不可能を、削り抜け! 常識に立ち向かい、他の追随を許さない金属切削技術で多くの人を幸せにする。【前編】
経営者JPが運営する志高き経営者・経営幹部・次世代リーダーが集う会員制プラットフォーム「KEIEISHA TERRACE」。「日本全国 注目社長!」では、日本全国の元気な経営者のみなさまに、長く続けるコツ、地域ならではの経営術を伺っています。
長い間、日本経済を支える大きな産業となってきた「ものづくり」。しかし、少子高齢化による人材不足や海外生産の増加などにより、近年は危機に瀕する企業も増えています。そんな中で注目を集めているのが松本興産株式会社。CNC旋盤による金属切削技術で、自動車をはじめ産業用機器や医療機器、通信機器などに使われる部品の加工をする会社です。
代表取締役の松本直樹氏は、商社勤務などを経て父が創業した会社の社長に就任。さまざまな改革を大胆に行い、就任時に4億円だった年商を50億円にまで伸ばしました。その秘密は他社にはまねのできない精密な加工と、社員の能力をフルに発揮させる環境づくり。高校時代に打ち込んでいた野球がいまにつながっていると語る松本氏。その経営哲学と二代目ならではの苦労を語っていただきました。
(聞き手/井上 和幸)
野球を通して耐えることを学んだ
松本興産は、1970年に父が立ち上げた会社です。最初は2階建ての自宅の1階に、並べた機械で部品をつくるところからスタート。その翌年にわたしが誕生しました。
父はいつも忙しく、小さいころはあまり話もしませんでした。その代わりわたしは土日もなく野球に打ち込んでいたので、寂しくはありませんでした。そんなにうまい選手だったわけではなく、プロ野球選手になる夢は早くも小学校時代に挫折(笑)。それでもどうしても高校までは野球をやりたかったので、そこは自分の意志を貫きました。
野球からは多くのことを学びました。当時の高校野球は上下関係が厳しくて、理不尽なことも多かった。いまと違って練習中に水も飲めなかった時代です。それで才能があるのに辞めていく子も多かったのですが、わたしは我慢しました。社長になって苦しいことがあっても耐えられたのは、そのせいだと思います。
父は1989年に大きな工場をつくりました。ただし、それに見合うだけの仕事はなかったと思います。工場を覗いてもスカスカでしたから。借り入れを大きくしても、とりあえず大きく見せる。そういう時代だったんでしょう。それが日本の高度経済成長に結びついたのではないでしょうか。ともあれ、わたしが後を引き継いだときには、かなりの額の借金が残っていました。
大学は東京電機大学。明確に父の後を継ごうと思っていたわけではありませんが、ある程度意識していたので機械系に進みました。そこで専門的なことを勉強するうちに、「ものづくり」への興味が湧いて来ました。父の仕事ともそれほど離れていないし、「このまま行くのもありかな」と将来の選択肢の一つとして考えるようになりました。
悩みに悩んで後を継ぐことを決意
大学卒業後は、自動車部品を扱う専...
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