今ある豊かさに気づく というありきたりな話
片手ずつ、16キロのダンベルを持ち上げる
ベンチに仰向けになり
肘を曲げて
ゆっくり天井に持ち上げる
来週あたりから、18キロのダンベルに変えてみようか
5ヶ月前
この重りは、6キロだった
異変
夕飯を食べているときに、異変に気づいた
右手の握力が落ちている
箸が上手く持てない
それに、息が苦しいし、食欲が全くない
リハビリに失敗 やけくそになって起こした事故
「当たり所が悪ければ右手の握力を完全に失っていました。もっと悪ければ、右半身全部動かなくなっていたかもしれないです。」
復帰予定だった月、うつが再発し、気分が最悪になりやけくそになっていた。
ある日、突然不安に駆られ、オーバードーズ状態で自転車に乗り
単独で事故を起こした。
自分の記憶では、ちょっと転んだくらい
だったはずなのに、思った以上に体に衝撃を与えていた
右手の握力が落ちているのも
食欲がないのも
息が苦しいのも
多分気分が落ち込んでいるだけ
そう思って、過ごしていた。
病院での診断
「少し大変だと思いますが、2~3ヶ月は症状が続くかも知れません。重度のむち打ち症状です。しばらくは安静にしてください。」
どう解釈して、心を整理しようか
家から5分の病院
家まで1時間かけて帰った
人生の底を味わったと思った、数ヶ月後
もっと最悪な状況に陥った。
もはや他人と比べて「不幸せ」というレベルではなく
全て自業自得で招いた状況
立っていても、座っていても、寝ていても、首が痛い
寝れない、食べれないとかではなく、息をするのが精一杯みたいな状況
誕生日
自分「30代、独身男性が花金に誕生日を迎えてしまった時、何をするのがお洒落なんですかね?」
会社のカレー好きの人「バーとか行ってみるの良いんじゃないですか。(多分適当に答えてた)」
自分「最高。それ採用。」
そんな、会話をしていたいのは1年前の話。
※結局、バーには行ったものの、ビール数杯と謎のソーセージの盛り合わせで5000円ぐらい払って、何事もなく帰宅した。
人生で最も無駄な5000円だったと思う。
もはやそんな誕生日すら羨ましくなっていた。
今年は
立っているか、座っているか、寝そべっているか。
このどれかから、首が痛くない体勢を保ちながら、考え事をするだけ。
本を読むにも
パソコンを使うにも
タブレットを使うにも
スマホを使うにも
首が痛くてなにも出来ない
そして、食べれない、寝れない
こんな誕生日ありかよ。。。
日々の当たり前の事に時々感謝してみる
コロナ渦で日常が変わって
日々の当たり前だったことが実は当たり前じゃなかった事に気づいた人は結構たくさんいると思う。
自分もそうだ。
うつになって、
食べて、寝て、体を動かせる
当たり前の事が、実は当たり前じゃなかった事を思い知った。
おなかが減っているのに、食欲がない。
眠いのに、寝れない。
動きたいのに、動けない。
日々当たり前に行っていることは、実は結構エネルギーが必要で
結構、尊い。
マインドフルネスとは日々の生活から「気づき」を得ること
マインドフルネスを学び始めると、最初にお釈迦様(ブッタ)の修行の話が出てくる。
その中でよく「Awareness=気づく」
という表現が使われる。
因みに、丸々一冊、「気づき」について書かれている本がある。
マインドフルネスに出会うまで、こんな事考えもしなかったけど
「日常生活のちょっとした豊かさに気づく=丁寧な暮らし」
なんじゃないかと思う。
生活が不自由になってやっと気づけたけど、
日々の生活は割と「豊かさ」に満ちている。
でも、日々漫然と生きているとそのことにはなかなか気づかない。
というか、今もそうだし。
先日、精神科医でもあり、住職である「川野泰周」さんがクラブハウスでマインドフルネスについて語っていた。
マインドフルネスになって、「日々の豊かさ」に気づくことは意識できるし、理解もできる。でも、大抵の人は次の日には忘れる。
確かにその通りで、常に豊かさに気づくなんて、余程の修行を積んでいる人じゃないと出来ないと思う。
(植物を育てている人は、こういう一日一日の豊かさに気づく「丁寧な暮らし」を楽しんでいる印象がある。)
だから今は毎日の習慣として「マインドフルネス瞑想」の時間を1時間以上作っている。
そして、ジムに行ったときは、ダンベルに話しかける。
「今日もきゃわいいね。最高に君は16キロだ。ありのまま、16キロ。」
来週はきっとまた別のダンベルに話しかける。
「今日もきゃわいいね。最高に君は18キロだ。ありのまま、18キロ。」
今ある豊かさに気づく
これって、人生で何百回って聞いたことがあるし、
使い古されて、陳腐だけど
自分の中で大切にしたいと思う。
うつになった自分から、未来のとても健康で幸せになっている(と望んでいる)自分への伝言。
そして、もう一度ダンベルを天井に向かって持ち上げる
6キロだったダンベルが
今日また自分に「気づき」を与える。