「元プロアカペラー」を作った人たち ~岩城の場合~ 第4話 「Hearty-voxその1」
アカペラから始まる卒業式を経て、高校に進学。
アカペラを続けたい、というか、本格的に活動を開始したかった僕は、歌に興味のありそうな者を探す。
が、そう都合よく見付からない。
そりゃ、「アカペラで高みを目指したい」なんて人間、
ある程度アカペラそのものが認知された現在の日本でも、そう見つかりはしないだろう。
さらに僕は人見知りなのである。
この時の自分が「発達障害」というものを理解し、自分がそれに当てはまると知っていたら、また違った道を歩んでいたのかもしれない。
しかし自分の衝動性が上手く働いたと言えばその通りなので、なんというか、人生とはそんな感じなのだなあ、とも思う。
校内でのメンバー集めを諦めた僕は、活動の場を外に求める。
当時、SNSはそこまで普及していない。
ホームページ、掲示板(BBS)全盛期。
今もあるのだろうけど、バンドメンバー募集のBBSというのが、あちこちの音楽系ホームページに存在した。
アカペラに特化したサイトからそうでないものまで、自宅のPCからアクセス出来たものには片っ端から書き込んだ。
3rdコーラス希望!(ベースも出来なくはないです)
当時の僕は、ベースなんてやりたくない!と思っていた。
少しでもメインボーカルの機会が欲しかったためである。
男性コーラス募集!と書かれたものにも片っ端から連絡をした。
年齢や経験を理由に断られたものもあったが、幾つかのグループに実際に会いに行った。
そして、会いに行ってはお断りする、を繰り返していた。
お断りを繰り返した理由
1. 他のメンバーのレベルに満足出来ない(生意気だなあ)
2.ベースやらない?と言われる。
単純に今も続く「ベース人材不足問題」によるもの。
あと中学時代の経験か天賦の才か、当時からそこそこ僕のベースは光ってたんだとも思う。
3.混声にやっぱり気が進まなかった。
当時の僕のアイドルはゴスペラーズだった。
男声コーラス特有の力強さに憧れを感じ、自分もそんな演奏をしたい、そうありたいと思っていたのだ。
今なら多方面から怒られそうな価値観でもあるが、ことコーラスグループにおいてここの価値観は結構重要だと今でも思っている。
そうこうするうちに時は流れる。とはいえ1ヶ月足らず。
2004年5月。メールが届いた。
男声グループ、バリトン音域募集中。
メンバーは全員高校2年生。中学時代からライブ経験のある集団。
願ってもない条件だった。
すぐに返信し、次の練習に参加させてもらうことに。
5月中旬の渋谷、ジメジメと暑い日だった。
1つ年上の4人と初めての顔合わせ。一応野球部出身の僕はガチガチに緊張していた。
演奏する曲は、敬愛するゴスペラーズのデビュー曲「Promise」。
事前に言い渡され、音取りを済ませ、自分なりの万全で臨んだ。
初めての経験者たちとの音合わせは、割と苦い経験となった。
音程の取り方、音量や音質のバランス。
当時の僕が知らなかった概念を次々指摘される。
言われたことを必死に理解しようとするものの、追い付かない。
多分ちょっと泣きそうな顔をしてたと思う。
練習も終わりに差しかかる頃、意気消沈の僕を置き去りにメンバーが会話を始める。
「ってか普通に練習してもらってるけど、加入ってことでいいの?」
「あーそっか一応今日そういう話か。俺は入ってほしいけどみんなどう?」
「あ、もう入るって話じゃないの?」
「むしろ助かる」
「…ってことで、どうすか?加入していただけますか?」
4人がこちらを見る。
「…よろしくお願いします」
後のHearty-vox誕生の瞬間である。
「正直ダメだと思ってました…めっちゃ緊張するし言われたこと全然できないし…」
「いや全然wなんなら今日は普段やらないような難しいことやってたからw」
「いや俺も「なんで今日こんなことやんの?」って思いながらやってたよw」
マジでなんでやねんと思いながら、僕のアカペラ人生はいよいよ本気でスタートする。
大きな夢と希望が、ほんの少し、現実味を帯び始めた。
ちなみに。
今もInMasterPieceで共に奏でている吉谷アキラ。
10代後半の多くの時間を共有し、現在は裏方として多くのアカペラ作品に携わっている盟友、細井涼介。
両名との出会いはこの時である。
もうすぐ彼らと出会って丸20年が経とうとしている。
僕の吉谷アキラへの絶対的信頼はこの時から始まっているし、
僕のアカペラ観や楽曲制作に対するアプローチは、涼介との会話の中から得たものが今も礎になっている。
いわゆる「大事な時期」を彼らと過ごしたことが、
その後の僕の20年をほぼ決定付けた、と言っても、全く過言ではない。
それが幸であったか不幸であったか。
それはまだわからないのである。
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