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noteという幸せの箱

日本の「子どもの幸福度」は38か国中20位。
精神的な幸福度は37位。
この精神的な幸福度は、生活満足度や若者の自殺率から算出されたもの。

報じられたばかりの、そんなニュースを思い出していました。
上記のレポート含め、ラジオのニュースや各媒体が出すネットニュースをながら聴き・流し見した程度で、しっかりと結果を見られてはいません。
ただ、比較するほかの地域の状況もよく知らないながら、なんとなく日本の精神的な幸福度というものに納得できるような気がしています。

いま『note CREATOR FESTIVAL』、#noteフェスが開催中ですね。
各セッションを視聴できていないのですが、「noteフェス前半戦を岸田奈美さんと振り返る中間セッション」を観ました。
この中間セッション自体も自分にとってものすごく有意義でした。「下調べと自分のスタンス」の話とか、「感情の輪」の話とか、これ必見だろ真似しようっていう。そして、岸田さんと徳力さんの話を聴いて、各セッション視聴したいなと。

その中間セッションの中で最後に引っかかったのが、岸田さんが言われた
「noteにはネガティブな感じが無い。それがnoteだからなのか、どういう理由でかは分からないけど・・・・・・。他のところで同じ事を書くと、思いもしない方面から炎上することがある。」
という言葉でした。(正確に捉えられていなかったらすみません。聴いたニュアンスで記載しています)

あぁ・・・・・・。自分がnoteに登録した理由は忘れてしまったのだけれど。
というか、理由も無く直感的にとか、注目すべきサービスだからとかで登録したのかもしれないけど。
ネガティブな感じが無いというのは、自然と腹落ちする言葉だったな。

自分の書くものは、まだまだ誰にでも見てもらえるようなものじゃなくて。
もちろん書く題材を選んだり、言葉を選んだり。ちょっと気分が下がったそのままを書くこともあるけれど、他のものや人が嫌な気持ちにならないようには気をつけているつもりです。

(数え切れないほどの量の中から自分の見える限りの)他の人のコンテンツを見てみても、やっぱり嫌な気持ちになるようなものは無くて。皆が「コンテンツ」として作り上げる意識の話なのか。見て自分の参考にしよう・楽しもう・癒やされようという周りの人たちの空気の話なのか。やっぱり分からないけれど、そういうコンテンツの詰まった箱がnoteなのだと、すっと共感したんですよね。

で、最初の話に戻るんですが。
子どもたちにnoteを使ってもらうって、いいことなのかもしれないなと。「コンテンツ」と聞くと、大層な・意味のある・充実したものにしなければならないという感じを受けてしまうけれど。メモ程度に自分の思ったことを書くくらいからで良いと思います。
どうしても「スキ」やコメントがないと・・・・・・となってしまいそうだけど、過度に期待はしない(これは岸田さんが言ってました)。そのくらいの気持ちで「スキ」がつくと、やっぱり嬉しい。そこから試行錯誤・挑戦をどんどんしていけばいい。

「精神的な幸福度が低いから、noteをするといいよ」と単純に直結させるわけではないけれど。何をしたらいいか分からないようなその思いを、溜め込むだけではなくて。分からないなりに出してみる。思ったなりのことを表にしてみる。周りから反応が来ることもあるし、周りを見るようにもなるし。そういう場にnoteはすごくいい場所だなと、純粋に思っています。

得られるものはあるし、発信もしやすい。もちろん高みを目指すには努力が必要だけれど、抵抗やネガティブさを感じにくい。
今ですら数多くの人がいるnoteだけど、ここで発信をすることが日々を少しずつ前進させてくれる。それを感じられる子どもたちがたくさんいる。
noteがそういう場にもっとなっていくといいと思うし、そんな子どもたちが増えるといい。
漠然と、ニュースを見て、noteフェスを見て、そう思いました。

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