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心が技術となり、理由がデザインとなる

例えば、ゴミ箱が満タンになりかけている時、たまたま次の日がゴミ収集日であることが分かっていた場合は、括ってそのまま出せる状態にしておくのがゴミを出す人への心配りです。
収集日を知らなかった場合でも確認すれば良いのです。

自分の次の作業が細かいゴミが出る作業で、まだ括るには勿体ない、とか、週2ある収集日において、あえて次でまとめて出した方が楽であるとか、きっちりと理由があればそのままで良いと思います。

私たちが作っているものは、使う人があってこそのものです。
自分が作りたいから、作る作業が好きだから、自分のデザイン力をアピールしたいから作っているのでは決してないということ。

例えば構造の中、外側には決して見えてこない部分、ここにカシメを打つと万が一縫い目がほつれてきてもバッグの機能自体は失われない、というのが技術です。
当然負荷がかかる部分は二重三重に補強縫いするので簡単にはほつれません。

最後のファスナーを取り付ける作業、両側で少しでもズレていると最終的にバッグがわずかに歪んで完成します。
デザインとしてもダメですが、そもそも歪んだ構造物は力を正しく受けきれないので多分長持ちしません。
見た目でほとんど分からなくても、使用するお客様のことを考えるとやはりダメだと思います。
清く正しく取り付ける技術。

技術の源泉は心配りや優しさだと思います。

デザインにおいても理由がないものは落書きに近い意味のないものだろうと思います。

WAKKOの留め具の大きな木製リングは、元々小さい子供向けに作った商品であり、1歳の子供でもカブセを開閉できるようにと大きくて肌触りが良く軽い木リングを使ったというのが始まりです。
ただなんとなく○を使用したということではありません。

アートとはまた違った話かなと思います。

良きものとは、その見えてこない水面下に心と理由がびっちりと詰まっているのでしょう。

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