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人の悩み苦しみの原因

悩んでる時ってつまり深刻ということが言えると思います。
そして人が深刻になるときって苦しみが伴うのだと思います。

人の苦しみの原因と言うのはハッキリしていると個人的には思います。
人が悩み苦しんでいる時というのは必ず今の事実に即して生きていないときだと言えます。

そこでこんな図を作ってみたのですが。

大人は事実よりも思考にリアリティーを感じる

我々の生活は誰一人例外なく、今自分の目の前で見えていること、聞こえていること、つまり物理的な事実の上に生きています。
ここ以外で生きられる人は誰一人としていません。
で、ここから外れると(本当には外れようもないが)苦しくなったりします。

この図のように、思考の世界に巻き込まれるとかなり深刻になってしまうのですが。
やっかいなのが大人にとってこの思考というのは目の前の事実よりも大変なリアリティーをもっているということです。

例えば道で知り合いに会って一瞬目が合った。
こちらは会釈したが相手は目をそらして立ち去った。
という出来事があったとします。
そのとき起こったことはただこれだけで、これが事実です。
それだけが確かに起きた現象です。

この出来事が起こったとき、体験した人の分だけ違ったパターンの思考が起きます。
これは先天性の気質と生育環境で培われた後天的要素の二つが合わさってその人独自の解釈が生まれる為です。

上記の出来事があったときにある人は「あ、気づかなかったかな」と思います。この場合その後に思考が連鎖反応的に続かないため現象はここで終わり、何も問題は起きません。

一方である人は「えっ?無視された?」と感じます。
出発点の解釈が「ないがしろにされた」というところですのでこの後の思考の連鎖はそれに伴うものとなります。
「え、嫌われてるのかな」「なにか気に障る事したかな?」「もしかしてあの時のあのことがいけなかったかな」「そういえばずっと前にBさんと会ったときも同じようなことがあったな」「さっきの人とBさんは仲良しだから二人は私のこときらいなのかな」「二人は私の悪口を言ってるのかな」「ていうかなんでそんなこと言われなきゃいけないのよ」などと、どんどん事実ではない方へ思考が加速していきます。

もう一度書くとこの思考がとてもリアリティーがあるので変な解釈をした本人はそのことがあたかも真実のように感じてしまうということです。
単純なことですがそれは事実ではありません。

事実として起こったことは目が合った(ように感じただけかもしれない)けど相手は挨拶をせずに立ち去ったということだけであり、しかもその事実はもう記憶の中にしかなく、すでに今目の前で展開されていることは別のことだということです。

どうしてここまで思考がリアリティーを持ってしまうかということは長くなるので別記事にしたいのですが、とにかくほとんどの悩みで起きていることはこのことです。
自分が出来事に対して起こした解釈から派生した事実ではない思考にどんどんハマっていくということです。

じゃあどうしたらいいの?となるのですが、まずはそのことを知ることです。
自分に何が起きているのかを知ることはとても大事です。

きっとこの記事のようなことは多くの人が書いているトピックだと思いますが、「そうだよね~」とは思っても本当に自分ごとにできる人はほとんどいません。
どうしてもそれを解消しようという方向性になったり、そのままでいいんだよ~的な方向へ行ったりしがちなのだと思います。

解消しようという方向性では思考を止めようとしたりもするかもしれませんが、そのようなことはナリに沿っていなくて本質的ではないというのが個人的な見解です。

それに「あなたはそのままでいいのよ」とたとえ誰かに言われたとしても、よくないに決まっていますよね、実際に悩み苦しんでいるのなら。
「そのままでいい」というのは究極的な意味では本当にそうでしかないのだけど、目下悩んでいる人にいきなりその結論だけ言うのは私は暴力的だとすら思ってしまいます。
絶対に本人は「このままでいいんだ」とは思えないからです。

じゃあどうしたらいいのかっていうのは、まずは知ることです。
自分がそうだったからわかるのですが、ほとんどの人は自分に何が起こっているのか知らないし、ヒトという動物のメカニズムや本質的な在り方がどんな風なのかを知らない。
知らないってことも、知らないんです。

本当に悩まないようになる、苦しみが取れるのって、解消する方向性では絶対にないし、本当には解消しなければならない何事もありはしないということなんだけど、一足飛びにはいけないのが本当のところで。
苦しい時ほど魔法が欲しいのが人のサガだけど、そういう類のものはまやかしだということをわかることも重要だと思います。

無明を晴らして苦しみを取るには、自分で自分を救うしか道はありません。
ずっとずっとそう思ってやってきたけど、やっぱり今日もそう思います。

そのようなことの一助になれるようなことを書いているつもりで、書いていこうと思っているところです。




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