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人生いろは『ち』中間 中間がいい人生

中間と言う言葉で何を連想しますか? 中途半端、半ば、途中。 結果を重視する今日この頃あんまり良い感じがしませんね。 でも、私は中間にいることは素敵なんじゃないかと思うんです。 そして、中間時点での成果も大切じゃないかと。
 
中間で思い出すのは、学校に通っていたころの中間試験。 今でもありますか? どうして学期の途中で試験しなくてはいけないんだろう、本当にいやでしたよね。 今考えると、日本の学校は個々の生徒に決まったレベルの知識をきちんと教えるという理念が底にあったんでしょう。 学期末の結果だけでなく、途中でどのくらい理解されているか判断する方法の一つだったのかもしれません。それで、個々の生徒への努力目標が調整されたんでしょう。
 
中間時点での努力を評価するのが私たち日本の習慣。 結果が出なくても「一生懸命やったんだからいいね」という、なあなあな方向を受け入れてしまうことにもなります。 それは、良くないですよね。 でも、本当に結果だけが大切なんでしょうか。 結果が思わしくなくても、中間で何か得るものがあったりして、それが、将来全然異なることに役に立つこともあります。 中間の作業をちゃんとみていることで、どうして思ったような結果が出なかったかを理解することができます。
 
外国にいると、日本の “Attention to details”はすばらしいとよく言われます。 『細部への気配り』は結果だけを重視するのではなく、中間での仕事も同等に評価しているから結果的に素晴らしい仕事が達成されているんでしょう。 もちろん、細部への気配りが目的になって、結果に達成しないのはいけないですけど。
 
もう一つ日本人の働き方の特徴は『過程の評価』です。 プロセスがどうあっても結果が良ければいい、または、結果が出なかったから、中間で何があっても評価しない、と言う西洋のガバナンスの哲学とは全く異なっています。 『過程の評価』のおかげで、中間過程の仕事の共有がなされます。この中間過程での仕事、意見の共有が、改善、進歩、発展へつながっているのだと思います。
 
話を変えて、中心になる人と周りの人っていますよね。 中心人物が偉い、大切だと思われています。 中心とは物事が集中するところ、最も重要な位置にある物/人です。 でも、誰もが中心になれるわけじゃないですよね。 中間にいる人が支えているから、中心ができるんじゃないでしょうか。 中間の人って、どっちつかずでただ従っているだけ、空気みたいな存在? 空気って見えないですよね。 でもすごく大切、無かったら私たち生きていけないです。 中間の人も同じだと思います。 
 
私って、特に素晴らしい特技もないし、普通でつまんない、いつもどっちつかずで特別な結果が出ない人生をすごしている。 何やっても上中下の中で、いつもそこそこ、中間。そんなことを考えて落ち込んだことはないですか?
 
日本での中産階級(ミドルクラス)多いと言われています。 超大金持ち、ものすごい成功者の数は他の国に比べると少ないです。 でも、国の発展が遅滞しても、取り戻すことができるのは、中間層の力じゃないかと思うんです。『中』の私たちが支え、『中間』での行動を大切にしているから、どん底のひどいところにはいかない。
 
例えば、経済成長が遅滞して、デフレが10年以上続いたときの普通の人の生活は、つつましく抑えた生活をしていたと思います。 でも、それを他の異なる国と比較すると、その国では恵まれた暮らしなんです。 そう、比較するものがあるから、上中下/大中小が生まれるんですよね。 自分の視点で、自分はつまんない、何でもない『中』だと思っていても、他の人にとっては上かもしれないです。
 
特に社会的に秀でたものがなくても、社会を支えているのは『中』。 そして、社会は地球レベルで見る、国レベルで見る、自分の会社/学校などのコミュニティレベルで見る、または、家族レベルで見ることで、『中間』の範囲が変わってきます。 自分だけの世界で見た時、目的に進んでいる『中間』の自分があります。『中』は大切なんだと思うんです。 
 
『中間』にいる自分を評価して、大切にしてあげる。 人生がとっても意味あるものになるんではないでしょうか。

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