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出勤!中間管理職戦隊ジェントルマン 第6話 解明と模倣 【3,4】

<2,600文字・読むのにかかる時間:5分>

1話を10のシークエンスに区切り、5日間で完話します。アーカイブはこちら。

1,2】はこちら

【 3 】

「不思議だと思わないか。欲望が、生きるための条件を整えることなら、人間にしか備わっていない高度な欲望はなんのためにあるのか」
「社会性のため……とか?」
 問いかけられたジンは、とりあえず思いついたことを口にしてみた。
「かもしれないな。ただ、俺はもっと掘り下げたい」
「そうか……」
 鋭い眼差しの中に光っているのは、好奇心なのだろう。学校で居場所のないヒロシが、わかりやすいほどの情熱を注いでいるなら、ジンには咎める理由などなかった。
「もし俺に手伝えることがあったら言ってくれよ」
「ありがとう。でもまぁ、別にないとは思うけど」
「正直すぎだよ」
「お前は中間試験に集中しろよ。もうすぐだろ」
「思い出させるなよ。そうなんだ。明日から勉強しないといけないから、試験が終わるまでここには来られそうにないや」
「わかってる」

 翌日、ヒロシは小さな水槽と、数匹のグッピーを買ってきた。実験器具を水に浸して信号を送ると、穏やかな性格のはずのそれらは争いを始め、お互いを食いだした。最後に残った一匹も、傷ついて死んだ。
 二日後には、ポップコーンジャンプを繰り返していたモルモットが、その跳躍の勢いで天井に激突して死に、やはり数日後にペットショップで買ってきた売れ残りの犬は、胃袋が破裂するまで食べ続けた。死ぬ直前には、ヒロシのことを食べようとする仕草すらみせていた。
 それから幾日もの間、ヒロシは部屋から出てこなかった。それ自体はさして珍しいことではなかったので、母親も気に留めなかった。むしろこの数日、外出してはなにかを買って帰ってくることのほうが稀有だったのだ。

 そんなヒロシのもとを、ふたたびジンが訪ねたのは、最後に会ってからちょうど二週間が経った日だった。

 さらに傾いた西陽は、もう建物のかげに隠れてしまったのだろう。阿佐ヶ谷研究所の面々を照らしていたオレンジ色はなくなっていた。
「そもそもの質問をしていいでしょうか?」
 ハンドルを握りながら、ナンコツが恐る恐る問いかける。
「なんでしょう。ナンコツ」
「ヒロシって誰ですか?」
「察しが悪いですね。私ですよ」
「はぁ?」
 あやうく赤信号を直進しそうになった。
「博士の本名ですか?」
「そうですよ。なにか?」
「いや、あの。普通だなと思って」
「正直、言いたくないんですよ」
「ちなみに漢字は、どんな字を?」
「博多の博に、武士の士です」
「博と士……博士じゃないですか!」
「博士と書いてヒロシと読むんですよ。別にいいでしょ」
「いいですけど、ややこしいですね!」
「嬉しそうに言わないでください。あなたなんてナンコツですからね。ナンコツ。骨の種類ですから」
「それは博士が決めたんでしょ」
「ちなみに名字はなんですか?」
 アゲダシドウフが参入する。
「田中です」
「田中!」
「なにか?」
「いや、普通だなと」
「失敬な。普通をやや上回る好青年ですよ」
「自分で言います?」
「ややで留めたところに奥ゆかしさを感じていただければ」
「田中博士さんが、なぜ阿佐ヶ谷博士に?」
「博士の名といえば、総武線の駅で決めなきゃいけないでしょ。三文字以上の」
「そうなんですか?」
「御茶ノ水博士にはじまり、水道橋博士、秋葉原博士、高円寺博士と目白押しじゃないですか。空いてるのが少ないんですよ。西荻窪と阿佐ヶ谷で迷ったんですけどね」
 澄まして座っている千堂はともかく、前列のふたりは面白がっている。しかし、最後列のトリカワポンズだけは、難しい表情で腕組みをしていた。
「博士の名前の由来はもうわかったよ」
 振り返ったは博士は、トリカワポンズの視線に射抜かれた。
「それより、ジンが戻ってきてからの話を、俺は聞きたいね」
「いいですとも」

【 4 】

「ひさしぶり」
「おう」
 ジンは部屋の様子が少し違うことに気づいていた。散乱具合は区別のつけようがないが、少しだけ嗅覚が違和感を感じとったのだ。
「あれ? なんか動物飼った?」
「……いや」
 ヒロシは目を合わせずに答えた。
「そう? なんかそんな気がしたんだけどな」
 他人の部屋の匂いに言及するのを憚って、ジンは話題を変えることにした。
「差し入れ持ってきたから食おうぜ」
 ジンが掲げたのは、よく見慣れた志村屋の紙袋だった。学校とヒロシ宅のちょうど中間にある商店で売っている、中華まんを買ってきたのだろう。彼らの高校は買い食いを禁止しているので、ジンが差し入れを持ってくるのはこれが初めてだった。
「おお! 志村屋じゃないか!」
「いいリアクションだな。食おう食おう」
「まさか肉まんだけじゃないよな」
「あんまんもあるぞ」
「いや、そっちがメインだろ」

 ふたりはあんまんの敷き紙を剥がすと、同時にかぶりついた。
「ほほほほ、あふい!」
 ジンは窄めた口を上に向けて、蒸気を吹き出すように言った。
 しかしヒロシは、いったん頬張ったそれを紙袋に吐き出した。
「なんだこれ!」
「ろうした?」
「どうしたじゃないよ。おまえこれ、こしあんじゃないか!」
「べつに、ふつうらろ」
「普通? なに言ってんだ! あの店はこしあんもつぶあんも両方売ってるだろ。おまえ、自分の意思でこしあんを選択したってことか?」
「そうだけど?」
「ふざけんなよ!」
 ヒロシは立ち上がり、一口ぶん欠けたあんまんをジンに向かって投げつけた。それはちょうど彼の右目に命中した。
「なにすんだ!」
「それは俺のセリフだ馬鹿野郎!」
 ヒロシは床に落ちていたロジクールのキーボードを踏み割り、ジンの胸ぐらを掴んだ。
「こしあんなんてな、クソ野郎の食いもんだ! せっかくの小豆の食感と風味を漉しとるなんて馬鹿か。こんな溶けかけの蝋細工みたいなもんを口に入れて有り難がってるなんて、フンコロガシと同レベルだ!」
「なんだとてめぇ! せっかく買ってきてやったのになんだ! おまえがつぶあん信者だなんて知らねぇんだよ。学校にも行けないやつが偉そうに注文たれてんじゃねぇよ!」
「こしあんってなんだよ! 漉してんじゃねぇよ!」
「おまえは投げてんじゃねぇよ! 火傷したろうがよ!」
「知るかよ!」
「ああ?」

 お互いの胸ぐらを掴んだまましばらく睨み合ったふたりは、どちらともなく手を離し、背を向けた。ジンはため息をついたあと鞄を手にとり、そのまま無言で出て行った。

つづく

電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)