という点を知っているだけで、本質的な違いについて意識しやすくなると思います。用語だけで判断せず、本質を見る力は伸ばしていけると良いと思いました。
 言葉だけに惑わされず、本質を見極めることができる人を目指していきましょう!

 どなたかの参考になれば幸いです。

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