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人生いろは 『る』ルール 自由な人生とルール


ルールは大勢の人が一緒に暮らしていくために大切。 自分の目標を達成するために自分を律するもとになる物。 スポーツやゲームで勝ち負けを決めるために必要。 そうですよね。ルールは私たちの身の回りについて回る物。 
『Rule』を訳すと、規則、規定,規約,きまり、競技などのルール、さらに、慣例,慣わし,しきたり,規律。 状況によって少しずつニュアンスが変わってきます。 
 
『ルール』でまず思いつくことは何でしょう? 「やってはいけないこと」ですよね。 その中には、法律で決められて、違反すると罰せられる事があります。 ゲームの範囲内では違反するとペナルティを受ける事になります。 ペナルティ・罰則は、国/コミュニティ/グループ/競技を統治するために、統括を簡単にするために、『ルール』に従う事を強いるために作られたんでしょう。
 
私たちは法律は最低限で縛られない、自由を提供してくれている幸せな社会/時代に生活しています。 それが、儘ならない国で生まれた方々もたくさんいます。 そんな時代もあったと歴史で勉強しましたよね。 ルール破りが当たり前になってくると、その既存の罰のない常識のルールが法律化されて来ます。 がんじがらめになるとなんにもできなくなり、自由のない生活になったらつまらないですよね。
 
「法律で決められているの? 法律違反じゃないんだからやってもいい。」と言いう会話を耳にすることもありますよね。 何もかも法律で規制されていない生活って素敵だと思うんです。 自分の行動に責任を持つ。 その行為の結果に責任を持てるなら、それが、他の人や社会に悪い影響をもたらさないんであれば自由に行動できる。 そんなコミュニティが理想ですよね。
 
話は変わりますが、先日ちょっとカチンときたことがありました。 私は、あるグループのお世話役をしています。そのグループの所属している組織に新しいマネージャーが来たので紹介する際、「ハンサムな素敵なマネージャーが私たちのお世話をしてくれることになりました。、、、、、」と、皆の緊張をほぐし笑いを求める紹介をしたところ、後で一人のメンバーから、人の外見を示唆したことを言ってはいけないと叱られてしまいました。 メンバーは中年以上の女性で毎週会っている小さな十人強のグループ、見識レベルも同等でみんな仲良しなので、ちょっと面白おかしくと思って言ったことだったんです。 
 
もちろん、公共の場(大勢の多様な人が集まる場)で人の外見を面白おかしく表現するのは良くないです。 それは、それぞれに人の立場、状況、環境が異なるから。 でも、それって全てに適用できるでしょうか? それぞれの、場によって変わってもいい事でだと思うんです。
 
ルールは目的を達成するために作られたもの。 大人になった私たちは、なぜこのルールがあるのかを理解することががもっと大切になるんじゃないかなと思うんです。 よく昔、「ルールは破るためにある」なんて聞いたことがありませんか?
「破っていもいいルールならなぜあるんだろう」とよく思いました。 そのルールがある理由が分かれば、臨機応変に時と場合によって行動できるんじゃないかと思うんです。
 
自分で作るルール、家族のルールなどの、身の回りの小さなグループも同じです。 時が過ぎていって、そのルールが当たり前になってくると、ルールを守るのが目的になり、それを自分に強いたり、他の人に強いたりしがちです。 ルールを守るのが人生の目的ではないんです。 ルールは何かを守るためにあって、時と場合によって曲げてもいい事もある。 
 
人生を楽しく快適に過ごすには『ルール』は必要悪。 ルールを認識しないで自然に毎日を過ごすことができるのが理想ですよね。 そんな生活を続けることを目指していきたいと思います。 
 
そこに、思いやりの大切さが出てくると思うんです。他の人の生活や行動を少し配慮するだけで、自分の生活がすごく優しく緩やかなものになるんじゃないでしょうか。 でも、他人ばかりではなく、自分の行動の結果に心を配り、自分本位ではないけど、自分を大切にしていくことで、 『ルール』の束縛から解放された、それを意識しない自由な快適な人生が持てると思う今日この頃です。

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