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発達障害=片付けられない人、の違和感

ADHD=片付けられない人が前提にある世の中​​​​​


初めまして。
もうすぐで三十路に足を突っ込むアラサーにして、
ADHDとグレーのアスペルガー判定を受けたKeiと申します。

今回はADHDと検索するとよく見かける、
こういう記事について一言言おうと思います。

「片付けらないと思っていたら、実は発達障害(ADHD)でした」

本当によく見かけますよね。
一見当たり前の記事です。
ADHDの人から見てもそうだろうと思います。
だってADHDだから。だから片付けられないんだ、と。

片付け方法として、
・物を出しっぱなしにしない
・ラベルを貼る
・床に物を置かない 
 等々・・・。

世間一般としては
発達障害(ADHD)=片付けられない、が典型なんですね。

本当にそうですか?
ADHDは片付けられない人、何でしょうか。


いやちょっと待って!私、片付けできます!!


私はADHDです。
判定を受けて見事に引っかかった人間です。
後数点高ければ、アスペルガーのW判定でした。
何でアスペじゃなかったんだとやつから言われましたが、
残念ながらADHDでした。

けれども、世間一般でよく言われる、
お片付けはできます。多分、むしろ得意な方です。

・何を捨てていいか分からない
・もしかしたら今後必要になるかもしれない
こう言う理由で物を捨てられない、
典型的なADHD特性の人も多いと思います。


ですが、これは同じADHDの私には当てはまりません。
それなりに分別も自重もできて、
必要と必要じゃないものの区別もできます。

ホコリを被った書類や物があれば拭くし、
週数回は掃除。自分の動線上には何も置かない。
毎回決められたところに収納する。
ゴミはゴミ箱。生ゴミは毎回捨てる。
全部普通の人が当たり前にやっていることです。


だが、稀にいき過ぎてしまうことはある


ただ稀に、頭がパンクして何も考えられなくなり
大事な物を捨ててしまう時もあります。

市役所から送られてきた封筒、
国からきた納税催促のラブレター、等。
捨てたらダメな書類ですね。

国民年金なのか健康保険なのか市役所からの何かなのか、
頻繁に転職をしていたので、四方八方から封筒が送られ過ぎて
何が何だか分からなくなります。

そういう時は考え過ぎて頭が急にずしっと重たくなり、
脳がこれ以上考えることを拒否します。
で、とりあえず頭を整理したくて全部捨てる事にします。

大事になるかもしれないので置いておく、
と言う発想はありません。
自分が必要でないと思うものは、全て捨てます。

そのため、度々熱烈なお電話が掛かってくることもあります。
慌てて探しますが見つかるはずもなく。

そうなると再送付してもらうしかなくなるので、
とりあえずこれは諦める事にしています。
やってしまったものはしょうがない。

ただこの様な支払って欲しい人たちからの封筒は
必ず再送付してくれるので非常に助かります。笑
かなり申し訳ないですが・・・。

こういう事を悪気なくやってしまうのも、
もしかしたらADHDの特徴なのかもしれないです。

しかし、家でも職場でも片付けられる私にとっては、
ADHD=片付けられない人として世間に認識されている事に
非常に違和感があります。


違和感の正体​​

私はADHDのことを深く勉強したことはありません。
脳の働き等の難しいことは分からないので、単純に区別しようと思います。

普通の人が私たちADHDを少数派と思うように、
私たちADHDの中でも多数派と少数派がいるのではないでしょうか。

片付けられるADHDと、片付けられないADHD。

そうなると、いわゆる「普通の人」は私たちを区別できなくなります。
ADHDの大多数は片付けられないのが前提としてあるので、
ADHDの人たちの定義が揺らぐからです。

現に、片付けが得意なADHDは話題にも上がりません。
そうなると一見ただの「普通の人」になるから、
もはや障害でも何でもなくなるのです。

WEBで片付けられないADHDの人たちの記事を見て、
ADHDの片付け術や方法が載っている本を見て、
私は自分がADHD当人であるにも関わらず
毎回若干の疎外感を感じざるを得ません。


ADHDだから、ではなく個人として向き合って欲しい​


最近のADHDの記事を見て違和感を感じている人は
私の他にもいると思います。

ADHDと診断されたにも関わらず
片付けが得意であったり、他の人より集中力があったり、
人と会話するのがずば抜けて得意だったり・・・
記事にさえ書かれない少数派が。

「典型的」ではないにせよ、
確かにADHDの特性を持っている少数派がいると思います。

そこで私個人の意見として、
当たり前だけど忘れがちなことを主張します。

ADHDを持ったその人ではなく、その人本人をちゃんと見て欲しい。

ADHDとしてのフィルターでその人を見ると、
「ADHDなのに」片付けができるのね。
「ADHDなのに」しっかりと話ができるね。
「ADHDだから」天才なんだ。
と、そんな風に簡単にレッテルを貼ることができます。

けれど、それは違います。
その人だから、できるんです。
その人が努力したからこそ、今できている事なんです。


障害のフィルターを通して見るのではなく
その人と話をして、どういう考えを持ちで、
どういうものが好きで、どういう価値観で、
どういう人となりをしているのか、
その過程でその人を判断して欲しい。

最終的には個人の価値観で、好きか嫌いかになると思います。
私はそれでいいと思います。
その人が好きなら付き合えばいいし、嫌いなら離れればいい。
好きか嫌いかに、障害のフィルターなんていらない。

それで嫌いと思ったらそれまで。
一生反りが合わないでしょう。


でも大丈夫です。
多分、向こうも同じことを思っているから。

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