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自己紹介させてください。8

東京都の長谷川です。よろしくお願いします。
この記事はタウンマネージャー ブログからの移管ではなく
書き下ろしです。

私の職歴です。
続きです。

①20代/コピーライター
②30代/アートディレクター
③30代/ITベンダー
④30代/タウンマネージャー
⑤40代/クレーピエ
⑥50代/ウェブアナリスト
⑦60代/タウンマネージャー議員


④30代/タウンマネージャー

この仕事を意識し出したのは、
2000年7月。富山市の中心商店街情報サイトを運営してから。
コピーライター時代に市政要覧の原稿を書いたり、
観光ポスターのコンペに参加していましたが、
いわゆる公共の仕事、政策性のある業務に興味を持ったのは、
地方の商店街の空洞化、シャッター通り化への疑問であり、
公共的な業務への参画は初めてでした。

最初は無責任な依頼からの、
適当な地域ポータルサイト運営でした。
立地が中心商店街内だったからぐらいの理由。
アートディレクター時代の駅前再開発ビルの販売促進経験は役立ちました。
再開発事業はタウンマネージメントの一環です。

商店街サイトを運営するために、
商店街の店に片っ端から訪問して、
写真を撮り、取材をし、掲載する。
店舗の声や行政の方針を紹介しつつ、
お客様の声を掲示板などでダイレクトに紹介する。
商店街としては耳が痛い話を掲載する。
手探りの商店街サイト運営でした。
完全民間運営のなので収入はありません。
少しずつ知名度を上げて、
バナー広告を販売するのなどで事業としました。

タウンマネージメントという仕事は
①20代/コピーライター
②30代/アートディレクター
③30代/ITベンダー
の延長にはありません。
それぞれの技術や人脈は使いましたが、
全く異なる業務です。

タウンマネージャーの業務は
コンサルティング業になりますから、
プレイヤーではありません。
商店街という組織、
自治体という組織、
商店主という個人もしくは法人に対して、
アドバイスを行ったり、
スキームを構築するための
プロジェクトを推進するコーチングであったり、
会議や委員会に参加する専門家オブザーバーです。
それなりの専門性が求められる。

商店街ホームページ運営だけがきっかけだったので、
この職業を意識することで
自分に足りないスペックの多さに苦労しました。
①②③の経験では補えないので、
かなりの勉強が必要です。
ちょうどまちづくり3法が改定される時期ですから、
前法と新法の違いについて、
前法での課題について、
深く知る必要性があった。

タウンマネージャーは誰でも名乗れる職業です。
名刺に書けばタウンマネージャー。
資格があるようでないです。
あっても認定資格。
中小機構登録の中心街地活性化タウンマネージャー 。
中小機構こと
独立行政法人中小企業基盤整備機構は
経産省主管の外郭団体です。
ここが認定するタウンマネージャーは、
テストを受けて合格したら資格が与えられるような公的資格ではありません。
そっちの方がよっぽどわかりやすい。

私は一時期登録されていました。
試験合格ではなくて、
経験と推薦なのです。
経験とは5年以上の中心市街地での
タウンマネージメント実務。
つまり、タウンマネージャー 資格を得る前に、
タウンマネージャー経験がいる。
無茶ですよね。
更新ならわかるけど新規登録はハードルが高すぎる。
それでも、再開発ビルの年間販促や、
商店街サイト運営経験などを無理やり5つまとめてみた。

でも、これでは本当は足りない。
大事なのは推薦。
当時、地元商店街の地権者たちには、
まだ私は可能性を感じていたし、
コミュニケーションもあった。
あるタイミングで商店街の推薦を取り付けた。
まだ足りない。次は商工会議所の推薦。
これでも足りない。
最後は県庁。県知事の判子がいる。
なんとかもらえて中小機構に登録される。
かといって登録されたからと言って
急にかしこくなるわけでも、偉くなるわけでもない。
それでも、誰でもできることではないので、
地元での信用は幾ばくかついた。

