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感情労働が難しい人~自我疎外性パターン

前回、電話応対とは感情労働であり、
電話応対における感情労働には“謝意”と“お詫びの気持ち”と“共感”の3つしかない、という話を致しました。

でも、このたった3つを行うことが難しいという人が中にはいます。
難しい“人”というよりも、難しい“状況”なのかもしれません。

自我疎外性パターン

ところで、本当はこんな仕事したくないと思いながら働いている会社員は沢山いることでしょう。
コールセンターの仕事においても同じように思いながら働いている人がいるのは当然です。(宝くじで1億当たったら私は即座に仕事を辞めますW)

一生懸命働こう、という気持ちが建前にすぎなくても構わないのですが、
会社の代表としてお客さまとしっかり向き合うためには、建前と本音が協力関係にあることは重要です。

建前と本音が対立している場合、例えば「働きたくない」という本音と、
「文句言わずに働かなきゃ」という建前の両方が心の中でせめぎあいをしています。
自分の心が半分に引き裂かれてケンカをしていたら、お客さまへの感謝の気持ちもお詫びの気持ちも生まれる余地はありません。

「ありがとうございます」って言わなきゃ。
でも、電話が鳴りっぱなしで私のほうがよほど大変なのに、なんでありがとうなの?マニュアル見れば分かることでも、ウチに言ってもしょうがないことでもなんでみんな平気で電話してくるの?こっちはそんなに暇だと思われてるの?小間使いかなんかだと思われてるの?なんなら、かけてこないでって言いたいのに……!

こんな気持ちを抱えながら絞り出した「ありがとうございます」に気持ちを込めろと指導しても、込める気持ちが心のどこにも見当たりません。ましてや共感なんて……とんでもないことでしょう。
(心理学用語で言うところの「自我疎外性」という言葉が、この状態に近いようですので、このような精神状態を「自我疎外性パターン」と呼びましょう。)

この自我疎外性パターンに陥っていると、心の中では本音と建前がケンカをしていてうるさいので、なるべく心から目を背けて仕事をするようになります。
このような状態でも肉体労働(PCへの入力作業や、物理的に声を出すなど)や頭脳労働(問い合わせに対応する答えを探したり考えたりすること)は可能です。嫌々でもできますから。

しかし、段々心から目を背けることに慣れてしまうと、「聞かれた質問を調べて答えることが私の仕事だ」と、いつの間にか業務内容が変わってしまいます。

こうなってしまうと、もう上司が何を言おうと右から左。

「笑顔が大切よ!」
「心をこめて謝罪しなさい」

これらの言葉は何の現実味も無い理想論にしか聞こえません。
だって本当は働かなくてはいけないはずの感情は、身内同士でケンカに明け暮れているような状態です。自分でも好んでそんな状態にいるはずはありません。
どうにもならないから、本人も諦めるしかないのです。そこを押して、いっぱいいっぱいの状態で働いているのに、これ以上、何をどうしろというのでしょう。

それでは、逆に感情労働ができる状態とはどのような状態でしょうか。
それを次週考えたいと思います。

それでは、また。


世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。