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出勤!中間管理職戦隊ジェントルマン 第6話 解明と模倣 【5,6】

<2,500文字・読むのにかかる時間:5分>

1話を10のシークエンスに区切り、5日間で完話します。アーカイブはこちら。

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【 5 】

 ヒロシの部屋に新しい水槽が届いたのは、それから一週間ほど経ってからだった。アロワナが飼育用できるサイズのそれは、さすがに置き場所を見つけるのに苦労した。彼は、自分のベッドからマットレスをはじめ寝具一式を取り除き、そこに設置した。
 ジンはあれから一度も来ていない。携帯にメールは来るが、ヒロシはそれを全て無視している。

 ヒロシの実験は佳境を迎えていた。熱帯魚から始まり、中型哺乳類まで、欲望を暴走させることに成功している。しかしそれらは所詮、原始的な欲求しか持つことができない種だった。人間だけが持つ高次の欲求を暴走させるとどうなるか、それこそが彼の関心ごとであり、情熱の源泉だったのだ。
 彼はそれから三日三晩、寝食を忘れて研究に没頭した。水槽を改造し、自作した溶液で満たした。端末でシミュレーションを繰り返し、ようやく良い結果が得られるようになったとき、ヒロシは久しぶりに携帯を手にした。
 ジンを呼び出したのである。

「よぉ」
「おう」
 いつもと変わらない挨拶を経てジンを招き入れたヒロシは、開口一番「実験を手伝って欲しい」と頼んだ。
「手伝う? なんで?」
「おまえ、以前”なんでも手伝えることがあったら言ってくれ”って言ったじゃないか」
「そういえば、そうだな。でも手伝ってもらいたいことはないって」
「あのときはな。いまはあるんだ」

 不承不承といった体でジンはヒロシの言うことに従った。ベッドに大きな水槽が置かれているのに閉口しながらも、その蓋の上に横になれと言われても、もう驚かなかった。さらにヒロシは、傘を改造したアンテナのようなものを立てて、ジンの身体を覆っていく。
「なんだよこれ」
「いいから」
「よくないだろ」
「いいから」
「ちゃんと説明してくれよ」
「そうだ。ちょっとこの香水がなんの香りか当ててみてくれ」

 ヒロシが噴霧したエアロゾルを吸った瞬間、ジンは眠りに落ちた。

 空はまだ明るいが、対向車のうちの何台かはすでにライトを点灯している。
「それで、どうなったんですか?」
 アゲダシドウフの眉間には深いシワが刻まれていた。トリカワポンズは腕組みの姿勢を崩さず、静かに耳を傾けている。
「……彼が勉強熱心なのは知っていましたよ。公式を暗記して済ますタイプではなく、なぜそうなるのか自分が納得するまで追求したがるんですよね。器用なタイプとは言えませんが、応用は早い方でした」
 誰も声を発することなく、博士の次の言葉を待っている。
「私も驚いたんですよ。もうちょっと低俗な欲求が具現化するんじゃないかと思ってましたから」
 車内の沈黙が、博士に続きを促す。
「暴走したのは探究欲だったんです」

 目を覚ましたジンは、水槽に映った自分の姿を見て絶叫した。
 右の眼窩が大きく広がり、頬と側頭部にまで達していたのだ。脳が露出していてもおかしくなかったが、弾力のある黒い霧が穴を覆っているおかげで、外気に触れずに済んでいるようだった。ただ、その黒い霧の余剰な部分が、龍の舌のように揺れ動いているのが禍々しかった。
 ジンは自分が化け物になったことを知った。

「それから彼は姿を消しました。学校にも家にも戻らず、どこかへ失踪してしまったんです。彼の暴走した探究欲のことを、のちに私は”解明と模倣”に分類しました」
「……それって。つまり」
「ええ。最初のアルケウスです。”解明と模倣のアルケウス”」

【 6 】

「より正確に言うなら、半アルケウスです。人間の部分が大幅に残っていましてね。初期実験なので、それが精一杯でした。でもまぁ、私のエスエナジー理論が証明されたことには変わりないので、栄えある瞬間ではあります」
「あんたは……」
 トリカワポンズの声が低く響く。
「自分の親友を実験台にしたってことか」
「後悔しているかと問われれば、そうですね。後悔はあります」
 博士は車窓に視線をやった。ネオンサインと対向車のライトが、世俗的なパレードを作り出している。
「あれは、純粋な実験ではありませんでしたから。復讐心が、少なからず入っていました。事前にほら、動物実験を繰り返しましたので、これで人間がどのようになるか、ある程度は予測できていましたからね。だから私が彼にしたことは、ピュアな実験ではないんですよ」
「何日か前の、揉めごとの苛立ちが残ってたということか」
「ええ。許せませんでした。まぁ、若かったんです」
「それで、その後のジンのことは解らずじまいか?」
「話しますよ。まだ到着まで時間がありますから」

 ジンの探究心は暴走したが、アルケウス化が半分で止まっていたことが幸いした。彼は欲求に飲み込まれることなく、それを辛うじてコントロールすることで、常人を超越した力を発揮した。
 たちまちエスエナジー理論を理解したジンは、ヒロシの部屋で見た装置を再現することにした。雨もりのする部屋で、失敗と一歩前進を繰り返し、動物実験の成功までこぎつける。
 ヒロシのアドバンテージはその財力にあった。彼はさらに大規模な水槽を特注し、エスエナジーの集中精度をあげていった。
 やがて報道される事件に、不可解なものが混じるようになってきた。それらは、謎めくと形容されるものもあれば、猟奇的と形容されるものもあった。いったん生まれたアルケウスの制御が課題であることは、ヒロシにもジンにも共通した認識だった。
 ふたりは連絡を取り合うことはなかったが、お互いを近くに感じていた。奇妙なものであった。報道される事件を介して存在を感じていたのだ。アルケウスの動向は、両者にとってランゲージとして成立していたのかもしれない。

 数年後、ヒロシの両親が他界し、彼は青年にして、手に余るほどの財産の主となる。ヒロシは空いた土地にビルを建て、その地下に研究施設を設けた。さらに巨大化させた水槽によって、研究は加速した。

「それがアクアリウムであり、阿佐ヶ谷研究所です」

つづく


電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)