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夫の無職無収入から始まった結婚10年の振り返り

2024年元旦。
昨年は結婚10周年だったこともあり、2023年1年間の振り返りだけでなく結婚生活10年間をハイライトで振り返ってみようと思います。

夫の無職無収入から始まった


敢えて目を引く見出しにしちゃいましたが、要は、夫が仕事を辞めて勉強期間中に入籍した、という形です。
10年前、夫は弁護士を目指してロースクールを卒業し、司法試験にチャレンジしていました。
付き合い始めた時は会社員だったのに、初めてのデートで「弁護士になりたいから会社辞めようと思ってる」と宣言され(笑)、退職→ロースクール受験→ロースクール3年間→司法試験受験と一緒に過ごしてきましたが(その間ちょっと揺らいだ時期もあり(笑))、当時は2回のチャレンジが不発に終わり「今年ダメだったら諦めよう」と勉強しつつ、生活費のためにバイトもしていました。

当時私は総合商社に総合職として入社して10年目。
彼に対して、「生活費は私が出すから、勉強に集中したら?」と言って(でも、最後の肝心のプロポーズはちゃんと彼から言ってもらってw)結婚することになりました。

この話を友人知人にすると「すごいねー!」と言われることが多いのですが、同期の男の子達は結婚して専業主婦の奥様と一緒に家庭を築いていることもあるわけで、これからの時代、人生のステージに合わせてどちらかがどちらかを支えたり役割交代したりしていけば良いわけで、こういう形もありなんじゃないかなー、と思っています。

(閑話休題)入籍日の隠れた意味

入籍は、2013年11月22日でした。
普通に考えて「いい夫婦の日」なんですが、実は裏の意味があり、私の誕生部(5月16日)と夫の誕生日(6月6日)の月と日をそれぞれ足し合わせると・・・11月22日になるという隠れた意味があるのです!!
ちなみにこれに気付いたのは自分達じゃなくて夫の弟でした。

入籍から1年半後の結婚式

結局夫の弁護士へのチャレンジは不発に終わってしまったわけですが、法律を学んだ経験はムダにはしない!ということで、法律知識も活用できそうなポジションで民間企業に就職。
そこからの式場探し・準備だったので、結婚式は入籍から1年半後の2015年4月になりました。
本当は夫の故郷である屋久島で式を挙げたい気持ちもありつつ、やはり大勢のゲストを屋久島に招待することが現実的ではないかな・・・ということで、首都圏でも海と森を連想させられる場所ということで、鎌倉の由比ガ浜の海の目の前のアマンダンブルーというゲストハウスを会場にしました。

披露宴は約120名、銀座の二次会では250人の友人に来て頂きましたが、披露宴(鎌倉)→銀座(二次会)の両方に参加する友人には、移動も大変だろうしみんなでワイワイ行った方が盛り上がるかな、ということで大型バスをチャーターしたのが良い思い出です。(二次会幹事の子が気を利かせてお酒など買い込んでバスで配ってくれて、バスの中から宴会状態だったらしい。笑)
銀座の二次会には250名の友人に参加頂きました!

第一子の妊娠中に夫の転職

結婚式を挙げた時点で既に33歳だった私達。第一子の妊活前から検査を一通り受けて不妊治療も検討していましたが、第一子は奇跡的に自然妊娠!
ですが、妊娠中に夫が一念発起して(というか私が紹介したのもあり)転職を決意。
妻はグロービス経営大学院在学中、夫は転職直後というハードな生活の中で出産・子供との生活が始まりましたが、なんとか工夫して協力し合って新しい生活を乗り越えてきました。(グロービス在学中の妊娠・出産のエピソードについては以下投稿参照。)

当時私が勤めていた会社に事業所内託児所があり、いつでも復職可能・手厚い育児サービスで延長も柔軟だったのが本当に助かりました。

不妊治療の末の第二子


今までも仲の良い友人知人には不妊治療をしていたことも隠すことなくオープンに話して来たのですが、いつかちゃんと投稿したいな、と思っていました。
というのも、友人知人の中でも結構苦労している人も多く、「私も不妊治療してて結構苦労してたよ!」というのを伝え、病院や治療の内容など情報提供をしたり話を聴いてあげるだけでもだいぶ役に立てているのでは、と感じていたからです。
一方で、不妊治療のことってまだまだ何となくタブーな潮流がある感じもしますし、妊活に際して色んなポリシー、色んなステージの方がいる中で、センシティブでもあり書いて良いのか悩ましいな・・・と躊躇していました。
でも、最近友人知人でも勇気を持って不妊治療のことをオープンにしたり意見をnoteに書いたり発信している人がいるのを見て、私も誰かの参考・お役に立てるのであればと思い、この結婚10周年振り返りの中で敢えて触れてみることにしました。

