けいしゃ
私自身の人生を初めから書いていこうと思います。 自分史と言うには大それていますがそんな感じ。
今年のお盆休みは土日祝日を含め6連休。 オットはカレンダー通り平日は仕事だったので3日ほどは1人で過ごす休みとなった。 そんな長期休みであるにも関わらず何をしていたかも思い出せないくらい、 特に何もしていない。 それでもお盆休み中には墓参りにはいこうと思っていた。 私の実家のお墓はつい最近母が仲間に入って、アッチの世界ではさぞかし賑やかであろう。 私が生まれる前、赤ちゃんの時代に亡くなったすぐ上の姉が、やっと母に甘えられているだろうか。 実家のお墓は、千葉にある大きな霊
昨年8月に母を亡くし、少し早いが来月に一周忌を行うと父から連絡があったのは昨日のことだった。 まだ一年は経っていないけれど、時折母を思い出すことがあったのは自分でも意外に思うことだった。 母が亡くなった時に書いたことだけど、私は母とは特に仲が良かった訳ではない。 家族として一緒に暮らしていた頃は、衝突することが多かったように思う。 私の外見は母方だが、中身は母方ではなかった。 いや、今思うと同じだったからこそ衝突に至ったのかもしれない。 同棲を決めて実家を出た後は
スターバックスといえば、1996年に日本初上陸し、 今に至るまで何年も人気不動のオシャカフェである。 私のスタバ(愛着を持ってここではこう呼ぶことにする)歴は初上陸から共に歩んでいたので すでに30年近くである。 最初は中学から高校へ上がるくらいで、姉と共にハマり飲み歩いた。 当時からのお気に入りはカフェモカ。 コーヒー+チョコは食べ合わせでよく聞くが、一緒にするなんて…当時の小娘にはだいぶ衝撃だったはずで 狂ったようにスタバへ行けば飲み続けた。 またスタバのホイップにも衝
今日は2023年12月31日。 作りすぎた体で作った筑前煮をタッパーに取り、自宅から30分程度で着く実家へ渡してきた。 連絡はしてなかったが、父がいて姉も近所で仕事だったようでタイミングよく一時帰宅して顔を見ることができた。 母だけは8月に亡くなったので会うことはできなかった。 振り返れば2023年は私にとって波動の年だった。 1月から4月は今思えば暖気中だったのかもしれない。 特にこれといった変化はなし、日常を普通に過ごしていた。 5月、ロードスターが一堂に会す大きな
珈琲茶館OBという喫茶店があるのを知ったのは、16年ほど前の私が26歳頃の頃だったと思う。 きっかけは新しく入ったアルバイト先で知り合った友達だった。 その友達は埼玉県の八潮市に住んでおり、他愛のない話の流れから、 昔から行きつけのカフェというか喫茶店があると私に告げた。 その喫茶店は友達のお気に入りで、昔から行っていて落ち着くので、是非私にも紹介したいと言ってきた。 当時車人間だった私だったが、そのアルバイト先へは電車通勤をしていたので、帰りに私の地元まで電車でき
2023年のお盆は台風が直撃し、晴れていたかと思えばザーザー降りの雨となったり とにかく気性の激しい、まるで私の母のような天気だった。 そんな気性の激しい私の母が、お盆休みに突入したばかりの8月12日に亡くなった。 先日、愛犬こすもが亡くなったとお知らせしたばかりだったにもかかわらず 不幸と言うものは続くものなのだな、と思った。 お腹が痛いので検査入院をする、と聞いたのは7月の頭だったと思う。 何度か別な病気で入退院はしていたので、いつもの塩梅ですぐに退院してくる
2023年7月24日、16歳と3ヶ月で私の愛犬・こすもが現世から旅立った。 今まで3匹飼ってきた中でも長寿だったこすも。 こすもを飼い始めたきっかけは、その前に飼っていた犬を亡くしたことだったと思う。 私は思いの外ペットロスになってしまっていた。 当時付き合っていた人と別れたばかりだったこともあったと思う。 毎朝起きても悲しくて毎晩眠りに落ちる前も悲しくて、どうにもならなかった。 そんな時に気分転換にペットショップへ立ち寄って、まだこすもではなかった「こすも」と出
私は自分で言うのもなんなのだけど、人当たりも良く、誰に対しても寛容で、 なんでも受け入れ、よく謝ってしまう人間だ。 それが利点でもあり、損点でもある。 人と話すことは好きだが、実は人見知りで、初めから自分のことを話すことが苦手というか、億劫になる時がある為 初めて会った人にはこちらから話を振って聞き役に徹しがちである。 気の置けない仲になれば別であるが、基本的なスタイルはこれであると言っていいだろう。 少し前まで、私は会社が好きだった。 自分のペースで仕事ができ
