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障がい児の甥は自由に生きるのお手本

わたしには重度の知的障害の甥っ子が
いる。自閉もあるので、こだわりも強い。

名前はげんちゃん。
今施設に入所している。

彼は18歳。
次男と同い年だ。

10月にげんちゃんは生まれ、
12月に次男が生まれた。

げんちゃんの母である姉は
出産後すぐに離婚をして実家に
戻って来たので

げんちゃんと次男は一緒に育った。

はじめはげんちゃんに障がいがある
ことがわからなかった。

赤ちゃんは月齢で成長が変化する。

次男とげんちゃんの成長具合は
だんだんと離れて行っていた。

「すぐに追いつくよ」
「げんちゃんもできるようになるよね」

そんな会話をよくするようになっていた。

げんちゃんが2歳になった頃だっただろうか。
その日は姉がげんちゃんを病院に連れて行って
不在だったが、わたしは子どもたちを連れて
実家に遊びに来ていた。

そろそろ帰ろうかなと思った時、姉が
げんちゃんと帰って来た。

部屋に入るなり姉は
「げんちゃん、障がいがあるって診断された」
と涙をこぼしながら話しはじめた。

姉の涙は一生忘れないだろう。

姉がげんちゃんの障がいを受け入れるの
には時間はかからなかった。


わたしは昔から自由に憧れていた。

どうしたら自由に生きれるんだろう?
そんなことを考えていたら

目の前にげんちゃんがいた。

げんちゃんはいつも自由だ。

やりたくないことはやらない。
やりたいことだけやる。
食べたくなかったら食べないし、
行きたくなかったら行かない。
欲しいものは買う(買ってもらう)
寝たければ寝るし
起きて遊びたかったら人を起こして
まで遊ぶ(迷惑です笑)

姉に
「げんちゃんってやりたいことしかやらない
から、ストレス溜まらんよね~」って
言ったら

「げんちゃんなりに、ストレス溜まってて
円ハゲできたらから」と怒られた。

確かに、げんちゃんは喋れないので
ストレス溜まるよな。

でも、そんなげんちゃんを見ていて

やりたいことだけやっているげんちゃんは
わたしの自由のお手本だと思ったのです。


そこには人間社会の駆け引きなど
一切ない。純粋そのものである存在として。

ひとは生まれた時はみんな純粋で
自由だったはず。

いつしか頭で物を考えるようになり
直感で生きることをやめてしまった。

げんちゃんと一緒にいると
こだわりが強いので
めんどくさいな~って時もあるけど

自由に生きている彼と接すると
しあわせな気持ちになるのです。

それは彼のこころが純粋だから。








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