鬱になりかけて、いろいろ分かった1年だった。

2019年が終わろうとしてます。
いろいろあった1年でした。
まず、1月に会社辞めた。
転職してから半年で辞めた。
次の転職先は決まってなかった。

初日に出社した日から「私、この会社でやっていけないかも。」と思ってしまった。
いや、正直に言えば、面接のときから。

最寄り駅を降りると漂ってくる繁華街の臭さとか、
それを全く気にせず行きかう人とか、
高層のオフィスビルとか、
窓のない会議室とか、
PCだけを見て質問をしてくる面接官とか
マニュアルにそった質問とか、
チャットで大量に流れてくる業務内容とか、
わからないことを質問するとサイトのリンク先しか送ってくれない感じとか、
下請けが生意気だと話す隣の上司とか、
業界で1位になるぞとの役員の掛け声とか、
すべてが最初から自分にはなじめなかったし、好きになれなかった。

でも、これまでにない環境で、自分が今まで避けてきたものに挑戦し、克服しないと先に進めないんだと思っていた。
書店で平積されているビジネス本にこぞって書いているのは
「変化」「挑戦」「スピード」だ。
深さよりも広さを、
継続性よりも新しさを、
充実感よりも効率性を、
その考えに心の底から賛成していなくても、その成功のセオリーに乗らないと生き残っていけないんじゃないかと思っていた。

でも、やっぱり、私には合わなかったみたいです。
どんなに体にいいといわれても、まずいものが食べ続けられないのと一緒ですね。

日に日にクリエイティブに対するやる気はしぼみ。
朝、エレベーターの中で何度も吐き気がこみ上げる。
打ち合わせ中も気持ちが悪くなってトイレに駆け込でしまう。
明日会社に行かないと、と思うと眠れなくなる。

転職して5か月が過ぎたころ、泉谷閑示さんの『「普通がいい」という病』(2006年、講談社現代新書)を読んでいた。
その中で、人間の仕組みの話あって、
現代は、人間の「心」と「身体」に対して、「頭」というコンピューターが独裁政治をしている。
でも、本来は心と身体には、頭では及びもつかない知恵や判断力があって、それを無視して頭のいうことばかりにふりまわされると、いつしか心と身体が正常に働かなくなる。
それが「鬱」や「躁」なんだそうだ。

あ、私が面接のときからそこはかとなく感じていた気持ち悪さは、そういうことか。
そんで、それを我慢していたから、こんなに苦しくなったんだ。
私の努力不足とか、時間が解決するとかいう問題じゃなく、私の心と身体が「よしなよ」と言ってるんだ。

それからしばらくして、辞めさせてくださいと上司に話をした。

別に、その会社で元気にイキイキ働いている人はたくさんいる。
ただ、私にとっては合わなかった。
そして、その会社は何も悪くない。
悪いのは、こころのどこかで拒否感があるのを偽って入社した私だ。

それからは、いろいろと価値観も変わった。
今まではけっこうガツガツとキャリアを追い求めてきたのだけれど、仕事のポジションに興味がなくなった。
世の中の流れやトレンドよりも、自分の好きなこと、自分が正しいと思うことをしようと考えるようになった。
自分にとって大切だと思える人との時間を大事にするようになった。
毎日、おいしいごはんを食べれるように料理をもっと頑張るようになった。
ヨガをはじめて体を動かす楽しさをしった。
自分の考えをnoteで言葉にして残すようになった。

まあ、いいことばっかりじゃなくて、勢いで仕事を辞めてしまったので、
そのあと、仕事が決まらなくて日雇いのバイトをしたり(33歳にして)、貯金がどんどんなくなる恐怖を感じたり、でもなんだかんだ再就職できたり、いろいろあって今日になりました。

みなさん、一年間お疲れさまでした。
新しい年も、きっといろいろあるのだろうし、そう考えると人生ってしんど~っておもうんですけど、いつになったら幸せでおだやかな毎日が来るんだよってツッコみたくなるんですけど、
それでも、くすっと笑えることとか、それわかる~って思うこととか、なんかかわいいって思うこととか、そういう一瞬に(あくまで一瞬なんだけど)出会える時があるはずなので、腐らずにいきましょう。

なんとかなります。きっと。では、よいお年を。

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