第64弾「ジュリー」
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第64弾「ジュリー」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

64曲目はこれ。ジュリー。本当はもっとかっこういい曲を作りたい。なにか、こうサマになるような、下々から「キャー!」とか言われちゃう系の、イカした音楽を作りたい。のに、実際にやってみると、こういう曲ばかりできる。なんの業なのかしら。音楽が陳腐な分、歌詞くらいは深いものを、とか思っているのだけれど、どれだけ成し遂げられているのかは、謎、です。

「ジュリー」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

恋に 恋をした また 傷が ひとつ増えた
でも 明るい未来を 信じるんだ ジュリー

一輪の花を 見ろ とても綺麗ではないか
吹き荒れる 雨風に 負けるな ジュリー

望んで 生まれた わけじゃないけど
生きることを 望んでいない わけではないし

わたしの 代わりに 生きている

故意に 恋をした コラ また いつものやつだろう
性懲りもない いい加減 目を覚ますのだ ジュリー

みんなもがきながらも 幸せに 手を伸ばすよ
完璧な人間は いない 受け入れろ ジュリー

遊びで 生きてる わけじゃないけど
遊びで 生きてはいない わけでもないし

ひとつの 命を 生きている

愛に 恋をした ほら きっと また会えるよ
奇跡は 何度でも 起きる さあ 顔あげろ ジュリー

ああ 思い出していた 君と 歩いた 道
夢中で 走り出す君が 大好きだ ジュリー

世界は愛でできている と 思ってたけど
どうやら 世界は恋でできている ようだ

あなたは もうひとりの わたしです
あなたは もうひとりの わたしです

※※※ 動画では諸々をすごい間違えています ※※※

世界は愛でできていると思ってたけど、どうやら、世界は恋でできているらしい。これは、最近の、実感です。音楽をはじめてから、音楽関係者のひとから「音楽なめんな」とか「遊びで生きてんじゃねえよ」みたいなことを結構言われたけど、あたし、思うの。音楽は、そもそも、楽しむものでしょう。それが、いつから『テクニック大会』みたいなものに、成り下がってしまったのかしら。あたし、そっちの競争には、いかない。いきたいとも思わない。そう思う最大の理由が、やっている人たちが楽しそうじゃないから。

遊びで生きているわけじゃない、とか、格好いい言葉かもしれないけど、あたしに言わせたら「余裕ねえな」って感じよ。遊びで生きているのよ。我々。遊びで生きながら、本気で泣いたり、本気で笑ったり、したいのよ。この前、千葉でライブをやらせてもらったときに、確信した。大事なことは「どれだけ楽しめているか」を示すことだ。って。どれだけ技術が達者でも、やっている本人たちが堅苦しかったり、なにかこう『善悪の世界で戦っています』的な雰囲気を出されちゃうと、一緒に楽しめない。一緒に踊れない。基本的に、人間って「楽しみたい」っていう欲求を抱えた生き物だと思う。だから、一緒に、楽しめること。だから、一緒に、踊れること。それが、一番、大事なことなんだって思った。うまいとか、へたとかじゃ、ない。へたくそでも、楽しそうにやっていれば、可愛げがあれば、大丈夫。

油断をしていると、業界の人間を相手に戦っちゃうような、そんな心理状態になることがある。音楽関係者をうならせるような音楽を、とか、嫌いなあいつ(ライバル)をギャフンと言わせるための音楽を、とか、誰かと比べるための道具として、音楽を使ってしまいそうになることがある。でも、もう、そういうことをしたくない。自分が音楽をやる理由は、音楽をやっている時間が、どうしようもなく楽しいから。この、純粋なよろこびを、他者との比較とか、自分のつまらない承認欲求とかで、潰したいとは、思わない。

