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人生100年時代に必要なのは延命を図る働き方ではなく死に損なった働き方だ

「今の会社にしがみつくしかない。」
当時40歳で筆者の部下だった人物はそうイラつきながら言い放った。
彼はその後自分の部下を採用する立場になったが、“自分より優秀な人は採用しない”ことをポリシーにしている。
「あいつは会社のカルチャーにあわない。」
“よそ者”の筆者を攻撃対象にする在籍年数が長い中高年の最後っ屁のような締め括りの文句は、おおかたこのようになっていた。
カルチャー云々ではなく、そこに不格好な仕事の事実があった。
「あいつはいっぺん締め上げてやる。協力してくれ。」
在籍年数と声が大きいものが勝つことで組織に長年影響力を発していた中年男性が、外様の筆者に反撃を試みようと協力者を求めて会議を開催した時の発言だ。
彼ができる事はもうそのくらいしか残されていなかった。
ここにあるのはホンの一例で、とにかく延命を図る醜い中高年は嫌ほど見てきた。
筆者への攻撃もたくさん受けてきたが、最後には彼らは力尽きてしまう。
せいぜい筆者を無視するぐらいしかできなくなった人もいる。
そのような人たちには、「おはようございます」と、笑顔で朝の挨拶をしてあげていた。
無視するおっさんおばさんは、自分の子供には「ちゃんと挨拶をしなさい」と教育しているのだろうか?
人生100年時代でまだまだ頑張れる!人生これから!みたいな中高年讃歌をつらつらと書けばブログのアクセスも伸びるのだが、筆者自身が50歳になって、若者に大人しく道を譲ったほうがいい同年代が多いことに気がついたので、嘘でも中高年に媚びたような文章を書くことができなくなっている。
それでは、「シニア=無能」なのか?と問われれば、「20代でキャリアの登山口を誰かに教えられて登った人は、その道を疑わず登り続けてしまい、シニアになる頃には無能になってしまっている」と答えている。
彼ら彼女らは、もともと無能ではなかったのだ。
今人生100年時代に必要なのは、延命を図る働き方ではなく、死に損なった働き方だ。
現状維持という延命措置では、座して死を待つことしかできない。
変わることを躊躇しない人間だけが死に損なった生き方ができるものだ。
死に損ないにはキャリアのチャンスが何歳になっても巡ってくる。
本当のサバイブは、生き延びる働き方ではなく、死に損なった働き方なのだが、それを教えてくれる人は少数だと思っている。
『死なんと思えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり』と、春日山城の壁書のようなことだ。
ただ世間一般に好かれて受け入れられるのは、生き延びる働き方だが、多くの人の人生設計が〇〇歳まで働くという具合なので、仕方がないのだろう。
道が自分には間違っていると途中で気がついたら、何歳になっても潔く麓まで戻り、また別の道から登り始める人に、人生100年時代はきっと優しいのだと思う。

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