アメリカでのトレーニング第28回 「コロナに振り回されてたときの話 その2」
2020年3月。コロナウイルスの感染が拡大し、日本で開催される予定だった試合がなくなった。なので、日本に帰らないことにはなっていたのだが、その一方で、俺がアメリカに滞在できる資格が、後1ヶ月で切れてしまう。
という状況に陥ったことで、所属企業から帰国せよとの指令が出た。しかし、その時点では(強調するがその時点では)、ウイルスが蔓延しつつあるのは日本、危ないのは日本。
語学学校のスタッフは、日本に帰ることに猛反対だった。当然だ。今後アメリカ政府は、日本からアメリカへの入国を拒否することになる。そうなると、一度日本に戻ってしまうと、しばらくアメリカで生活できなくなる。
俺は東京パラリンピックまで、ここで練習するって決めたんだ。日本にいれば生活も楽だし、友達だってもっといる。そんなことは100も承知しているが、ここで戦うって決めたんだ。アメリカに残りたい。てか、残らないと今まで張り続けてきた意地に顔向けできない。そんなに?って感じだが、そのときは真剣にそう思っていた。
事務のRalphと、授業を受け持ってくれているLindsay先生と3人で何度も話し合った。みんなほんとうに優しい。Ralphが「よし、俺が会社にメールを書くよ」と、説得を試みる発言。もう、成り行きを見守るしかない。
Ralphが最終的に何て言ってくれたのかは分からない。が、何はともあれ、会社からの最終判断は、「コーチが同伴してくれるのであれば、日本に帰らず、どこか違う国に行ってよし」ということになった。二転三転していったが、どうも風が吹いてきたようだ。
翌日、コーチに結果を説明した。「そういう訳で、つきましては、1ヶ月以内に一緒に旅行に行ってください」と言ったら爆笑された。
連続滞在日数をリセットできて、かつボルチモアから簡単にいける場所として、コスタリカという国が選ばれた。中米カリブの島国コスタリカ。言語はスペイン語、国土の4分の3をジャングルに覆われている。ジャングルに住むホエザルの吼え声は、半径数キロ先まで聞こえるらしい。そんなやつに耳元で吼えられたらマジで終わる。
ちなみに名産品はコーヒー、これはすごく楽しみ。
そして、あの名作、ジュラシックパークの舞台になった場所。ジュラシックパークは、原作の小説を語学学校の授業で読んだ。初めて英語で書かれた本を丸々1冊読みきった。使われる単語はすこしマニアックだが、文章自体は優しいので教材にはちょうどいいんだと思う。
急にわくわくしてきた。「じゃ、スケジュール確認して、行ける日を後で連絡するよ」といわれて帰宅した。
数時間後。コーチから、「明日から1泊で行こう。飛行機とホテルとったから。午前6時に迎えにいくわ」と連絡が。はや。いろいろはや。展開も仕事も出発時間も。
コーチに朝拾ってもらってボルチモア空港へ。コスタリカまでは5時間。外国だけど、ロサンゼルスに行くより近い。
最初の難関、入国審査。世界中が中国だけでなく、日本人にも警戒し始めている。
係員は日本人である俺を疑いまくっている。パスポートのすべてのページをチェックし、ドクターらしき人を呼んでなにやら議論している。現地の言葉なのでまったく理解できないが、間違いなく俺がウイルスをもってきているのかどうかを話し合っている。
他の人の5倍ぐらい時間がかかったが、どうにかコスタリカに入れた。でも、まだ安心できない。帰り道も確実に一筋縄ではいかない。
ホテルにチェックインして、俺もコーチもコーヒー大好きなので、カフェに直行。
うまい。たしかにうまい。深さと軽さのバランスがよくて、だれからも愛されそう。
な気がする。
どっちかに偏って、特定の人からだけ愛されるより、万人にそこそこ愛される。そんな人間に、俺もなりたい。
昼寝でもするかという話になり、ホテルのプールのデッキチェアでごろごろしていた。気温は25度ぐらいでちょうどいい。それにしても、鳥がうるさい。日本のセミなんじゃないかってぐらいのボリウムで鳥がどんちゃん騒ぎをしている。機構的には気持ちいいけど、こんな中では寝られんわ。
料理はこれと行って特別なものはない。コスタリカスープという、いかにも観光客が飛びつきそうなメニューを食べた。コメと牛肉と野菜を煮込んだもの。パクチーがきつい。後は、メキシカンに近いものが多い。
翌朝、早々にチェックアウトして空港へ。ほんとうに何もせずにとんぼ返り。そして、最後の関所、アメリカ入国審査。
コロナについては、一切何も聞かれなかった。その代わり、
「え?1泊二日でコスタリカ?何しに?」
と、ずいぶんといぶかしがられた。まさか、
「いやー、滞在日数リセットしたくて」
とは言えず、
「旅行でして」
とごまかすのだが、
「コスタリカ?なんかあるの?」
と、疑いは晴れない。
何もねえよ。コーヒー飲んできただけや。悪いかよ。
納得してもらえたかは知らないが、コーチが半ば押し切ってくれて入国した。
We made it!(俺たちは成し遂げた!)
これで俺は、5月いっぱいまでアメリカに滞在できる権利を勝ち取った。
ものすごく強引なやり方ではあったが、またしても沢山の人が心配してくれて、一緒に考えてくれて、そして動いてくれた。
しかし、この後アメリカでの感染が広まり始め、俺のトレーニングも生活も立ち行かなくなり、結局は日本に戻ることになる。
次回が最終回になりそうですね。