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ゆく年をなぞう

今日は2023年12月31日。
作りすぎた体で作った筑前煮をタッパーに取り、自宅から30分程度で着く実家へ渡してきた。

煮込む途中の筑前煮


連絡はしてなかったが、父がいて姉も近所で仕事だったようでタイミングよく一時帰宅して顔を見ることができた。
母だけは8月に亡くなったので会うことはできなかった。

振り返れば2023年は私にとって波動の年だった。
1月から4月は今思えば暖気中だったのかもしれない。
特にこれといった変化はなし、日常を普通に過ごしていた。

5月、ロードスターが一堂に会す大きなイベントである軽井沢ミーティングの抽選に落選したものの
前日に行われるコマ地図ラリーという軽井沢周辺をコマ地図を頼りに巡るイベントに参加する。
ドライバーは私、コドライバーはオットで、たくさん道を間違えたがそれも一興として軽井沢周辺の知らなかった場所を巡った。
軽井沢ミーティング自体は今のNDを所有してから7年毎年行っている気がする。
しかしながら、自宅と会場の行き来のみで、観光なぞしたことがなかった。
今回おかげでより深く軽井沢を知ることができたし、何より来年も参加したいと思った。
古参の参加者がより運営側にアップグレードしていく気持ちがわかった気もする。

いつもお世話になっているパーツショップの架空第四駐車場パーキングミット(つまりは抽選漏れ
コマ地図ラリー申し込み書
いよいよ走行

6月、実はアスパラガスが食わず嫌いだった私。
会社の同僚ちゃんの旦那さんが北海道出身で、アスパラガスを送ってくれている物をお裾分けに頂き、
初めて口にすることに。
40数年生きてきて、食わず嫌いは良くなかったと実感。なんてことはない、甘く美味しい野菜であった。

いいベーコンでアスパラベーコン

そして6月後半はまさかのコロナ感染。
一週間ベッドルームに引きこもり、何もできなかった。オットに感染しなかったことが不幸中の幸いだった。
私の場合、味覚がおかしくなることはなく、熱と喉の痛みだったと思う。
さらにコロナが明けても終わりのない喉の詰まりが続き、スッキリしない咳を続け、会社の皆さんには大変なご心配をいただいてしまった。

初めてAMAZONネットスーパーを利用

しかし、久しぶりにベッドルームから出て、車に乗り込んでオープンにした時の爽快感、空気が美味しいとはこのことだったのだと実感した。

7月はイラストレーターのうかうかさんが描く、こいぬちゃんの展覧会へいくことにした。
阿佐ヶ谷という土地へ電車ではなく車で行くという暴挙…我ながら感心してしまう。
何とかなるという気持ちで向かったものの駅前ということもあり大変道が狭く、かなり苦戦した。
とはいえ、運は私に味方しどこにもぶつけることもなくコインパーキングへ停めて楽しむことができた。
いくつかポスターを買って、額縁に入れて部屋に飾ると辛い時でもクスッと笑うことができて後々よかったと思った。
好きな絵の展覧会は何だかワクワクする。ちょっと有名になってしまったので次回行くとしたら当時より大変かもしれない。

苦労して入った大変狭い駐車場
劇中に登場するパン屋さんで買い物
おしゃんなキャッフェでトマト抜きビーガンタコライスを食す
目的地のCLOUDS GALLERYにて
可愛くて味のある原画たち
こいぬちゃんのぬいぐるみもお迎えした

同じく7月は妙にとうもろこしにハマってしまい、ちょくちょくとうもろこしご飯を作っていた記憶がある。
実はとうもろこしも子供の頃はそこまで好きではなかった。
大人になってから料理する喜びも相まって、季節の野菜を摂ることに敏感になっていたのかもしれない。

良きもろこし
HARIOの炊飯器でぎっしりとうもろこしご飯
バター最高説
完成
時を同じくして空芯菜の炒め物にもハマった


7月後半から今日まで、怒涛の5ヶ月だった。

たまたま実家に帰った時に母が、お腹が痛いので少ししたら検査入院するよ、と言っていた。
年をとっているし、少し前からこんな感じで入退院を繰り返していたので、特にそこまで心配せず見送った。
その間に実家に置いて来た愛犬のこすもが16歳で亡くなった。
そして母は入院して3週間も経っていなかったかもしれないが、8月12日に息を引き取った。

こすもへ捧げる花束

8月はお葬式などでバタバタして、悲しくて寂しい感覚をどこかに置き忘れて動いていた。

そんな折にボーナスが入り、ずっと欲しかった苺のバッグを購入。
写真で見ても可愛かったけど、現物が来たら余計可愛い!しかし、あの苺の形である。
まず長財布は入らない。携帯も大きいと入らないしキーケースなんてもってのほか。
おしゃれには忍耐が必要なことを思い出した。
財布を詰め替えるのも面倒だし、意外と高価なバッグだったので出番が少ないのが現状である。
母の棺に入れるお供えを買いに行った時に一緒に連れて行ったのは、
子供の頃に好きな物を持ってお出かけに行った気持ちを思い出したかったからかもしれない。
その時は母も一緒だったから。

