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【Story of Life 私の人生】 第16話:新しい友達

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第15話:突然の喘息発症 をお送りしました。
今日は夏休みから新学期、そして新しい友達が出来た時のお話です。

学校生活は相変わらず仲間外れ状態で、全く楽しくない日々。
学校に行くことが苦痛でしかなく、また家は家で、意地悪なお姉ちゃんとその手下の妹、不機嫌な母の顔色をうかがって過ごす生活。
友達は誰もいないから、学校の同級生と遊ぶこともなく、学校から帰宅するとしばらくは先生の下の娘2人と遊んで、お姉ちゃんが帰ってくると2階上がって、1人でぼーっとしていることが日常となっていました。

どうやら母は、私がお姉ちゃんから陰湿ないじめをうけていることを知っていた模様です。
ある日、母は私を呼んで「お姉ちゃんは国立の小学校に行っているから、頭が良い。お前は公立の小学校だから頭は良くないけど、せめてお姉ちゃんや先生に馬鹿にされないように、しっかり勉強しなさい」と言いました。
そして、国語、算数、理科、社会のドリル(問題集)と、日記帳を渡されました。
「そうか、馬鹿にされないようになれば、いじめられないのか!」と、目から鱗状態の単純な私。
その日から、母からドリルを何ページやるという毎日のノルマを与えられて、日々こなしていくようになりました。

日記は、その日の出来事を書くことになっていたのですが、学校での出来事を馬鹿正直に書いていたことを覚えています。
母は、それを読んで、私の学校での日常を探っていたのかも知れません。
「日記を書く」イコール「字をたくさん書く」ことになるので、毎日続けているうちに、少しづつですが右でも普通の速さで文字を書けるようになっていきました。
余談ですが、そのお陰で二学期に入ってからは、授業中にノートを書き終えることが出来るようになっていました。

話を元に戻します。
そうこうしているうちに、季節は変わり夏休みとなりました。
同級生たちは、週に2日くらい、学校のプールに行くことになっていましたが、私は喘息でプールの授業を受けられなかったので、行かずに済みました。
学校生活から完全に解放され、みんなに会わなくて済むというだけで、かなり気が楽になったことを覚えています。

また、1970年は大阪万博の年でしたので、先生一家や同級生達は、家族で大阪まで万博見物に行っていましたが、我が家は連れて行ってもらえませんでした。
その代わり、夏休みに入ると同時に、母に行田に連れて行かれ、お盆が終わるまでの約3週間、1人で預けられることになりました。
先生の子供達も夏休みですから、ずっと家にいることになるので、両親は、私と引き離しておいた方が良いと判断したのかもしれません。
また、夏休み期間中は先生ご夫妻共に家にいる日が多かったので、そういう意味では、子守りや2件分の家事負担が少しは減りましたので、母も少しは気が休まったのではないかと思います。
もしかすると私が家に居ない間、骨休めしていたのかも知れません。

一方、私にとっては、毎度お馴染みの行田生活。
大人達は朝から畑や水道屋の仕事に出かけてしまい、私は1人家で留守番と店の電話番の日々。
ただ、学校の宿題や、ドリル、日記という「課題」があったので、幼稚園の頃に比べると暇をもてあそぶことは少なくなっていました。
ご飯は、相変わらず「味噌おにぎりと味噌汁だけ」だったのは、言うまでもありません(笑)
両親は、私を行田に預けるにあたり、夜の喘息発作を心配していましたが、行田にいる間は、何故か練馬にいる時よりも発作はずっと軽く、自分で咳止め用の吸入をすれば治まる程度でした。
今になって思えば、やはり「ストレス」が一番大きな原因だったのではないかと思います。

母は今まで同様に、お盆休み前後の1週間は行田に来て、畑仕事やお寺の手伝いをしていました。
幼稚園の頃は「1日でも早く東京に帰りたい」とあんなに思っていたのに、小学生になったらどっちでも良くなっていて(笑)

お盆が終わり、母と一緒に東京に戻り、2週間経ったところで夏休み終了。
二学期が始まりました。
クラスでは、相変わらず仲間外れにされ、みんなからいじめられて、ひとりぼっちの日々が戻ってきました。
ただ、字を書く訓練が功を奏して、授業でノートに書くスピードが皆に追いついていけるようになっていたので、休み時間は、みんなに取り囲まれる前に、逃げることが出来るようになっていました。
それだけでも大進歩!とはいえ、相変わらず「いじめのターゲット」に変わりはありませんでしたけど(笑)

そんな日常に戻ってから、2週間くらい経った、9月半ばのある日のこと。
朝の朝礼の時に、先生が1人の女の子を連れて教室に入ってきました。
当時はまだ返還されていなかった沖縄から、お父さんの転勤で転校してきたM子ちゃんでした。
「転校生」に対して、このクラスの同級生がどういう接し方をするのかを、3ヶ月間、身を持って体験してきた私は、何故か強い正義感が生まれており「彼女には絶対に私と同じ思いはさせない!」と心に誓っていました。
先生が彼女に私の隣の席に座るように言い、彼女が隣に座ったところで「ケイコです。よろしくね」と挨拶しました。
緊張していた彼女も、少し安心したのか、笑顔で「M子です。よろしくね」と返してくれ、その瞬間、私達の間に絆が生まれました。
休み時間に、自分も転校生だということを話し、彼女が何故東京に来たのかなど聞いたりで、話が弾みました。
家も近所だったので、その日は色々な話をしながら一緒に下校し、お互いの親に「今日、新しい友達が出来た!」と報告しました。
翌日からは、一緒に登下校し、学校が終わった後は一緒に遊ぶようになりました。
その少し後になって、私が転校する前まではずっと「いじめ」のターゲットになっていたN子ちゃんが、私たちの仲間に入ってきました。
同級生達の私に対する態度や、意地悪、暴力は相変わらずでしたが、2人も友達が出来たお陰で「もう仲間外れのひとりぼっちじゃない」と、味方が出来たことが心強く、ちょっとだけ幸せに感じるようになりました。

余談ですが、お金といえば米ドルしか知らなかったM子ちゃんと、日本円しか知らない私。
小さい子供ながらも、文化の違いみたいなものを感じたことを覚えています。
おつかいに行くときは、いつも一緒に行き、どのお金を出すか教えましたっけ。
M子ちゃんとN子ちゃんは、今でも年賀状のやりとりをしている仲です。

今までに比べると、人生が「パラダイス」状態に変わった二学期。
それでも、事件はまだまだ続いていくのでした。

〜続く。

今日はここまでです。
次回は、第17話:初めての授業参観日 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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