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第81弾「いきあたりバッチリ」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

81曲目はこれ。いきあたりバッチリ。出して出して出しまくるわよ(音楽)。これはもう『いきあたりバッチリ』と言いたかっただけの曲です。やりたいことをやったもん勝ち。青春なら。的な。的な。あたし、今日、思いました。どれだけ恵まれた環境にいても、やらないやつはやらない。逆に、どれだけ厳しい環境にいても、やるやつはやる。環境なんて、関係ない。

「いきあたりバッチリ」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

あの日から おれは ずっと 待っていたのさ
君のこと ほっとかないぜ 会ってきめましょ

会って きめる!? ちょっと まって
行って きめましょ

ばかなこと 言わないで
いきあたり バッタリは もう 嫌よ

あの日から でもね ずっと 待っていたのさ
おれたちのこと 待っている アレきめましょ

お願いよ ちょっと まって
会って きめましょ

そんな ことは 言わないぜ
いきあたり バッチリの ぼくらなら

あの日から おれは ずっと 待っていたのさ
君と ぼく 愛し合ったまま 骨 埋めましょ

だから、逆に言えば「どんな環境でもやっちゃこと(やってしまっていること)」が、そのひとの魅力というか、本質というか、才能というか、本領なのだと思う。あたしだったら、どこでも文章は書くし、どこでも音楽をやる。うるさいと言われてもやめないし、下手くそだから消えろと言われても消えない。だから、誰かに「あなたはこうした方がいいよ」っていうアドバイスって、大概、無益なんだと思う。やるやつはやるし、やらないやつはやらない。だから、他人の生き方をああだこうだというより、自分に、集中。

最近は「アウシュビッツに比べたら天国」みたいなことを思いながら生きています。あたしは壊れたテントに暮らしているのだけど、大雨のあとは、テントの中が(雨漏りをして)水浸しになります。雨上がりに、雑巾とかでテント掃除をするのだけれど、あんまり惨めな気持ちにならない。雨が降ることと、テント掃除をすることが、同時タイミングになるから。一石二鳥。テントは小さいから、小さいテリトリーなら「愛し抜くことができる」メリットがある。これが、豪邸だとそうはいかない。掃除も大変。だけど、テントくらいのサイズなら、毎日の掃除も苦にならない。むしろ、愛着が増す。

あたしは独り言が多いというか、常に頭のなかで言葉がゴロゴロしているのだけど、昔から「掘っ建て小屋でもいいじゃない」って言葉が好きだった。広い家に住めなくても、世間的には惨めな暮らしをしているとしても、別に、いいじゃない。アウシュビッツに比べたら天国じゃない。的な。的な。テント暮らしは「かわいそうなひとですね」的な視線をすごい受けるけど、雨音を感じながら眠るのは結構豊かだし、鳥のさえずりで目覚めることも、自然と薄皮一枚で繋がっている感じが、すごい気持ち良かったりする。頑丈な壁にはない、薄さ、が、外部との垣根を(良くも悪くも)薄くするのよ。

台風くるたびに破損しているから、寿命は近い。あたしはどうなっていくのだろう。最近は「意思」のことを考える。たとえば、痩せたいと思う。ただ、気分が乗らないことがある。そのとき、ダラダラする道を選ぶのか、筋トレをする道を選ぶのか。人間、どのような状態に置かれても「そこで、どう動くか」の自由は残されているのよね。毎日、選択の連続。そして、選択の結果が、いまの自分。これは、案外、誰のせいにもできない。環境を言い訳にしたくなることもあるけど、前述の通り、やるやつはやる。やらないやつはやらない。だから、やらない自分を責めるより、いつの間にか『やっちゃっている』自分を導き出して、それを生かしてあげることが、いい気がする。

あたしはなにをやっちゃっているだろう。たとえば、悪態をつくことは毎日やっちゃう。あとは、頭でダジャレを考えること。言葉遊び。みんなやっていると思っていたんだけど、ファミマとか入ると、BGMが流れるじゃない???歌詞のないBGM。駅のホームとかでも、BGMって流れる。歌詞がないBGMが流れると、あたし、絶対にそれに歌詞をつけたくなっちゃうの。これ、みんなもやってると思ってた。でも、みんなに聞いてみたら、誰もそんなことをやっていない。ファミマのBGMには、あたしなりの歌詞が(あたしの脳内に)ある。山手線のホームの音も、あたしなりの歌詞が(あたしの脳内に)ある。同じように、みんなの脳内にもあると思っていたのだけど、誰か「あたしもBGMに勝手に歌詞をつけるの、やってます!」みたいなひと、いるのかしら???あたし、まだ、ひとりにもあったことがないのよ。

あたしは、言葉が好きだと思っていた。そして、音楽が好きだと思っていた。でも、正しくは『音』が好きなのだと思う。リズムが好きなのだと思う。音って、振動じゃない???振動は、壁を突き抜けるのよね。臓器にダイレクトに届く。だから、鐘の音を聞くと精神が統一されたり、祭り太鼓を聞くと原始的ななにかが目覚めたりする。音って、深くまで、届くのよね。と、ここまで書いたところで、緊急地震速報のアラームがなりました。すごい、心臓に悪い、音。横浜はまったく揺れなかったけど、あたしたち、すごい世界に暮らしているのね。いつ、どこで、地震がきてもおかしくない国に、こうしていまも暮らしているのね。当たり前に生きているつもりでも、当たり前なんてないんだなってこと、今更になってすごい実感したりする。

強く生きる人は、それだけで希望になる。

変な想像になるけど、たとえばあたしが孤児だとする。そのことで迫害を受けたとする。生きる希望をなくしたとする。誰も、自分のことなどわかってはくれないのだ。と。そのとき、自分と同じ状態で、それでも強く前を向いて生きようとしている人間がいる。そのことを知った時、多分、あたしは勝手に「自分も頑張ろう」って、思うような気がする。不幸な状態、不幸だと言われているような状態に置かれているとしても、そのなかを強く生きようとする限り、それに触れた人の希望になり得ることがある。どのような状態に置かれても、人間は生きていくことができるのだという、見本になれる。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月30日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。もし、人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけたら最高にうれしいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!