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綴る~夜とカフェオレと日記帳~

みなさま、お久しぶりです。川上から引き継ぎました、3年の島田亘です。前回のブログ執筆が2023年の12月だったので、かなり期間が空いてしまいました。無事に3年生になり、大学生生活も折り返し、この時間が減っていく一方だと考えると、寂しいものがあります。

さて、8月に入り、私は今、大学での陸上競技生活として3回目の夏を迎えています。何においても、夏を制する者がこの先を制する。このように言われることが多いからこそ、燃え上がる夏。しかし、5月以降慢性疲労症候群に悩まされ、そこから約2か月ほど思うように走れない日々が続きました。先日まで行われていた、蔵王合宿でもリハビリの過程で脚の状態が悪くなり、3回目にして初めて、合宿でのまともに走れない期間を経験しました。

蔵王合宿でのプチエピソードとして印象に残っているのは、膝の怪我で走れず、代替練習として、山登りウォークをしていた際に熊に遭遇したことでしょうか。正直、走れないので死んだかもと思いましたが、天が味方してなんとかその場をやり過ごすことができました。コーチである保科さんも「まじで!!」と驚愕の一言。今ではいい笑い話ですね笑

昨日から選抜の二次合宿として紋別合宿が行われていますが、今年、自分は初めて日吉での強化練習期間を過ごすことになります。しかし、正直なところ、いまが一番燃えているかもしれません。夏の日吉での練習、生活は大変で苦しいはず。でも、「大変」なとき、それすなわち、乗り越えた先で「大きく変わることができる」ということではないでしょうか。自分はとてもポジティブな人間なので、こういう考え方をよくします。日吉にいても、目指すところは紋別組と同じ。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるように、どんな場所でも、必ずできることはある、「念ずれば花開く」、この言葉を信じて暑い夏を乗り越えます。


いつものことながら、前置きが長くなりました。ここからが本題です。
今回のブログのテーマは、

自分の日常を綴ること

です。前回川上が書いたブログ、『言葉の力』での一節、

私は言葉の可能性を信じています。
言葉は希望の架け橋になると考えています。

川上航希『言葉の力』より。

自分も言葉がもたらす力は本当に大きいものだと思っています。例えば、自分の好きな曲・歌を思い浮かべたとき、その歌詞が自分の感情を動かしたり、原動力になったりと。自分がそういうものに影響を受けやすいからなのかもしれませんが、一度はそういった経験があるのではないでしょうか。

そんな言葉を自分の手で書く、綴る、可視化することの重要性を感じるきっかけがあったのでそれらを踏まえて書いていこうと思います。
安定の浅さで綴ります、ご容赦ください笑


言葉がもたらすもの


綴ることの前に、その綴るものとなる「言葉」についてちょっと考えましょう。川上のブログにも少し含まれているのですが、以前自分の書いたブログ、『『伝える準備』から得た、言葉の力をもとに。』で書いた内容とも被る部分が多々あると思います。このブログを読んだよー!、と記憶のあるみなさま、ありがとうございます。え、まだ読んだことないよ、というみなさま、ぜひご覧ください。↓↓↓ブログはこちらから↓↓↓

 簡単に内容を説明すると、私の尊敬する元日本テレビアナウンサー(現フリー)の藤井貴彦さんの書いた『伝える準備』を読み、「言葉を選び、”伝えるための準備”をする」ことについて自分なりに考えてみる、というものでした。

 そこで私は言葉を、自分自身が周りの人々とコミュニケーションを取ること自分自身を分析しより深く見つめることすべての事柄における”準備”である、と考えたのです。

夜とカフェオレと日記帳


そんな言葉を準備するため、藤井さんは日本テレビに入社して以来小さな空間に5行だけ記す日記、通称5行日記を書いていて、言葉選びの土台にしているのでした。

そして、以前のブログで私たち慶應競走部長距離ブロックのメンバーも毎日欠かさずにスプレッドシート通称:スプシ)に日々の練習の記録、いわゆる練習日誌をつけていると書いたのですが、ここ最近私は、それとは別に新しく始めたものがあります。それが、この見出しにもなっている「夜とカフェオレと日記帳」です。

「夜とカフェオレと日記帳」、みなさんご存知でしょうか。「夜とカフェオレと日記帳」とは、

一日のご褒美に、温かい飲み物と新習慣。へこんだことや嬉しかったこと、楽しみなこと、『今日のふり返り』と『明日やること』に数行書き出してみましょう。
サッパリ身軽に明日を迎えるための日記時間、始めてみませんか?