その後の仕事は
国から地元に派遣されるという変な流れになるのだが、
そのおかげで「駐車場無料デー」という
タウンマネージメント政策が実現できた。二日で数億円の消費が動いた。

タウンマネージャーという職業は、
国に登録される方法ほか、
全国の自治体が民間から募集する場合がある。
これ人選も誰もでいい。
資格はない。
「まちづくり」の経験はあったことにこしたことはないが、
それよりも情熱という感じ。

実は、私も福島県白河市のタウンマネージャー 募集に応募したことがある。
書類審査で通って、現地まで面接に言った。
商工会議所で10数人の地元の方の前でプレゼンした。

以前に、地元の富山県でもタウンマネージャー を募集していました。
条件はなんと「無職」であること。
年間800万円ぐらいの人件費で一名の募集。結構な高給。
無職じゃないとできないって何だろう。
確か60過ぎの大手で働いていた元コンサル?の方が就任したと記憶。
就任一年間で、結果何をしたかを言えばこちらは記憶がない。

中小機構登録タウンマネージャー時代は、
中小企業庁が行う年一のタウンマネージャー研修にも参加。
とにかく知識のインプットと
情報のアップロードは必要でした。
商店街活性化本は一通り読みました。
元コピーライターという強みを生かし、
各地域のタウンマネージメント従事者にも取材的に会いに行った。

1名は東京で。ほぼ共感できる書籍の作者でした。
活性化できるか否かは、その街の首長次第という考え。
さらに1名は東京で。若く期待されている人材でした。
礼儀正しく、主義主張も間違っていなかった。
ただ、打ち合わせに電通の友達を連れてきたのが残念。
一人で来て欲しかった。
彼はこのnoteで現役で書いています。
1名は高松で。
あの有名商店街の理事で、その商店街の成功を全国公演しているようで。
若い商店主で2代目な感じ。その商店街が国を動かしたという主張。
今名前を検索してもヒットしないので、引退されたのかと。
1名は金沢で。
これはまちづくり会社の若い人材でした。
責任感があり、正しい中心市街地活性化を実行するリーダー。
金沢の現状は彼らの責任ではないと思います。

その後にタウンマネージャー学会に加盟してみたものの、
いわゆる有名タウンマネージャーとは接触しませんでした。
結局関係する皆さんが、私も含めて、
商店街活性化に誰一人成功しなかった。活性化を継続できなかったという現実があります。

視察も、自腹で色々行きました。
札幌市、青森市、盛岡市、山形市、仙台市、福島市、
水戸市、千葉市、横浜市、大宮市、高崎市、宇都宮市、
長野市、松本市、名古屋市、静岡市、浜松市、新潟市、金沢市、
福井市、大阪市、京都市、岡山市、松江市、広島市、
下関市、高松市、高知市、北九州市、福岡市、
熊本市、大分市、長崎市、那覇市など。
10年間ほど、日本テレビの全国うまいもの博という催事がありまして、
弊社ブランドが呼ばれて日本全国に行きました。
その際に休みをとって、
その地域の中心市街地を歩いてみました。
青森では市役所の担当課に取材、
高松は中心商店街の組合を取材、
金沢は市長に取材しています。

東海大学の教授のチームに誘われ、
都内でドコモのシンポジウムに参加しました。
商店街活性化の発表内容が面白いということで、
日本広報学会と日本社会情報学会に所属。
Iモールトレンドを軸とした「新中心商店街論」の
論文をまとめてようと思っていましたが、
みずほ総研から依頼を受けての出版で、
おおよそを発表してみました。

