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【小説】君の名は④

 "Where are you from?"
 "Japan."
 "Really!?"

 彼はその冴えない顔を上げた。近くで見るとますます情け無い顔立ちである。
 「ここ、空いてますか?」
 「他にも席はありますけど?」
 訝しげな眼差し。まだ私に気づいていないみたいだ。テレビや新聞でしか見たことのない人間が、いきなり自分の目の前に現れるなんて想像もつかないのだろう。
 「ええと、ちょっとお話がしたくて…ダメですか?」
 「いえ、まあどうせ暇ですし」
 「ありがとうございます」
 いつになったら気づくだろう。そろそろびっくりして、握手やサインを求めてきたり、写真をお願いしてもいいころなのに。少し腹が立ったので、からかってみることにした。
 「私、いま留学中で、ちょっとホームシックというか、日本語で会話をしたいと思っていたんです。それで、失礼とは思いましたが、話しかけてしまいました」
 東京の音大を主席で卒業した後、教授の推薦で留学して、この街の音楽院で勉強しているということにした。実際は日本のわけのわからない音大なんかで勉強したことはなくて、ずっとパリにいたんだけど。
 「でも、こっちでは全然で。言葉も上手く話せないし、もともと引っ込み思案な方だし、美人でもないし。ピアノさえできればなんとかなると思っていたのに…」
 我ながらおかしくて笑いを堪えるのに必死だった。それがかえって相手には辛さを堪えているように見えたのだろう。彼は真剣な表情で頷いている。
 「先生からも『なんであなたはピアノを弾いているんですか?それがあなたの演奏からは分かりません』と言われてしまって…」
 たしかにこのセリフ、ある教授に言われたことがあるのは事実だが、私は「分かりませんか?じゃあ、先生の耳が悪いんだと思います」と反論したのだった。

 それから私はさらに「自身のアイデンティティの確立に悩む留学生」を演じた。結局彼は私に気づかないのか、あるいはそもそも知らないのか、私の芝居に付き合っていた。
 彼は日本の証券会社で働いていて、ようやく長い休みが取れたから、念願のヨーロッパ旅行に来たのだそうだ。なぜ証券会社なんてつまらなそうなところに勤めているのかはわからないが、あまり仕事の話はしたがらないようだった。
 その代わり、この街の教会とか美術館とかがいかに素晴らしいかを話してくれた。そう言えば、この街に来てもいつも空港とホテルとホールの往復しかしていないな。別に興味ないし。なんでこの人はこんなに嬉しそうなんだろう。
 「じゃあ、その教会に連れて行ってくれませんか?」
 私は思わずこんなことを口走ってしまった。彼は驚いている。当たり前だ、その冴えない面構えでこの私とデートできるんだから。

 石畳の街を歩き、教会を見て回った。ブリューゲルの絵に出て来そうな汚い酒場にも行って、ビールを飲んだ。いまだにこんな場所があるとは驚きだった。誰も私のことなんか気にもとめず、ジョッキを傾け、ソーセージを頬張っている。

 夜にはオペラに行った。ファッションセンスもないのに一生懸命に着飾る人、たいしたことのない内容でも私は芸術に理解があるんですよと言わんばかりに喝采する人、安いシャンパーニュの紛い物みたいな泡で満足する人。
 シェークスピアのある劇の中に「この世はすべて芝居」という有名な台詞がある。案外、そうかもしれない。そう悟ったとき、なぜか私は猛烈にピアノを弾きたくなった。

 私は部屋に戻るとピアノを弾いた。あれこれ夢中で弾いた。鍵盤に思いを叩きつけた。部屋に置いてあるレミーマルタンを煽りながらだったので、指が縺れた。それでも構わず疾走する。ショパン、リスト、モーツァルト、ベートーヴェン、ドビュッシー。弾き慣れているはずの曲はどれも空虚に感じられた。私はこの世界を把握していないし、世界も私を把握していない。私が演奏してはいないのと同じように、彼らも私を聴いてはいない。
 私はふと、さっき観たオペラの一節を口ずさんだ。「ばらの騎士」である。ピアノで伴奏をつけ、オクタヴィアンのパートを歌う。彼と同じように、私も恐れを知らなかったし、失うものはなにもなかった。ピアノが私の声帯の代わりに歌い始めた。この黒い楽器を指と腕で支配するのではなく、私の身体の一部として感じた。外側にあるものと交りあい、お互いにお互いを同一とみなすこと。これが愛だと理解した。

 そして、これこそが私の音楽であると理解した。音楽こそが私の生きる道だと理解した。

 私は翌日以降のリサイタルをすべてキャンセルした。マネージャーは狼狽し、興行主は契約違反だと怒り、スポンサーは違約金を求め、マスコミが騒いだ。
 私は南フランスの田舎へ引っ越し、ベヒシュタインと暮らした。たまに満足の行く出来になると、録音技師を呼んで記録してもらった。最初の数枚はそれなりに売れたようだが、今は誰も買わないようだ。それどころか、私の名前すら人々の記憶にあるのか怪しい。

 ヴェネツィアで日本人の水死体が発見されたという記事を読んだ。私は名も知らぬ彼への弔いに、舟歌を弾いた。

(完)


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