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第43弾「うなばうあー」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

43曲目はこれ。うなばうあー。うなばうあーっていうのは『うんこなばばあ』の略称、みたいなイメージです。人間関係のコツは「いかに諦めてもらうか」だと、あたし、思っています。これは、ある種の宣誓ソング。あたしを諦めてちょーだい、っていう宣誓をする。こういう歌を、歌ってしまうタイプの人間なのよ。うんことか、普通に、連呼をしたくなる生き物なのよ。

「うなばうあー」

うんこ うんこ うんこなばばあ
うんこ うんこ うんこなばばあ

俺の夢は 壊れない
壊れているのは お前らだ

お前の穴は お前が埋めろ コノヤロー

もっときみを 怒らせたい
へそでお茶を 沸かせたい

うんこ うんこ うんこなばばあ
うんこ うんこ うんこなばばあ

俺の夢は 終わらない
終わってるのは お前らだ

愛されたいなら 愛してごらん うなばうあー

もっときみを 怒らせたい
オーディエンス 沸かせたい

うんこ うんこ うんこなばばあ
うんこ うんこ うんこなばばあ

これは宮益坂の歌広場っていうカラオケで録音をしたから、ノイズが酷いわね。カラオケ、安くて個室で飲み物もついているから助かるんだけど、でも、両隣の部屋から聞こえてくる歌声、あれ、たいがいの場合「うるさい」だけよね。ヒットソングを歌っているはずなのに、聞いている側からすると、あれ、ノイズにしか聞こえない。歌って、こわいわね。歌っているひとは気持ちよくても、聞いているひとには不快感だけを残す、凶器にもなる。

自分が音楽活動をしておいてあれだけど、あたし、日本の音楽を聞くと「疲れる」のよ。カラオケに行くでしょ???で、トイレとか行くでしょ???すると、店内にBGMとか流れているでしょ???あれを聞くと、なんだかすっごい疲れるのよ。なんて言うのだろう、不自然な元気にあふれているというか、無理やり「からっぽななにかに扇動されている」ような、不愉快な気持ちになって、疲れるの。あなたには、そういう体験、ないかしら???

最近は「音楽を取り戻せ」ってことを、すごい、感じる。あたし、数年前まで家なし生活をしていたんだけど、あの頃は家もお金も仕事も、なにもなかったの。でね、ふてぶてしいあたしは思うわけよ。金持ちに生まれて、ものはなんでもあって、それで楽しそうに生きているのは、めっちゃ普通。でも、その逆、金も家も仕事もなんにもないのに、それなのに元気に生きていたら、存在が不思議というか、面白い生き物になれるような気がして、あの頃は「ないけど元気」がモットーだった。それが受けたのかなんなのか、全国各地、世界各地から呼ばれるような生活が続いて、流浪の日々が続いた。

時は流れて今。家なし生活の時期が「ないけど元気」なら、音楽活動の日々は「へたでも元気」が、合言葉になりそうです。あたし、思うのよ。歌が上手いから堂々としている、って、なんだかあまりにも普通じゃない???でもさ、歌がめちゃめちゃヘタクソなくせして、それでもなお堂々としていたら、存在として新しいと思うのよ。胸を張れるものなんてなにもないのよ。なにもないくせに、なにもないことに胸を張っている生き物がいたら、それ、結構な希望になると、思うのよ。言っている意味、わかるかしら???

たとえばさ、楽器を演奏できないひとに「あなたは音楽をやっていますか?」って聞いたら、多分、やっていませんって答えると思う。普段、日常的に踊るような機会のないひとに「あなたは踊りをやっていますか?」って聞いたら、多分、やっていませんって答えると思う。でもね、あたしは、ここにアンチテーゼを唱えたいの。違うだろう、と。音楽をやっていない人間はいない。踊りをやっていない人間はいない。たとえば、朝、駅までの道のりを歩いている途中、イヤホンを耳に差し込んだらもう、そのひとは『音楽をやっている』のよ。そして、同時に『踊りをやっている』と、思うのよ。

音楽を聞く。鼻歌を歌う。音楽にあわせて踊る。歩く。体を動かす。それだけで、もう、そのひとは『踊り』も『音楽』も、実生活のなかでやっているのよ。それなのに、まるで、それを専門的にやっているひとだけが『それをやっている』と言うことが許されているような、そういう雰囲気に、あたしは異論を唱えたい。音楽は、みんなのものでしょう???踊りは、みんなのものでしょう???決して、専門家だけのものではない。器用にできるひとだけのものでもない。音楽は、万人に開かれている。踊りは、万人に開かれている。それなのに、いま、とりわけ芸術界隈は「専門家以外は門外漢」みたいな雰囲気になっていることが、あたし、なんだか無性に腹がたつのよ。

絵も同じよ。絵は、絵描きだけのものじゃない。それなのに「あたしは絵描きじゃないから」とか「あたしは芸術に詳しくないから」とか、謎の謙遜が世の中にたっくさんある。まるで、自分には価値がない、自分には能力がない、自分には才能がないって、最初から『自分が自分を低く見積もる』クセをつけられているような、そういう雰囲気を感じる。これ、おかしいと思わない???音楽って、上手に歌えるひとだけのものじゃないわよね???運動も、同じ。決して、早く走れるひとだけがマラソンをやっていいだなんて、そんなルールはない。あくまでも、目的は「楽しむこと」でしょう???それが、いつのまに「ちゃんとやること」になっちゃったの???

だから、あたしは、自分に自信を持つためにうまくなりたいとは思わない。真逆よ。ヘタなら、ヘタなりに、ヘタクソなままで堂々と歌いたいと思う。胸を張って歌いたいと思う。そのことで、周囲から(とりわけ自称音楽専門家から)罵詈雑言を浴びる結果になっているのだけれど、それでも、一向に構わない。あたしは、専門家に向けて、歌っているわけじゃない。そんな、狭い世界で生きるつもりは微塵もない。楽しければいいのよ。自分が楽しんで、それを一緒に楽しんでくれるひとと、音楽を楽しむ。それ以上でも、それ以下でもない。あとは、その輪が広がれば、そのことをうれしいと思う。

音楽を取り戻す。本来であれば、誰もが同一の地平の上で、平等に楽しむことができるはずの音楽を、取り戻したいと思う。だからこそ、うまいからいい、へただからダメ、という価値観を超えたいと思う。あたしの音楽を聞いたひとから、この前、こんな感想をもらったの。「酷いですね!そして、最高ですね!」って。ね。これ、すごくない???良いの反対は、酷い、ではないのよ。良いと、酷いは、共存することができるのよ。これ、すごいことだと思わない???まさに、カオス。カオスこそ、この世の実態だと思う。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

4月28日(日)15時~16時@ごちゃまぜの家「定期演奏会」

5月4日(土)15時~17時@三重県志摩市「around.HANA」

5月5日(日)19時~21時@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」

非常にありがたいことにライブ出演のオファーをいただいたわ。うれしい。とってもうれしい。内容としては、みなさまとお話を楽しみながら、途中、四、五曲をお披露目させていただく感じになります。生けいごちゃんから放たれているエネルギーはそれなりのものがあるから、それに触れるだけでも参加の価値があると思うわ。あと、もし、こんなあたしと「イベントを開催したい!」なんて思ってくださる方がいたら、是非、お気軽にお声をかけてちょーだい。交通手段さえどうにかなれば、あたし、何処までも行くわよ。

西日本(および日本国民)のみなさま、kozotte、遊びに来てちょんまげ!!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!