ボーナスで買った黒苺バッグ
棺に入れる、思い出のマフィン
好きだったローズティーも共に

9月はロードスターのメディア対抗4時間耐久レースとマツダファンフェスタを観に行く。
メディア対抗4タイは名の通り車雑誌各社や、SNSなど車にまつわるメディアが
それぞれに同じレギュレーションで車を仕上げてレースする、4時間のレースである。
開催される筑波サーキットは我が家から一番近いサーキット場で食堂のモツ煮定食が大好きだ。

入場パス
筑波サーキット名物もつ定食
シンプルだけど美味しい。受け取り口にあるオリジナルの七味がとても美味しい
サーキットの中へ

関東でファンフェスタが開催されるのは3年ぶりくらいだったと思う。
広島へは行った事がなかった私たちだが、こういうイベントで地元をの特産を連れてくるマツダが好きだ。
ここで初めてMXー30のRーEVがお披露目されて、少し欲しくなったのもいい思い出である。

ファンフェスタの旗
ウクライナカラーロードスター
広島限定のお菓子はとにかく買った

そして10月には弾丸広島旅行へ繰り出すことに。
名古屋(愛知)→神戸(兵庫)→広島→徳島→フェリーで東京を車で4泊するという過酷な旅行。
そもそもは車の里帰りをさせたいとずっと思っていたので、車で巡るのは決まっていたし目的も決まっていた。
そこに肉付けた形で欲張りなツアーとなってしまったのだ。
旅行計画など初めて立てることだらけでオットとも衝突を繰り返し、
一時はもう行くのをやめるとまで言ったこともあったけど結果行くことになって、本当に良かったと思っている。
実際のところ、関東しか行動範囲のなかった自分が、オットの力を借りてここまで行動ができたことが驚きである。
今の車に乗り始めて、ネットを通じて知り合う事ができた車友達が全国各地にいてくれる事が
自分の行動にもつながっているのではないだろうかと思っている。
今度は上の方へも行ってみたいなあと思った。
フェリーに乗るのも苦ではないことに気づいたので、これはもう全国行けるやつである。

一番の目的地、里帰りさせてあげられた
しまなみ海峡大橋、オープンで通ると額縁からはみ出る絵のよう
フェリーから見たなにも遮るもののない太陽
美しい夕陽
普段上を走るだけだったゲートブリッジをくぐる
持ち帰ったお土産。トランク容量の限界につきちょっとずつ買う戦法を取った。

11月 その旅行から帰った後、オットが急に体調を崩し急遽救急車を呼ぶ事態になった。
今となっては救急車を呼んで良かったと思う。また、急患を受け入れてくれる病院の少なさに改めて悲観した。
やっと受け入れてくれる病院を見つけて行ったところで我々以外にも数分に1人くらいの感覚でやってくる急患。
それじゃあ仕方ないよね、と思わざるを得まい。
その後で重篤な症状のため、さらに転院することとなり、そこでも受け入れてもらえる病院を探す。
19時ごろに救急車を呼んで、全て一旦終わったのは明け方3時ごろだったかと思う。
次の日は会社でも自分がいないと迷惑のかかる日だったので、眠い目を擦ってどうにか出社したのを覚えている。
午後には転院先の病院より、容体が安定したとのことで最初に運ばれた病院へさらに転院。
一週間ほどで退院できたのだが、オットの弱った姿を見るのは辛かった。
今は安定しているのでほっとしているが、今後もこういうこともあるかもしれないという心構えができた。

11月後半からはスタバのクリスマスメニューであるジンジャーブレッドラテをとにかく飲んだ。
オットの楽しみにしているヤマザキのバターケーキも予約した。

毎年柄が可愛い
バッグも可愛い
毎年の行事

12月になって、忙しさの中にも平穏を感じることが多くなった。
キッチンの一角にIKEAのパソコン台を利用して棚を作った。好きなように飾れるスペースとなった。
年末ギリギリではあったが、ボーナスも一応出たので一安心。

まだぐっちゃぐちゃではあるが、余白が増えたのでできた料理を一時的に置けるようになった。

そして今日である。
そもそも掃除が得意なタイプではないので上手くできていないのだが、
自分的に大掃除をしたが終わってみればできているのか疑問である。
後は夕飯の支度して洗濯物を片付けて、オットの帰りを待つと言ったところである。
オットは年末ギリギリまで仕事で大変そうだ。

実家を出る時に、玄関に咲いている椿が今まで見てきた中で一番咲いていた気がした。
私が物心つく時にはすでに植っていた椿であり、子供の頃は蕾をもいでいじめてしまった椿でもある。
父によく咲いているねと言うと、持っていくか?と言うので少し切って持って帰ってきた。
仏前で線香をあげている時に、母のことを思い出してなんだか切なく思った。
特に親孝行なぞしていないし、何かに応えてあげたわけでもないのに、何かと気にかけてくれていたのかなと。
帰る時はいつも、気をつけて帰んなさいよ、と言いながらこすもを抱いて私の車を見送ってくれた。
亡くなったのは4ヶ月前だったけれど、今になって悲しくなるもんなんだな。
父には後悔の無いように親孝行ができればいいなと思った。

2023年はいいことと悪いことの落差が激しい一年だった。
来年は一年、とりあえず平穏な日々であることを祈るばかりである。

来年はいい年になりますように


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