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岸見一郎 マルクス・アウレリウス 自省録 を読む

100分de名著のマルクス・アウレリウスで出演された岸見先生のテキストが、書き下ろしの特別章を加えて、新たにNHKブックスから出版されました。

岸見先生ご自身がギリシア語から訳された言葉の数々。

今回、最初から読み直しました。

岸見先生が解説されている本で驚かされるのは、その人物の時代背景や環境、本人の状況の洞察がしっかりなされた上で、論理的に思索されているところです。

岸見先生の文章を読んでいくと、自然とその状況の中にいて苦しんでいる本人の気持ちが伝わってくるようです。
自然、読者も一緒にその苦しみを少し味わうことになり、共感的に洞察でき、そこからの言葉の理解になる。

私はコーチングの場面でも、岸見先生のこの洞察力にかなり学ばされ鍛えられたという自負があります。

そのように、岸見先生の解説は単に言葉の理解を超えたところに私たちを連れて行ってくれます。

さらに、今回の特別章では、死との向き合い方についてさらに深く考察されていました。

岸見先生の思想は、人間の価値をみる時に、命の無条件の価値をみるところでしょう。
だからこそ私は、岸見先生が本当のヒューマニストだと確信します。
そして、そこだけには一点の曇りなく言い切ってくれるところに「本当に人として生きるための哲学」を感じます。

人である私たちは何を目指すにしても、そこから逸脱してはいけないのだと。
単なる論理展開だけでそこが否定されることがあれば、またファシズムが横行することになるでしょう。

マルクス・アウレリウスは、自然に沿って生きるべきと言い、人が協力することが自然の姿だという。
これは、アドラーの共同体感覚にも通じますね。
三木清の言葉もたくさん引用されていますが、すべてが一貫して生命の価値につながっているように感じます。
それは、今を生きることと今目の前にいる人との繋がりと、世界人として生きること。小さな共同体の中でのことではなく、それが世界や宇宙に広がって初めて本当の意味での繋がりが見えてきます。
岸見先生が講演会でもよく言われる、この中の誰一人欠けても全く違う空間や時間になっていたでしょうと。
そこから、存在するだけでの個人の価値を考えることにつながっていくと思います。

最後にも岸見先生は
「生きること自体に価値があり、生きることで他者に貢献できるからです」と書いています。

そして、「おわりに」のところで、この自省録の中で、アウレリウス自身もは迷い続けているのだと。
そこから読者も答えがない問いを前に迷うことになると。

哲学は答えに至る過程にこそ意味があるので、自分で考えていかなければ意味がない。とも。


そろそろ私たちも、答えをくれる本を求めるのをやめる方がいいのだろう。

そもそも正しい答えなどないのだから。


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