アメリカでのトレーニング第22回 「再びプエルトリコへ行ったときの話」

 2020年1月。今年も合宿の季節がやってきた。場所は去年と同じプエルトリコ。去年はすべてが新鮮であった一方、全体のペースについていくのに必死だったが、今年はなんとなく流れが分かっている。
 去年は1月3日スタートだったので、ボルチモアからみんなと一緒に向かったが、今年は1月2日スタート。年越しはなんとしても実家で過ごしたかったので、日本から直接現地プエルトリコに向かった。
 直行便はないのでヒューストン経由。乗り換え時間が少なかったので昼食を食べそびれた。
ヒューストンからプエルトリコまではアメリカの国内線。機内食も出るのだが優良だといわれた。お金をもってなかったわけではないのに、なぜか反射的に断ってしまった。激しく後悔。腹減った。
 着陸直前、隣の席のアメリカ人老夫婦が「サンドウィッチが余っちゃったから、あげる」といってくれた。一人旅はいろんなことがある。
 プエルトリコ空港でLoyolaの大学生と合流しホテルへ。去年と同じホテル、ここまではすごく順調だ。
 コーチやMcKenzieとも再会し、トレーニングも問題なく始まって行った。

 合宿期間中、何度か地震があった。プエルトリコはカリブ海の島なので、たまに地震がくる。しかし、アメリカ本土、特に東海岸はほとんど地震がない。というわけで、ちょっとゆれただけでもアメリカ人は軽くパニック。

 午前3時。ようやく時差ぼけが抜けてきて爆睡していたところで地震発生。体感では震度3ぐらい。日本人的にはほんとうにたいしたことない。
 そこへMcKenzieからメッセージが。
「大丈夫?避難したほうがいいかしら」
俺「いや、大きくないから大丈夫だよ」
McKenzie「でも、ここ海近いから津波とかきちゃう」
やれやれ。調べたら震源地は160キロ離れている。
俺「心配しなくても遠いところで起きた地震だよ」
そして朝を迎えた。聞いたところによると、かなりの人が津波を恐れて、夜中からずっと1階で逃げる準備をして待機していたらしい。
そんなにびびらなくても。てか余震が続いているから、どっちかというと今すぐ火を消してオムレツを焼くのをやめろ。

 朝食会場でのMcKenzie。
「あのね、私googleで調べたの。地震の時はね、机の下に隠れないといけないんだって。敬一、知ってた?」
まったく、かわいいなおい。日本人ってのはな、そういうの幼稚園児でも知ってるんだ。

 もう一つの事件は、チーム内でのインフルエンザ大流行。いまどきの言葉を使えばクラスター。1月なので、まだコロナの話は出ていなかったから、たぶん普通にインフルエンザ。

 この合宿は、大学生総勢90名が参加している。三日目あたりから、練習を休む人がぽつぽつ出始めた。だれかが直ればまただれかが休む。怪しい雰囲気だ。

 合宿が始まって5日目。朝、ずいぶんと汗をかいて起床した。どうも具合がよくない。熱っぽい。これは、まさか、俺のところにもきたか?
 どうにか1日の練習を終えて、部屋に戻ってきたがやはり熱っぽい。手元にあるのは風邪薬と抗生物質。両方飲んで寝てみたが一向によくならない。
 翌日は勇気を持って練習を休んだ。1日部屋で寝ていても直らない。常夏の島で外は30度近くあるのに寒気がする。これはいよいよまずい。
 そこで翌日。最終兵器のロキソニンを飲んだ。すると30分もしたころだろうか、不意に身体が軽くなった。それまで寒気がしていたのに、急に汗が出てきた。暑い。ていうか、普通だ。身体が普通だ。直った。完全に直った。
 単純にロキソニンの効果で熱が下がっただけなのだが、めちゃめちゃ楽になったので、今ならなんだってできる気がする。練習に行ってもいつもより速い、気がする。
 意気揚々とトレーニングを終えて、食事をしていると、ぱったりと薬が切れた。一気につらくなった。寒い。気持ち悪い。経っているのがやっとだ。部屋に戻る。ロキソニンを飲む。回復。直ったと勘違いする。
 このサイクルを何度か繰り返していた。跡で調べたらインフルエンザのときに、解熱剤を使うのは、一番やってはいけないことらしい。

 でも、このときの俺には他にどうすることもできなかった。アメリカの病院は保険制度がきちんとしていないので、現地の人もあまり行かない。その代わりに、そのへんの薬局で何でも買える。ところが、ドーピング禁止薬物を使ってしまう可能性もあるので、簡単に買って飲むわけにもいかない。そうなると、日本からもってきてる薬で乗り切るしかない。

 最終的にボルチモアに帰るころには、コーチとMcKenzieも含め、チームの半数が感染するという大規模クラスターとなった。

 そういえば去年の合宿では、皆で熱帯雨林に行ったり、海で泳いだりするレクリエーションが企画されていたが、今年はそういうの一切なく、ただただ練習だった。で、ただただ身体がきつかった。

 2020年というのは、この辺からどうも雲行きが怪しくなってきてた。



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