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『ふたりのじぶん』

昨日今日は花道の先生の依頼でアクリルでオブジェを作っていた。
先生と家族もいらして違う作業をしていた。
そんななか休憩中に前回の木彫りのお盆の話になりこれもけいいちろうが作ったんですよと直接の依頼主の友達がみんなに見せてた。
とても褒められた。

その後また仕事を再開した時に褒められてた時の事を思い返していた。
それはまるで自分じゃない人が褒められていたような感じだったなぁと思った。
もっと深く掘ってみた。

ぼくは、ここがまだボコってなってるなぁ直したらもっと良くなるなぁとか考えていた。
そうぼくの中ではもっと良くきれいになるイメージがあるのだ。言うならば未完成な気分だ。
だからまだ未完成?のものを褒められてなんか変な気持ちになるのだ。
それでも仕事であるから時間の期日があったりでそれ以上突き詰めれなくてだからと言って途中の作品を出しているわけではないのは皆さんご了承いただいていると思うのですが本気で丁寧に作っているし便宜上未完成と言いましたがとことん突き詰めれば終わりなんて無いようなものでいくらでも手直ししたい所なんてあって仕事という締切さえ無ければいくらでもボコってのが見つかるし、かと言って締め切りに間に合わなければ元も子もないわけでありましてはい。
決して手を抜いてるわけではないので悪しからず。

ではその隔たりはなんなのだ?と考えた所ベストを尽くしつつ締め切りに間に合わせるのがプロの仕事人で締め切りなど考えずに究極的にボコっを取り続けるのが芸術家なんかなぁって思いました。
だからぼくはその作品をつい芸術家脳で見てしまって褒められた事に対して歯痒さがあったのだ。
でも仕事人脳で見るとすごくいい出来で気に入ってるしやり切ったし期日にも間に合わせ上出来と自分自身で思っている。
その別々の脳で僕の感情にズレが起きて歯痒さなどを感じている事に気がついた。
ぼくはついつい自分の中の完璧を自分に求めてしまっているのだ。
これはとてもいい事でもある。
けどそれは時として自分を苦しめて結果自信がなかなか湧いてこないのかなぁと、その思いがぼくのアウトプット意欲を削いでいるのだなぁと気がついた。
完璧を求めるのはいい事だがそうでなくてもいい場合も人生には多々あるようだ。
これからはそのラインをよく意識しながら物事を観察して人生を生きてみようと思った。


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