第一子出産後半年で復職した私は、第二子も早い方が良いかな、と復職後1年くらい経ったころから妊活は始めていました。
ですが、その時点で既に36歳。
自然妊娠ではなかなかできず、結局、3年くらい不妊治療のクリニックに通い、日帰りで終わる軽いものではあるものの手術をしたり、何度か妊娠超初期での流産を経験したりを経て、子宮内膜炎という炎症を発見し(よく聞く子宮内膜症とはまた別の病気)、抗生物質の治療を経て第二子の妊娠に至りました。
このあたりの話はまた別途いつか詳細を書きたいと思っていますが、フルタイムで仕事を続けながらの治療は心身ともにハードな時期もありましたが、夫が常に協力的で、一緒に取り組めていたことで夫婦の絆は深まったかなと思っています。
結構苦労して数年・数百万円かけてやっと第二子ができたので、子供が癇癪起きて大変な時も、何なら子育てと全然関係無いことでも辛いこと・しんどいことが合った時も、「あの時に欲しくて欲しくてたまらなかった宝物を授かったのだから、こんな苦労は大したことない」という心境になれていることを考えると、やはり人生万事塞翁が馬だなと思います。
この記事を読んでいる友人知人の方で、病院や治療のことなど詳しく聴きたい!という方は遠慮なくDMなどご連絡頂ければと思います。

18年務めた総合商社からの転職

結婚後もグロービス、コーチングなど私の学びの場をいつも100%応援・サポートしてくれた夫ですが、昨年転職を決意した際も、全力で応援してくれました。
転職したメルカリはフルフレックス、完全リモートワークもOKという働きやすい環境ではありますが、私の担当職務的に必ず出社しなければならない日があったり、転職後の社内ネットワークづくりの意味もあり懇親会の参加が増えたりオフサイトの宿泊などあっても、夫はいつも協力的に調整して開示育児の対応をしてくれていて、ありがたい限りです。(商社から転職した時の思いの投稿は以下参照。)


夫婦コーチングを受けて&また受けたい&広めたい!

そんなこんなで(?)普段から比較的よく話をするしお互いオープンな性格で共通の友人知人も多い私達なので、わかり合っていることが多いかなと思っていたのですが、一昨年私がシステムコーチングの資格を取るために勉強している際に、自分達も友人のコーチから夫婦コーチングをしてもらいました。
※システムコーチングとは?については以下参照

普段2人で話すのとはまた違った角度でお互いの世界観や伝えていなかった思いなどを場に出すことができ、相互理解がぐっと深まりました。
勿論、いまだにケンカすること・ぶつかることはゼロにはならずちょこちょこあるのですが、ぶつかった後の回復が早くなり冷静な話し合いもしやすくなったように思っています。
最近また夫婦ともに人生のステージが変わっていろいろと話したいこともでてきているので、久しぶりに夫婦コーチング受けたいな、と思っているところです。
そして私の密かな野望として、今後夫婦コーチングを受けることがもっと身近になると良いなと思っており、それについてはまた別途記事を書きたいと思っています!

今後の展望

夫婦ともにお互いの仕事が今後どう変わっていくか読めないですし、子供の教育とかどこに住むか・・・とかもまだまだ変動要素は沢山ありますが、ぼんやりとした夫婦の共通ビジョンとして、いつか屋久島でゲストハウス運営ができたら良いねという話をしています。
この話は5年以上前からちらほら出ていつつ、コロナ禍で現地に行けなかった期間も長かったことから結局あまり具体的な動きはできていなかったのですが、一昨年一先ず「屋久島QUEST」という法人を設立していることもあり、2024年中にはもう少し具体的な動きができると良いなと思っています。
いつ実現するのか、どういう形なのか全然決まっていなくても、夫婦二人で同じ思いを持ってやりたいことがあるというのはなんだか良いものだなと思っています。

実際に事業を始めたらむしろ運営方針の違いとかケンカの種になる可能性もゼロではありませんが(笑)、今後もしっかりと対話を重ねて夫婦仲良くイキイキとした姿を子供達に見せていけると良いなと思っています。


徒然なるままに10年の振り返りを書きましたが、今後も夫婦ともどもよろしくお願いします。

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