【新装版】「夜とカフェオレと日記帳」帯より

という、文庫本サイズの日記帳です。少し前にSNSなどで流行り、ずっと気になっていました。見た目のかわいさ、名前のおしゃれさ、1日の終わりのデトックスタイム、ティータイムに日記をつけるという斬新さ、文庫本サイズで1日1ページという手軽さに惹かれ、3か月ほど前から毎日日記を書き始めました。

日記をつけることは、藤井さんの影響もあるのですが、私の父の影響もあります。父は毎日、かなり大きな日記帳にその日のことを記しています。小さなころからその姿を見ていた私は、「こんなに何書いてんだろうな、そんなことしてないで俺と遊んでよ」と思っていました。少しですが、日記をつけ始めた今になってみれば、自分を見つめなおす貴重な時間だったんだと気づきました。

「夜とカフェオレと日記帳」表紙
中身はこんな感じ。これなら簡単に書くことができますね。

綴ることで


今から3か月前の5月16日からこの日記帳に日々の記録をつけるようになったのですが(もちろんスプシもちゃんと書いています)、書き始めと最近で、記す言葉の量と質が上がっている実感があります。過去の日記を振り返り、今と比較してみるとページのつまり具合が違うことがわかります。本当であれば、比較として写真を載せたいところですが自分の日記を公開するのはかなり恥ずかしいので、控えさせていただきます、お許しください。決して悪いこと、変なことを書いているわけではないのでご安心ください笑

毎日寝る前に、その日に起きたことを振り返りながら、自分の気持ちと向き合って、正直に、思った通りに綴る。これを続けていることで、自分の気持ちにより正直になれている気がするし、次はこういう風にかいてみようかなと、より表現の幅が広がり、繊細に自分自身と向き合える。また、その日のことを振り返りながら綴ることで、一度起きたことをもう一度楽しむことができる、まさに「1粒で2度美味しい」状態です。これはアーモンドグリコのキャッチコピーでした(志木高生ならわかるでしょうか、森岡さんが持ち込み可のテスト前によく言うセリフです)。

走ること≒綴ること


とても飛躍的ですが、このブログを書いていて、走ることと綴ることはどこか同じようなものな気がしてきました。よく、陸上の経験がないひとから、「純粋な疑問なんだけど、走るときってなにを考えてるの?」と聞かれることがあります。実際私は、そこまでなにも考えていないと思います。ほぼ無心状態、強いて言えば自分と向き合っていると言えるかもしれません。日記を書く時も、細かく言えば今日起きたことについて考えていますが、それは自分と向き合う時間であると思います。

長距離選手にとって練習は継続して毎日するもの、また日記も継続して毎日書くもの(人によっては週単位で書くひともいるかも)です。

そして、日記を書く、なにかを綴るとき、私たちはペンを走らせています

最後のものはかなりネタ臭いですが、すなわち、走ることと綴ることは「≒」で結ぶことができるのではないかと私は思っています。


綴ることで、より自分と向き合い、自分の気持ちに正直になれる。日記を通じて、自分自身を見つめなおし、何か少しでも自分の走りに生かすことができればいいなと思います。勝負の箱根駅伝予選会まであと57日、全力で駆け抜けます。

今回も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。みなさんも日記をつけ始めてみてはいかがでしょうか。本稿の中でとりあげた「夜とカフェオレと日記帳」、実はほかにも、朝書く人用の「朝とコーヒーと日記帳」、週末にまとめて書く人用の「週末と紅茶と日記帳」というバージョンがあります。宣伝をしているわけではありませんが、日記をつけたいけどめんどくさがりで続かない、その一歩を踏み出せない人、おすすめです。ぜひ一緒に書き始めましょう。

次は、紋別の地で練習に取り組んでいる太陽です。太陽頼んだよ!!

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