富山県のタウンマネージャー 募集にも違和感を感じましたが、
どうしても政策性のある公共事業に首を突っ込むと、
地域の「闇」にふれないといけません。
一日で数億円の効果があったタウンマネージメントの
駐車場無料デーを実現させた翌日に、
TMOから「長谷川を今後の事業から外せ」との圧力がかかりました。
所属するはずの中央通り商店街組合からは、
組合費を納めても組合員になれないと通告。
過去5年間の決算を見せてもらうという要望への回答でした。
どちらも法令違反です。結果裁判となりました。
TMOのラスボスだった森市長は、この4月で勇退。お疲れ様でした。
中央通り商店街組の当時の理事長たちは、
自身の店舗が商店街にゼロとなり、
会社そのものがなくなってしまったとか。
証人として出席した名物事務局長は他界している。
この20年で、世界は変わった。

国に認定されたタウンマネージャー も、
公募で選出されたタウンマネージャー も、
TMOが雇用するサラリーマンタウンマネージャー も
結果活性化したとされる商店街がないことから、
機能しなかったと判断するしかない。
人材不足なのか、指導者不足なのか、
いわゆる「やっている感」要員の太鼓持ちポジションなのか、
公金事業用のコンサルタントなのか、
元々現代に必要とされていない業種なのか。
それでも「やっている感」をアピールしている
タウンマネージャー的なコンサルタントや専門家はまだいらっしゃる。

私は商店街や地域の商業活性化に
タウンマネージャー という職業は必要だと思っています。
ただし、今までの国や商工会議所が選出する方法ではなく、
スキルと情熱を持った地域の人材が、
タウンマネージャー議員として活動するスタイルです。
国から補助金引き出すための存在は不要。
地域のことは地域で考える。

タウンマネージャー議員なら、
地域の有権者が決めれますし、
職業として報酬も安定している。
能力がなければ選挙で
次の人材に変えることができて、
選出されたタウンマネージャー議員は4年間は、
地域の商業の活性化事業に集中して終始できる。
地元の商店街をくまなく歩いて声を聞き、
過去30年の日本のタウンマネージメントをインプットし、
法律がどう変わったかも把握。
最新の活性化策と呼ばれている事例を
日本全国に見にいけば、
学歴も偏差値も関係なくプロとしてのタウンマネージャー になれると思います。
地域に貢献できなければ4年で終了です。
緊張感を持って職務にあたれます。
これが私の最後のタウンマネージメントですね。
いつかどこかで実証したい。

新中心商店街論をおおよそまとめた現在まで、
今でも商店街が活性化すると思っています。
地域に必要だと思っています。

ただ、このままでは商店街や中心街どころか、
地方がなくなるとも思っています。
東京で考えられる政策なんて、
単なるガス抜き。
中央集権国家での地方なんて奴隷みたいなものだ。

そのために道州制が必要だと思っています。
このコロナ禍で地方のリーダーの能力は、
地域の経済や未来に大きな影響を与えることが判明した。
全国一律の法律ではなく、
地域に合わせた法律や執行力が必要だ。

20年間、正しいとはいえ、好き勝手に摩擦を起こしてみた。
その結果、富山市と地元商店街からは
干されてしまいましたから、
あとは実力行使です。

そして、自ら商店街に
店舗を出店することになります。

⑤40代/クレーピエ

一部タウンマネージャーと重複している期間がありますが、
次の職業「クレーピエ」に移行していきます。
何度も書きますが、
この遷移は単なる転職ではありません。
私のタイムラインに、
同じ人間の進化したフェーズとして存在しています。
目的の達成のために
必要としたスキルとスペックです。

クレーピエになる5年前に
店舗ブランドの「コムクレープ」は
富山市の商店街に出店しています。
ここで協力を求めるの地元の地方自治体を
富山市から富山県に変えたという経緯があります。
タウンマネージャーとして
当時の知事の鳴り物入りの政策
富山県主宰の「富山ブランドプロジェクト」に一般公募から参加。
その10年後に
クレーピエとして開発した「クレープブリュレ」は。
そのプロジェクトが制定した、
富山県が認定する富山ブランドに認定されました。
その後に富山県の物産展なども参加しています。


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