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私はアダルトチルドレン

つい先日、また家族からお金のことで助けて欲しいと連絡がきた。

私は今年早々貯金を取られ、借金をして強引に実家を飛び出しているので、もちろん都合できる金などない。

この期に及んで不出来な弟を守ろうとする母の声を遮り電話を切った後、激しい怒りが鎮まるのを待った。

出勤前、小窓から差し込む朝の光がフローリングを照らすのをじっと見ていた。
今日は仕事にならないな、と思いながらも出勤して、集中できない頭をむりやり回転させて書類を作る。

この日は1人出勤で同僚はいなかった。
だから余計に家族の事を考えてしまい、イライラが募るばかり。

どうしてこんなに私は怒っているんだろう。
それは、昼休みに叔父に送ったLINEが教えてくれた。

「私の事はずっと蔑ろにしてきたくせに弟はいつまで経っても庇おうとする。私は都合の良いATMじゃない」

私は子供の頃から年の離れた弟妹よりも母から離れた所にいて、甘え方も知らず、感情のぶつけ方も知らないまま大人になってしまった。

義父からの性虐待を告白した時も、上司からのハラスメントで心身が壊れた時も、母は「お母さんだってしんどい」「お母さんもきつい時あるよ」と全部自分の話にすり替えてきた。

これは体調不良などのささいな事柄でも同じことで、考えてみれば母は私に向き合ってくれたことがほとんどない。

「私は長女だから」
「私よりも弟妹に手がかかるから」
「母子家庭で余裕がないから」

母が私の想いを受け止めない理由付けを、何度もしてきた。
それは記憶がおぼろげな子供の頃からずっと。

こうでもしなければ、私が甘えられない正当な理由を作れなかった。
母から逃げられている、その事実を認めるために必要なことだったのだ。

結果、私は誰にも頼れない、甘え方が分からないまま大人になった。
母はそんな私を手のかからない、何かあってもどうにかしてくれる長女と信じ込んだ。

なんてことだろう。

今ならはっきり言える。
私はもうずっと昔から、親からの愛情に飢えていたのだ。

いや、きっと母の愛し方は私にはわからなくて、私自身も愛され方が分からなかった。弟妹のようにありのままぶつかっていたなら、きっと何かが違っていただろう。

ただ私は、母が寝る時間を削って子育てしている姿を誰よりも知っていて、これ以上母に何かを求めるのは度が過ぎる、自分は一人で平気な人間なのだからもう何も求めるまいと思いながら子供時代を終えてしまった。

私だって辛い。
弟妹だけじゃない、私だってやりたいことがあった。
長女だからって、全部を飲み込めるわけじゃない。

悲しむことを認めて欲しい。
辛さに寄り添って欲しい。
怒りをまき散らすのを許して欲しい。

私の中にはこんなにも多くの「欲しい」があった。

けれどそれを認めてしまうと、自分がひどく弱い人間に成り下がる気がして、ずっと認めたくなくて蓋をしていた。

数十年抑え込んでいたものが、急に飛び出し、私はそれを拒むことなく「そうだ、そうだったんだな」と飲み込んだ。

これまで自分がアダルトチルドレンに属するんだろうなとぼんやり思いながらも、どこかで「親の愛に飢えてるわけじゃない。私には必要なかった」とも思っていた。

恐らく、今の私にはもう母からの慈しみや受容はそこまで必要ない。自分でやり過ごす方が何倍も楽になった。

だからこそ、今になってこうして受け入れることができたのだと思う。

子供の頃の自分にはもう何もしてやれない。
でもやっと「私はもっと甘えたかったし守られたかったんだ」と認められた。

数十年来の重苦しさが、やっと1つ消えたんだ。
愛情を求めていたと素直に認めるのに長い時間がかかってしまったけれど、ようやくここまで来たんだ。

今日は休日。
この日当たりの悪い、けれども私が自由にいられる部屋で過ごそう。

やりたい事がたくさんあるんだ。

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