見出し画像

【Story of Life 私の人生】 第17話:初めての授業参観日

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第16話:新しい友達 をお送りしました。
今日は、小学校初めての授業参観日のお話をしようと思います。

学校といえば、授業参観がありますよね。
私が通っていた小学校も、お母さんが来る「授業参観」と、1年に1度、お父さんが来る「父兄参観」とがありました。
両親とも、一応学校に来てくれたので、それはそれで嬉しかったのですが…

事件は、小学校初めての授業参観の日に起こりました。
私が小学校に入った時点で、父も母も、既に41歳。
一方、他の同級生達のお父さん、お母さんは、ほぼ20代後半から30代前半。
母は白髪がかなり多かったのですが、白髪染めをする暇もままならない日々を送っていたため、授業参観の日には「よそ行き」の服を着てきてくれたけど、頭は白髪で真っ白状態でした。
若いお母さんたちの中で、母だけやたら目立つ訳です。
私はそんなことは全く考えもせず、母が学校に来てくれたことが嬉しく、普通に授業を受けていたのですが…

授業参観が終わって、親達がPTAの集まりに行ってしまった後の休み時間のこと。
同級生達から「お前の家、お母さんいないの?」と、想定外の一言が!
「えっ?この子達ったら、一体何を言っているんだろう?」と、咄嗟には理解出来ない私。
何も言えず、唖然として考え込んでいると「だって、おばあちゃんが来てたじゃん!」と驚愕の一言が飛んできて、みんなに大爆笑されてしまいました。
それを聞いた私は「うちのお母さんは、おばあちゃん」なんだと、恥ずかしさで一杯になってしまい、うつむく事しか出来ませんでした。
当然ですが、その日からしばらくの間、学校で「お前の母ちゃんは、おばあちゃんだ!」と、みんなからからかわれたことは、言うまでもありません。

家に帰り、私が母に対して発した第一声は、あろうことか「お母さん、もう二度と学校には来ないで!」でした。
母から「どうして?」と聞かれたので、馬鹿正直に「だって皆から、お前の家はお母さんじゃなくて、おばあちゃんが来たって言われて、恥ずかしかったから」と答えてしまったのです。
それを聞いた母から、思いっきり顔に往復ビンタが飛んで来ました。
「え?恥ずかしいだって?じゃあ、今すぐここの家から出て行きなさい!恥ずかしくないお父さん、お母さんの家に行けば良い!」と言われ、2階の部屋から追い出され、鍵をかけられてしまいました。
どうすることも出来ず、暫くの間、家の近所を夢遊病患者の如く、途方に暮れてトボトボ歩いていました。
外が暗くなり、少し寒くなってくると、気温差で喘息発作が出て、咳が止まらなくなり…
もう家には帰れないと思い、とりあえず、近所のかかりつけのお医者さんに助けを求めに行きました。
先生は「発作が出て、今ここに来ている」と、家に電話を掛けてくれました。
吸入をしながら少し待っていると、母が迎えに来たのですが…
顔を見ると、まるで鬼のような形相をしていて、本当に怖かった…

家に戻るまでのわずか数メートルの間に「お母さん、ごめんなさい」と謝りましたが、母は一切何も言わず。
家には入れてもらえたものの、その日、母は父とは話をするものの、私が話しかけても完全無視状態で、一言も言葉を発しませんでした。
これで「私はどうやら大きな地雷を踏んでしまったらしい」と、自分が発してしまった言葉の重みを、ずっしりと感じざるを得ませんでした。

翌日からは、事あるごとに「私は、恥ずかしいおばあちゃんだから、お前のためにはもう何もしない」とか、「荒川の河川敷で拾ったのが間違いだった。捨てに行かなくちゃ」などと言われるようになってしまいました。
ああ、もう一生許してもらえないのかも知れないと思うと、本当に悲しくなりました。

今では、母の年齢での出産は当たり前になっていますが、当時は確かに他のお母さんと比べてかなり歳が上だったことは事実です。
34歳で私を産んで、ここまで一生懸命育てて大きくしてくれたのに、感謝の言葉どころか「恥ずかしい」と言われることになるとは!
母にとっては晴天の霹靂だったと思います。
母の心には、多分「高齢出産」という負い目があったのだろうと思いますが、私がその負い目の傷を思い切り広げて、更に粗塩を思い切り塗ってしまったようなものなのかも知れません。
今になって思えば、母に対して本当に申し訳ないことをしたと思います。
ただ若けりゃいいってもんじゃないし。
どれだけ母の心をズタズタに傷つけてしまったのだろう…
もし、十条から引越してこなければ、こんな事態にはならなかったでしょう。
悔やんでも、時は元に戻らないし、一度吐いた言葉も元に戻りません。

その日を境に、母は「本当の鬼か」と思える位、私に対する態度が冷たく、厳しくなっていき、「否定的な言葉」しか、掛けてくれなくなってしまいました。
可愛いとか、良い子とか、よく頑張ったとか…
そんな言葉を掛けてくれることは、ほとんどなくなりました。
ただでさえ、厳しくて怖かったのに…
私と母の関係は、悪循環スパイラル状態に陥ってしまったのです。
ギクシャクしたこの関係は、この後もずっと続くことになってしまったのでした。

〜続く。

今日はここまでです。
次回は、第18話:二年生 〜 トイレ掃除当番の思い出 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?