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もう一つあるパターン~自我親和性パターン

前回は、感情労働ができる人として「自己一致パターン」をご紹介しました。

前回の記事で、少し言葉が足りなかったかなぁと思ったところがあるので、ここで補足させてください。

いつも自己一致できている人というのは、きっといないと思います。
ただ、「あれ、なんか苦しい」と思ったときに、自分は本当にこの建前を受け入れているだろうか、と確認してほしいのです。そして、自分の中の本音と建前が、互いに納得するまで話し合ってほしいのです。
それによって今の建て前を受け入れられるようになればよし、この建前を受け入れ続けることで本来の自分が押しつぶされてしまうようなら、建前をこそ変えなければならないかもしれません。少なくとも、その可能性を認めない話し合いは話し合いにはならないのです。

だから、「感情労働ができる人」と銘打って「自己一致パターン」を挙げましたが、「自己一致している人なら誰しも感情労働ができる」わけではなくて、「感情労働をしながら自己一致できる人が感情労働に向いている人」というのが正確だったろうと思います。

また、一切自分に嘘をつかずに生きられる人というのも、なかなかいないと思います。本音が押しつぶされない程度に自己一致していれば、それで十分かと思います。

それでは、今回の題名も、そんなぐらいの意味と思って読み進めてくださいませ。

自我親和性パターン

その前の記事で、感情労働が難しい人を「自我疎外性パターン」と呼びましょうという話しをしました。

しかし、疎外があるなら親和もありますよね、ということで「自我親和性パターン」というものもあります。
(すべて私が勝手に言っているだけで、コールセンターのビジネス書を見れば載っている、というものではありません(;^_^A)

「自我疎外性パターン」が本音と建前が葛藤中だとすると、「自我親和性パターン」とは、現実に起きている問題を問題と認識しない状態です。建前がそもそも存在していないというか、建前が現実の枠組みからずれている状態です。「自我疎外性パターン」は本人が苦しんでいますが、「自我親和性パターン」の場合、本人は苦しんでいません。

例えば、自分がありがとうと思えば、明るく気持ちをこめて「ありがとうございます」と言うけれども、自分の嫌いなタイプのお客さまには形ばかりのお礼を言って、ひどい場合はお礼を言わずに、それで問題を感じないような状態です。

本人が苦しんでいない代わりに、苦しむのは周りの人たちです。

周りが困る

このような人は、よしんばそれでクレームになったとしても「クレームの対応をするのは、上司の役目でしょ」と罪悪感を感じることもありません。
出世思考も向上心もない代わりに、会社の方針に文句を言うこともありません。
もし「お礼に気持ちがこもっていない」と指摘をしても、「すみません、気をつけます」と答えるので、それ以上問題にすることもできません。

つまり、「自我親和性パターン」とは、自分の都合の良いように仕事の範囲を決め、その中に安住しているパターンのことです。
本人の中の本音と建前は一致しているので、本人にストレスは溜まりませんが、本人が勝手に決めた仕事範囲のおかげで周りの人がストレスを感じることになります。

「自我親和性パターン」では、“謝意”も“お詫びの気持ち”も“共感”もあります。問題は、安定して、いつでも誰にでも表現する、ということができない、ということです。

では、「自我親和性パターン」の人には、どうすればよいのでしょう。
感情労働が仕事なのだ、ということを説明してわかってもらうことが重要ではないかと考えています。

もっと具体的に言うと、“謝意”と“お詫びの気持ち”と“共感”の3つのうち、適切なものを選び、それを常に表現しなくてはならないこと。逆に言うと、少なくとも“謝意”と“お詫びの気持ち”と“共感”の3つ以外の気持ちが表現されてはいけないこと。
加えて、それが会社があなたに求めていることであり業務内容であり評価の対象であること。

この2つだけでもわかってもらえたら、仕事の仕方も変わり、仕事の仕方が変われば電話応対の仕事の喜びも感じてもらえるのではないでしょうか。

念のため申し添えると、このパターンは、、、大変です。

それでは、また。


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