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仕事について振り返ってみる

4月末に勤めていた病院を去り、今月は悠々自適の有休消化月間だ。
これまで働いたどの職場も、こんな風に有給休暇を使えたことがないので、何だか悪い事をしている気になる。当たり前の権利なのに。

来月から新しい職場になるのだけれど、病院の看護補助からデイサービスの介護職員兼相談員ということで、これまでとは大きく様変わりすると思う。きっと、これまではやっていなかった事をやることになるし、逆もあるだろう。
病院、特に病棟での主体は看護師。私はその看護師の下につく看護補助だった。介護福祉士を取っても、特に大きく職務が変わることもなく、退院支援の輪の中には入れてもらえない。これは病院によると思うけれど。

院内での自分の地位の低さ、これはもうある程度覚悟していたことなので、看護師から顎で使われてもそこに腹を立てる事はそんなになかった。3年、4年と勤務年数が長くなるたび、そういった事もなくなっていった。だからといって、患者さんに関しての発言力なんてものはほぼゼロのまま。散らかっている詰所を片付けたり、ペーパータオルの補充をしたり。身体介助以外の業務はこういった事ばかりだった。
これが不満という訳ではなかった。誰かがやらなければならないし、そもそも身体介助の場面が多過ぎたので、私も結局は、こういった事を後輩に任せてしまうことが多かったのだ。

特定の看護師に辛く当たられたり、後輩が育てられなかったり、この数年色んな事があったが、途中『絶対辞めたるわい』と思いながらも続けてこれたのは、目的があったからに他ならない。
私がこの仕事をしていたのは、あくまでも広い場所で多様な人々に触れておきたかったからという理由だ。介護職というだけなら、それこそ施設の方がより密な仕事が出来ていただろう。しかし、私はどうしても、老若男女、色んな人に関わっておきたかったのだ。

社会福祉士になって、じゃあどういう仕事がしたいんですか?と聞かれたら、私は未だに明確に話す自信がない。
そもそものきっかけが、自分の子供時代の仄暗い体験であって、福祉の仕事を志した想いの根っこになるのは『幼い自分を救いたい』をいう気持ちだ。こういうきっかけが不純なら、別にそれでも構わない。医療や福祉に携わる全ての人が、慈愛に満ちて豊かに暮らしているのではないと、もう痛い位に分かっている。だから、私も自分の動機が恥じるものではないと、ようやく迷い無く言えるまでになった。
もともとは女性や子供に密接に関わる仕事にいずれ就けたらと思っていたが、今は高齢者分野に足を突っ込んでいる。病院にいる時も、似たようなものだった。何せ私のいた病棟は高齢者が7割強、後の3割でも若くて50代。それ以下の年代の人はほとんどいなかった。
そんな中で仕事をしていく内に、女性や子供を守りたいという気持ちはそのままに、高齢者を取り巻く環境を整備していきたいなとも思うようになったのだ。

私自身が、かつて祖母を家族で看ていた経験がある。だから、高齢者の家族の気持ちは少なからず分かるつもりだ。
大変なのは、本人もそうだし家族もそう。経済状況は各家庭違うし、どこに住居があるかによっても、介護のしやすさというのは変わってくる。
私の立場では決して、担当者会議やカンファレンスに立ち会うことは出来なかったけれど、カルテで見るだけ、看護師さんの話を聞きかじるだけでも、人を取り巻く環境の大切さがよく分かった。
人が環境を作るし、環境が人を作る。どちらか一方に偏ることはない。
それは自分の場合も例外ではなく、だったら自分がその一助を担う人材になれたらいいな。そんな風に思うのだ。

私には、高尚な志も、豊富な知識も、周囲に即座に対応する柔軟性もないけれど。そういう人間が、そういう人間だからこそ理解できることもきっとある。そう思わなければやってられない、というのが本音だ。
恥ずかしい話、私はもっと小難しい事を考えて、それを文章に起こせるタイプだと思っていた。どうやらそうではないらしい。
泥臭くても、拙くても、これが今の私のレベル。

これが今後、どう変わっていくのか。それを楽しみに、新しい仕事に臨みたい。

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