クロロホルム(CHCl₃)

推理小説や漫画などで相手を眠らせるために使われるクロロホルム(CHCl₃)。クロロホルムは甘くてスッとした独特の臭気を持つ液体です。でも、本当にそのような芸当ができるのでしょうか?クロロホルムには麻酔作用がありますが、布に含ませた程度の量では不可能でしょう¹⁾。気を失う量のクロロホルムに暴露させるには、高濃度のクロロホルム蒸気で満たされた場所に相手を閉じ込めるくらいしか方法がないと思います。しかし、相手が有機溶剤中毒になり、最悪の場合は死亡するリスクがあるため、眠らせるだけという目的を達成するのは困難でしょう²⁾。そういった非現実的な方法をとるか、揉み合いのうちに逃げられてしまうのが関の山です。

クロロホルムは劇物に指定されており、毒物及び劇物取締法に基づき、購入には手続き(毒劇物の名称と数量、販売年月日、氏名、職業、住所の書類への記入と使用目的の確認)が必要とされるうえ、盗難防止のため施錠できる保管庫内で管理することや、紛失防止のため使用量を記録することなどが定められています³⁾。また、環境負荷も高いため、様々な法律によって規制が設けられており⁴⁾、近年では使用が避けられる傾向にあります。(GHS分類で区分2, “ヒトに対する発がん性が疑われる化学物質”)⁵⁾

そんなクロロホルムですが面白い性質を持っています。一般的な有機溶剤は密度が水よりも低いため水面に浮きますが、クロロホルムは水より高い密度を持つため水に沈みます。つまり、水より重い油というわけです。さらに、化学反応においてクロロホルムは通常、溶媒として用いられますが、特定の条件で試薬として使用することができます。代表的なのは水酸化ナトリウム(NaOH)などの強アルカリと反応させる例です。(「ジクロロカルベン」や「ライマー・チーマン反応」で調べてみてください)⁶⁾ 通常は反応に関与しない役割を担う物質が反応に関与するのは面白いですが、実験の失敗や事故を防ぐために、反応に使用する溶媒が他の試薬や基質と反応を起こさないかを事前に確認することは非常に重要です。

※本記事は読者に化学に興味を持ってもらう意図で作成したものです。毒劇物や環境に対する法律について完全に解説したものではありません。毒劇物や環境に対する法律の対象となる物質を扱う方は、厚生労働省や環境省などの各省庁、またはお住まいの都道府県が提供する最新で正確な情報を入手してください。この記事によって生じたいかなる不利益や損害に対しても責任は負いかねます。

【参考文献】
1) 青森労災病院, 推理小説と麻酔薬- クロロホルムの真相, https://www.aomorih.johas.go.jp/guide/umineko/2020/6.php (2023年12月3日閲覧)
2) 厚生労働省, 有機溶剤による中毒(平成18年), https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei10/05.html (2023年12月3日閲覧)
クロロホルムによる有機溶剤中毒事故の報告があります。(上のリンク先のページの4月、7月(2件)、8月)。特に7月の医薬品原体の精製中の事例では、死者が出ています。こうした事故はクロロホルムだけでなく、各種の有機溶剤で起こり得ます。不十分な換気、呼吸保護具(防毒マスク)の不使用や不適切な使用が原因に含まれることが多いです。また、安全教育が不十分であった例も見られます。リンク先の年では低酸素が関係する事故は起きていませんが、揮発した有機溶剤により空気中の酸素濃度が低下することで酸欠の危険性があることを忘れないでください。
3) 厚生労働省, 毒劇物盗難等防止ガイド, https://www.nihs.go.jp/mhlw/chemical/doku/guide/guide.pdf (2023年12月3日閲覧)
また、毒劇物に関しての情報は以下のページもご覧ください。
厚生労働省, 毒物劇物の安全対策, https://www.nihs.go.jp/mhlw/chemical/doku/dokuindex.html (2023年12月3日閲覧)
4) 環境省, クロロホルム - 化学物質情報検索支援ケミココ - 環境省, https://www.chemicoco.env.go.jp/detail.html?word=67-66-3&chem_id=61 (2023年12月3日閲覧)
クロロホルムに該当する法規制のうち、代表的なものが“化学物質排出把握管理促進法(化管法)”であり、該当する物質の排出量と移動量を事業者は国に届け出なければなりません。さらに、国はその集計データを公表しなければなりません(PRTR制度)。また事業者が該当する物質を譲渡や提供する際にはSDS(安全データシート)を作成し、情報の記載を義務づけています(化管法SDS制度)。以上の化管法の説明は以下のWebページを参考にしたので、併せてご覧ください。
経済産業省, 化学物質排出把握管理促進法, https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/law/index.html (2023年12月3日閲覧)
5) 厚生労働省, クロロホルム - 職場のあんぜんサイト - 厚生労働省, https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/67-66-3.html (2023年12月3日閲覧)
GHSとは化学品の危険性や有害性を示す国際的な基準で、それらを世界共通の区分分けで示し、絵表示を用いて表しています。GHSについては以下のページもご覧ください。
厚生労働省, 化学物質:GHSとは - 職場のあんぜんサイト - 厚生労働省, https://anzeninfo.mhlw.go.jp/user/anzen/kag/ankg_ghs.htm (2023年12月3日閲覧)
6) Chem-Station, ライマー・チーマン反応 Reimer-Tiemann Reaction, https://www.chem-station.com/odos/2009/07/reimer-tiemann.html (2023年12月3日閲覧)