私は今の住まいに引っ越してきてようやく1年になろうとしている。 今までは生まれ育った実家に30年、また彼氏だったオットの家に転がり込んで約10年。 どちらも同じ区内であったので、特に目新しいこともなかった。 基本的に車移動だったので、歩きや自転車で動いたのは主に幼少期を過ごした実家近辺だったと思う。 オットの住まいだった地域も多少なりとも散策したとはいえ、そこまで愛着のある場所だと思わなかった。 今の住まいは実家の地区の隣の隣の地区なので、そんなに離れていないし、な
もうすぐ私の車の総走行距離が10,000kmに到達する。 今まで3台車を乗り継いできたが、最初の車だけ中古車だった。 中古車でも40,000km走っていた車で、9年乗って最終的には130,000kmほど走っていたように思う。 そう考えると、新車で100,000km走ったくらい2度目のことだし、特に何も思わないのだが なんとなく新車の20kmから始まった100,000kmはとてつもなく思いが深い気がする。 最初の車が9年乗って90,000km、今回の車が約7年乗って1
今の私しか知らない人にはなかなか信じてもらえないけれど、 私は小学校の半分と中学校全て、登校拒否をしていた。 小学生時代そもそもはいじめが原因だったが、後半は学校へ行けなくなって同級生に馴染めなくて そのままズルズル登校拒否をしてしまったような気がする。 中学へ通うことがままならなくて、学力が落ちる一方ではあったが、 不登校児童を救済するようなプログラムがあり、 とある小学校の一角に建った小屋で定年退職された先生が勉強を教えてくれていた。 当時の私は「学校」とい
私のいる職場は男性社員が多い。女性社員は比率的に全体の3割程度だと思う。 職場の雰囲気はアットホームで、いい意味で言えば、女性に優しいし 悪い意味でいうと、男尊女卑的な部分も残る古き良き会社と言える。 私はこの会社の業界が好きなので5年も6年も続いているが、 大体新入社員は3年をめどに他の会社へ巣立って行ってしまうのがデフォである。 私の部署は女性社員が私を含め5名、パートさんが1名。 男性社員は4名なので会社全体から見ても女性比率の高い部署と言える。 私が働い
堂々とタイトルにも書いたが、私はリップクリームが苦手だ。 苦手になったそもそもの原因は、 母親の唇にべっっっっっったり塗りたくられた口紅だったがトラウマだったのかもしれない。 母の母、私から見たら祖母であるが、その祖母は商店街で化粧品店を営んでいた。 母も独身時代はその店を手伝って、化粧品は好きだったようだ。 結婚後も試供品をもらって試すことも度々あり、試供品といえど余すことなく使い切りたい母は 前途の通り、口紅をべっっっっっっっったり塗りたくって過ごすことが多か
家探しに入る前に我々の車の話をしておこうと思う。 家探しとは少し関係のない話かもしれないので、外伝とする。 とはいえ、そんなに大それたことではないのに外伝とサブタイトルをつけて恥ずかしい気持ちでもある。 ご興味があれば一読いただければ幸いである。 ※**** ⭐︎ 私たちと車たち ~主に私の車~ ⭐︎ オットは車歴で言えば、私の2倍は長い。 約30年近く、車所有歴を切らすことなく乗り続けている。 その間に乗った車は私の知る限りでは7、8台だろうか。 スカイライン
⭐︎ 私たち夫婦について または家購入の動機 ⭐︎ 私たちは2021年の1月1日に入籍した。 なんだかんだ10年経った付き合いだったが、 入籍に至った理由のほとんどは家を買うことであった。 家を買うといってもひとことでは言い表せないくらい、選択肢がある。 マンションにするか、一戸建てにするか 新築を買うのか、中古を買うのか… 新築なら、建売や土地から探す手段もある。 私たちの暮らし方はこうだ。 まず、子を持つことはないだろう。 二人暮らしで、かつ共働き。 そして、
※※※ 私が生まれた時、家には1人姉がいた。 物心つくまで私は、この姉だけが姉妹だと思っていた。 どのタイミングで知ったかは、もう忘れてしまったけれど 私には姉がもう1人いることを知った。 ただし私は彼女と触れ合ったことも、同じ空間にいたことはない。 私の中でのもう1人の姉は、ほとんど空想で蓋を開けてみると空洞の人物だった。 私が生まれる一年前、姉は亡くなっていた。