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持続する幸せの正体は「全く苦しくない」という状態

私はもともとはとっても悩みやすく傷つきやすく、人の顔色を伺いがちでいつも気疲れし、そのため対人関係が苦手で、いつもどこか緊張した感じで長いこと生きていました。

生きづらい感じがあり「自分ってどっかおかしいんかな」とか思ったり、誰も自分のことをわかってくれないような気がしていました。

20代までは自分の抱えているストレスや得体の知れない葛藤のようなものがあっても若さの勢いで押し切っていた感じでした。
なんだかどうにもイライラしてしょうがなかったけど、楽しいことももちろんあるし、私の場合は人生について深く考えるなんてことまだまだこの時点ではしたことなかったんだなぁ。

なんかそんなこんなで結局行きつく考えは「自分がおかしいからだ、私が悪いんだ」みたいな感じでした。
いたずらに自分を責めることしかできなかったんです。

30歳を越えてから勢いだけで誤魔化す時期は過ぎて大人になってきて、いよいよこれはどうにかしないといけないと思うようになりました。

今わかるのは、様々な不具合は自分の人格や性格そのものが問題なのではなかったということです。

そうじゃなくて、私の場合はアダルトチルドレンだったり愛着障害だという事実があったのだとのちに知りました。
それを免罪符にして性格に問題がないと正当化を図るということではなく、そもそもの出発点としてそれがあった。
性格や人格と呼ばれているようなものがその出発点に多大な影響を受けていることを知らなかったという意味です。

私はこのことを知ったとき、まずはホッとしたような気がします。
「私がヘンなんだ」と自分を責めることしか知らなかったからです。
私が悩んだりして不都合に感じていたことの多くがそういった「症状」とも呼ぶべきものなんだったのだな、と。

だからひとまずはそのことを知るだけでも助けになるものと思います。
私は仕組みをたくさん知っていったことで、本当に楽になりました。

今現在は、現状に不安や不満を感じることなく、人付き合いを過剰に構えることもなく、体も元気で調子よく、ほとんどイライラすることもないし、気楽に毎日を生きています。
もともとは全然そういう風ではなかったため、こんな風に生きられる日が来るなんて思いもしなかったです。

本物の幸福感というのは、刺激的な嬉しい!とか楽しい!とかそういうものとは別物なのだと感じています。
そうではなくて「全く苦しくない」という状態が常であるということを実感しています。
このことは持続するものであり、一時的な高揚感とは別のものだからです。

違う言い方をすると、何もしてなくても安心して生きていられるという感じです。
文章で書くのは簡単だけど、これが私には難しかったです。

「知ってる」ということと、そのことを実際に「体感して」生活していているということにはかなりの差があって。
その体感が板についてすでに自分の普通になったとき、本当に「変わったんだな」という実感が持てるのだと思います。









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