学問の世界も、クラシックの世界も、似ていると思う。それを通じて幸せにしたい相手は、同じ土俵の人間ではなくて、土俵の外側にいる「一般の人々」だと、思うのよ。みんなで幸せを感じたくてはじめたものが、いつの間にか、狭い世界で「自分の正当性を主張するため」に使われるようになったら、一巻のおしまい。音楽を聞いてくれるお客さんが、あのコード進行ははじめてだ!とか、あのギターのリフをなんだかんだでああだこうだ、とか、そんな具体的に感動をすることってないと思う。ただ、なんとなく素晴らしいとか、ただ、なんとなく心が震えたとか、ただ、理由はわからないけれど涙がとまらくなった、とか、抽象的に感動をするものだと思う。頭じゃない。心で感動をする。だけど、他者との比較になると、頭で戦っちゃう。

伝染する感動って、どれだけ、そのひとが「それを愛しているか」だと思う。そのひとが、それに込めている自分の純粋な気持ちが、そのまま(音楽だったら音楽にのって)聞く人に伝わるのだと思う。技術じゃない。ハートよ。技術って、頭に訴えかける。でも、本当に素晴らしいものは、魂に訴えかける。ツイッターとかを見ていても、思う。いいねがたくさん集まっているツイート、あれ、表面的には「参考になる!」とか「役に立つ!」とか頷けるものも多いけど、なんだか、長い時間読んでいると疲れるのよ。摩耗するのよ。退屈になるのよ。もっともらしいとは思うのだけれど、肝心なものがかけているのよ。それが、あたしにとっては『うれしさ』だと、思うの。

本当に素晴らしいものは、絶対、聞く人に『嬉しさ』を感じさせる。格好いいなあと思う音楽はたくさんあるけど、聞いていて嬉しくなる音楽って、あんまりない。参考になる言葉はたくさんあるけど、聞いていて嬉しくなる言葉って、あんまりない。だから、あたしは、できることならば「涙が出そうになる」言葉を、「涙が出そうになる」音楽を、作りたいと思う。聞いてくれるひとがどう思うかはわからないけれど、少なくとも、自分自身は「なんだかちょっとだけ泣けるなあ」と思えるものを、自分のハートにグッとくるものを、音楽にしたり、言葉にしたい、と、思う。そうじゃないと疲れる。

自分のすごさを認めさせたいがために、技術を磨く、そんな方向に舵を取ってしまいそうになる瞬間がある。でも、誤解を恐れずに言えば、技術の勝負、テクニックの勝負って、すごいとは思うけど「退屈」な世界だと思う。そして、あたしは「ハッ!」ってなるの。いかん。いかん。俺は俺の世界観で勝負をするのだった。技術の勝負は降りたのだった。俺は、純度の勝負をしたいのだった。みたいな感じで、自分を取り戻したりするの。ちょいちょい自分を見失うものだから、こうして書くことによって、自分が進みたい方向を確認している。そういった傾向が、あたしには、おおいに、あります。

だから、書いている全部、これは他でもない「自分自身に言っている」言葉になる。生きていると、肩肘張っちゃうことも多いけど、でも、一番大事なことは『楽しむこと』だと思うのよ。人生は苦よ。楽しいことをやっていても、苦しいことなんてたくさんあるのだから、せめて、演奏をしているときくらいは、楽しみましょうよ。聞いてくれているひとたちも、思わず一緒に歌っちゃうような、思わず一緒に踊っちゃうような、思わず一緒に笑ったり、思わず一緒に泣いちゃうほど、素敵な音楽を奏でましょうよ。ってね。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月4日&5日 19時-21時@新潟県新潟市「海のオフィス」

6月9日(日)17時~20時頃@大阪市北新地「Candy」

6月30日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

非常にありがたいことに、イベント出演のお誘いをいただきました。当日は、みなさまとお話をしながら数曲披露させていただくような、そんな感じで進みます。是非、生けいごちゃんの波動をリアルで感じてください。この前、過去に数回お会いした女性から「坂爪さんと会うと、必ずそのあとにいいことがあるから、私の中では『坂爪大明神』ということになってます!」くらいのことは、言われているのよ。とかなんとか、こういうことを書くと宗教っぽいから、やばいわね。まあ、いいや。だって、ホントなんだもん。

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


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坂爪圭吾

バッチ来い人類!うおおおおお〜!

あんたのこと、うち、めっちゃすっきゃねん!
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