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仕事人間が産休に入るときに抱く大きな誤解

こんにちは。

『わたしの席を残しておいてください』と、この頃、自分の身近なところで、子供を産んだり授かったりする人が増えて、みんな決まって同じような不安をこぼすので、共感するとともに、自分の経験に基づく考えを書いてみます。

まず、仕事人間は、皆が揃って、がむしゃらに働く自分が好きだというわけではない。仕事人間とは、たとえば、組織の中に身を置いて、自分の役割を見出だすのがうまかったり、お客様や会社から頼りにされることが好きで、そのために頼まれもしない努力をしてしまう人のことを指すのではないか、との仮説をたてておく。

で、そういう人に限って、おそらく、とても寂しがり屋。だから、仕事を休むことも苦手だし、素直に自分の代わりを誰かに頼むことができない。というか、したくない。「仕事」の中に自分の存在意義があり、「自分」が仕事の主役であり続けようとする。

そういう仕事人間が産休に入るとき、つい口にしてしまうのが、先の『わたしの席を』である。それは、自分がいない間に仕事が回ってしまえば、自分の存在意義が奪われるという恐怖。自分がいないことを皆が嘆いて、「早く戻ってきてほしい」というセリフを求める感情から発せられるものと思われる。

でも、そこには大きな誤解がある。

組織の歯車がひとつ欠けても事業が継続できるようにしておくことが、あるべき組織の形。そのことに貢献(たとえば、後進の育成など)できる人こそ、組織に求められる人であるということ。だから、心配ない。そういう人は、誰かに席を譲っても、必然的につぎの席が用意されるものだ。

それよりも、もっと心配すべきは、子供が生まれたあとに、“家族”という組織を維持継続させるミッションが課せられるということ。それは、まさに唯一無二、アナタにしかできない大仕事。

自分がいないときも、仕事(育児)が回るようにするには、新米アルバイトとしてスタートする“パパ”を一人前に育てなければならない。それに加えて、自分がいないことを「オギャア」というセリフで嘆き続ける存在を相手にすることになる。「オギャア」が「ママ」になり、「ママ」が「オカン」になり、たまに「クソババア」になるかもしれない。少なくとも20年は続く一大プロジェクトにアサインされる。

そう思えば、いましがみつこうとしている『わたしの席』なんて、どうぞどうぞと譲りたくなるのではないですか?


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