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子どもは無限の力を持つ存在であること

我が子の野球の応援に行く。
ドキドキハラハラだ。
息子は大丈夫かと心配もあるが、一球一球投げ込まれるボールを息をのみながら見ている私はもはや無心。
そこには信用も信頼もない。
ただ、起きている出来事を固唾をのんで見ている。

もし、あなたが子どもことを心配しているとしたら
心配しすぎてよいことはない。

親が心配し続けることで
子どもはずっと親から心配され続ける人になってしまいます。


よく「人を救いましょう」と聞きますが(災害や事故などの場合を除き)
救おうとした時点で相手は「救わなければいけない、かわいそうな人」になってしまいます。福祉の現場でもよくある話です。

これは相手に失礼になります。
常に相手をリスペクトすることを忘れない、これがとても大事な考え方だと思います。つまり、目の前の人の力を信じることです。

子育てもこれに当てはまり、子どもを心配しすぎるのはやめた方がいいでしょう。

では、どうやったら心配することをやめられるのでしょうか。


私はあるメンターからこう言われたことがあります。

「あなたが子どもを心配しつづけることで、子どもの力を奪うことになりますよ」と。

なるほど、心配すると子どもに迷惑をかけてしまうから、心配しないようにしよう!と決めました!!  
あっ、無理でした(汗)
当たり前すぎる話で、すみません・・・。

人間の思考は「思わないように」と思えば思うほど、思ってしまう仕組みになっています。

失敗しないようにと呪文のように繰り返し唱えているのに、失敗してしまった経験がある人も多いのではないでしょうか。

メンターは子どもへの心配をやめられない私に何を伝えてくれていたのでしょう。

それは

子どもの中にある無限の力を信じることが、何よりの子どものサポートになるということを教えてくれていたのです。


親に「あなたのことをいつも信じている」と言われるのと、
「あなたのことをいつも心配している」と言われるのでは、
どちらが子どもにパワーを与えてくれるのか、想像しなくてもすぐにわかると思います。

無限の力なんて言うと、ちょっと想像しにくいかもしれません。

そんな方にお勧めなのは
「子どもを信頼する」はいかがでしょうか。

子どもの力を奪ってしまうというメンターの言葉に傷ついた私はしばらく落ち込んでいました。しかし、ある時、はっと気づいたのです。

子どもを心配するのは仕方がない。心配をしている自分に気づいたら、
「でも、子どもを信じよう」
「でも、子どもを信頼しよう」と転換していきました。

信頼した結果、ほら、心配しなくても大丈夫だったという結果を積み重ねるうちに、子どもを自然と信用していくようになり、信用も信頼も考えなくなりました。

子どもにルールや何か規制することもなく
やりたいと言ったことは「いいよ」とやらせていましたが
特段私を困らせることなく、成長していきました。

高校野球引退時に
「いつもやりたいと言ったことをやらせてくれて、ありがとう」とお手紙をもらいました。私の子育ての何よりのご褒美でした。

信頼することは最初練習からはいりましたが、信頼しようとしなくても
「子どもは無限の力を持つ存在なんだ」と自覚するだけでいいと知ったのはつい最近の話。

でも、全部話は繋がっているものですね。

冒頭でお伝えした野球を見ている私の気持ち
「そこには信頼も信用もない」それがベストな形。
しかし、実は信用も信頼も必要ではなく、「子どもは無限の力を持つ存在なんだ」と自覚するだけでよかった。自覚するだけでよく、私のように信用とか信頼は忘れても大丈夫。

補足で、勝負の勝ち負けがあることは、無限の力を持つ存在だらか勝つということではない。そこにはどうしても実力の差や運も存在するだろう。
しかし、無限の力を持つからこそ、いくらでも人生を創造していけるということなのだと思う。







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