ラクトンとは何か?

前回の記事ではエステルについて説明をしました。復習になりますが、エステルとは図1のような構造を持つ化合物(R-COOR’)のことをいいます。エステルは果物などの香りを構成する化合物群の1つであることが知られています。

図1. エステルの一般構造

ところで、図1中のRとR’の部分が繋がって輪になった構造のエステルは存在するのでしょうか?答えを言いますと、輪になった構造のエステルは存在します。その化合物群はラクトンまたは、環状エステル(図2)と呼ばれています。本記事では以降、ラクトンと表記します。エステルが果物などに含まれる香りの成分であるのと同様に、ラクトンも果物をはじめとした種々の快い香りを構成する成分の1つです。

図2. ラクトン(環状エステル)の構造の例(五員環と六員環)

図2のタイトルで触れましたが、構造式で表わした際に分子の形が五角形になるものを五員環、六角形になるものを六員環といいます。なので、図2の左のラクトンは五員環であり、右のラクトンは六員環です。合成の容易さは環の大きさによって異なりますが、三員環以上の環が知られています。五員環と六員環のラクトンを比較すると、五員環の方が六員環よりも生成しやすく、開環しにくい傾向¹⁾があります。ラクトンだけでなく、炭化水素や芳香族化合物なども環状のものはn員環と呼ばれます。

続いて、環の大きさ別にそれぞれ代表的なラクトンを紹介します。五員環のラクトンはγ-ラクトンとも呼ばれることがあり、モモを始めとした種々の果物や牛乳などに含まれていることが知られています。γ-デカラクトン(図3)は、アンズ、モモ、イチゴやパパイヤなどの果物に含まれていることに加えて、牛乳やチーズなどの乳製品にも含まれており、化合物自体は”クリーミーでピーチ様の香気”²⁾を有しています。

図3. γ-デカラクトン

γ-ウンデカラクトン(図4)はモモ、リンゴやオレンジなどの果物や牛乳に含まれるラクトンであり、化合物自体の香りは”甘い脂肪臭をともなったフルーティーなピーチ様の香気”と評されています³⁾。

図4. γ-ウンデカラクトン

γ-デカラクトンやγ-ウンデカラクトンの”デカ”や”ウンデカ”は数を表す接頭語であり、”デカ”が10を、”ウンデカ”が11をそれぞれ表しています。身近な接頭語には1/100を表したセンチメートル(cm)の”センチ”や、1000を表したキログラム(kg)の”キロ”などがありますね。今回の例は、”デカ”や”ウンデカ”を用いてラクトン分子に含まれる炭素原子の数を表しています。γ-デカラクトンは分子内に10個の炭素を、γ-ウンデカラクトンは分子内に11個の炭素を含んでおり、しばしば、炭素数を用いてラクトンC10やラクトンC11と呼ばれることがあります。これらの名前は、もしかするとボディソープ関連で聞いたことがあるかもしれません。これら2種類のラクトンは果物や牛乳だけでなく、ヒトからも見出されています。特に、若い女性特有の甘い香りを担っていることが明らかになっており⁴⁾、女性向けのボディソープなどの香り付けに用いられています。

次に、六員環の構造を持つδ-ラクトンについて紹介します。六員環構造を有するラクトンの代表例の1つとしてジャスミンラクトン(図5)が挙げられます。ジャスミンラクトンは名前の通りジャスミン香気を持っており、分子内にcis型の二重結合を含んでいる構造が特徴的なラクトンです。ジャスミンの香りを有する化合物は複数存在しますが(ジャスモン酸メチル類など)、特にジャスミンラクトンは” ミルキーな優れたジャスミン香気” ⁵⁾と評されています。

図5. ジャスミンラクトン

五員環と六員環のラクトンを紹介してきましたが、さらに大きな環をもつラクトンも知られています。例えば、合成ムスク香料の一種として知られているシクロペンタデカノリド(図6, 左)は16員環の大環状ラクトンです。香水に詳しい方ならご存じかもしれませんが、ムスクとはジャコウジカから採取されるじゃ香と呼ばれる動物性香料のことを指します。じゃ香を得るためのジャコウジカの乱獲は絶滅に繋がる恐れがあることから、人工的に合成された様々なムスク香料が開発されてきた歴史があり、シクロペンタデカノリドもその一種です。合成ムスク香料には、天然のムスクの香り成分で大環状ケトンであるムスコン(図6, 右)と構造が近いものから遠いものまで様々なものが存在しますが、シクロペンタデカノリドは比較的ムスコンに近い構造をしています。天然ムスクと合成ムスクの関係は、化合物の構造と香りの双方、または香りのみが類似した物質ですが、他の物質の場合では、天然からの供給のみでは需要を満たすことが困難な物質を人工的に合成することで供給できるようにした例もあり、化学の力が大いに活かされていると言えます。

図6. シクロペンタデカノリド(左)とムスコン(右)

本記事ではラクトンや用語の説明を混ぜつつ代表的なラクトンを紹介しました。聞きなれない名前の化合物でしたが、少しでも化学に興味を持っていただけると嬉しく思います。

【参考文献】
1)     長倉三郎ら 編, 岩波 理化学辞典 第5版, 岩波書店, 2005年, ラクトン(電子辞書版)
2)     湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年6月, p159, γ-デカラクトン
3)     湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年6月, p156, γ-ウンデカラクトン
4)     ロート製薬株式会社, 「若い頃の甘いニオイ」の正体は「ラクトンC10/ラクトンC11」 , https://www.rohto.co.jp/research/researchNews/technologyrelease/2018/0214_01 (2024年2月22日閲覧)
5)     湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年6月, p110-p116, ジャスミン系化合物
6)     湖上国雄 著, 香料の物質工学 ―製造・分析技術とその利用―, 地人書館, 1995年6月, p129, シクロペンタデカノリド