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20歳前後は逃げる時期。

_____揺れる電車。

 

 

「"まもなく草津、草津です。お出口は右側です_____"」

 

 

田んぼだらけだった風景が、いつの間にかコンクリートと人工物でいっぱいになっていた。

 

 

嗚呼、今日も変わらない毎日だ。

 

 

 

草津はある程度大きな駅で、滋賀の中で一番人口が多いんじゃないかと思っている。
小学生のときに習った人工マップは既に頭の中からは消えていた。

 

 

今日は人生で何年ぶりがわからない一つくくり結びで町に出た。小学生ぶりだろうか。案外似合わなくもない。

ボサボサのモサモサ髪を散らかしているよりは綺麗に見えた。

 

 

人が多い。多い。学生が帰る頃の時間帯に当たってしまった。

ツイてない。
 
中学のバレー部の後輩は靴下の色や柄が違うから、一瞬でわかった。
相手は私を知らないし、私も相手を知らないけれど、自分の部活の後輩ということだけはわかる。不思議な関係だ。

 

 

草津線は思っている以上に混んでいた。
 
走りたくもないのにあと1分で電車がでるからと急かしてくる。うざい。
 
自分が走らなければ乗れないような電車なら行ってしまえとすら思う中、自分の足は止まらなかった。
なんて自分勝手なんだろう。

周りの人たちは携帯に夢中だ。
 
当然自分も、そんな風に思われてるんだろう。
自分なんかが見られているという感覚を持っていることすらおこがましいのかもしれない。

   
 
 
 

 
  

__________有名になるはずだった。
 

大きくなるはずだった。
 

今ごろ、羽生結弦が19で金メダルを取ったように、浜辺美波がCMや映画に引っ張りだこのように、
 

私もそんな風に活躍してるはずだった。

 
 
 

どこで間違えたんだろう。どこで道を外れたんだろう。

 
今の私はただの、19歳フリーター、ニートに近い

何も成し遂げたことも、成し遂げることもない人間だ。

 
 
 

知名度も、有名なのも、実力も、タフさも、物事を実行する能力も持ち合わせていない。

 
 
 

あの頃に憧れていた19歳とは、程遠いほどの現実。

 
  
 

 

 
 

私があの時に見ていた19歳は、もっと大きかった。

 

大人で、何でもできて、余裕があって、キラキラしていた。

 
 

 

若いお兄ちゃんたちに甘えて、お姉ちゃんたちに甘やかされて、ちやほやされていた5歳くらいの幼少期。
あれとは程遠い現実。

 
 
 
 

どこかにある違和感。それが何かも理解している。

 
 
 

自分と向き合うことの怖さ、頭の中で鳴り響いて止まない自分を責める声、それらが親と過ごすうちに

 
 

自分の頭の中にも住み着いてしまったこと。

 
 
 
 

正直、羽生結弦やこの同い年で成功している若い人たちは、自分の努力はあれども、その努力の土台となる自尊心の形成は親から受け継いだものだ。
 

私みたいにどれだけ努力をしたとしても、自尊心が形成されず頭の中で常に自分を責める声が鳴り響く人間は、
 

どこかで必ず折れる。
 

それは本人の努力が足りているかどうかではなく、
 

もっと根本的な部分であろう。

 

 

だから正直、あの人たちはラッキーだったんだ。

どんな困難にも打ち勝つ折れない心と、それを支えられる環境が周りにできていたからあんな風に成功できているんだと確信している。

 
 
 

それが私にはなかった。親ガチャの当たり外れがあると言うけれど、それは事実だと思う。私は外れた。
 

自尊心の低い親の元に生まれた。
 

 
親にどんだけ愛されて育てられようと、子供は親の背中を見ている。親が自尊心が低くそれに沿った行動をしていれば、自然と子供もそれを真似するしそんな世界なんだと勘違いするであろう。

 
 
そしてその張本人が親だということに気づくのは、自分が生まれて何十年も後の事だ。

 
 
 

正直私は運が悪かった。自分の頭の中に住み着いているこの腐った思考は、何年かけて取払えばいいのだろう。それを一緒に周りで取り払ってくれる人間すらもいないのに。

 
 

親ガチャという概念は、いま自分が望まない現実に立っている状況、原因、理由として、前に進むために使う概念だ。自分の何もやらない向き合うべきことから逃げるための概念として存在しているわけではないのだろう。

 
 
 
 

ただ、逃げることは仕方がないとも思うのだ。まだ20、されど20。親ガチャ当たった奴らは、今ごろとんでもなく成長していて、バンバン活躍していたり、幸せに暮らしているのだろう。

 
 

この19でこの概念に気づけたことはとても大きいとも思うが、だからといってじゃあすぐに向き合えるかと言われればそうもいかない。

 
 

親はいつまでも馬鹿なままだ。
 
 
 
一度本気でぶつかったくらいじゃ、ぶつかり返してくれるわけがなかった。
 

数週間本気で愛を伝えるくらいじゃ、本気で愛を伝え返してくれるわけがなかった。

 
 

この年代は、まだまだ逃げる年だと思う。色んなことから。
 
 

逃げなければ逃げないほど、人生はより豊かに晴れやかになっていくけれど、
 
そうだったとしても私は向き合うことは選べない。

 
 
 

自分の中に責める声を叫び続けてくるこんな野蛮な生物が住み着いたのは親のせいだと思っているし、環境のせいだと思っているし、この社会のせいだと思っている。実際に今も。

 それでいいんだと思う。人のせいにするなと言われても、無理なものは無理だ。
 
お前らの理解力不足のせいだろうと言い返してやる。
 

理解しようとする力もないから、人の心を踏みにじるような言葉を簡単に言えるんだよ、って。

暑い。暑い。することが何もないのか、何もできないのか、何もしたくないのか、それすらもわからない。

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