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女子校時代、私たちは女性ではなく唯一人の人間だった

3月8日は「ミモザの日」「国際女性デー」。日本でも取り上げられる様になったのは最近なのではないかと思う。

#みんなの卒業式 というお題で書こうかと振り返っていたら、卒業式は「区切りをつける」という機能を果たしていたのだと改めて思った。過ごしてきた期間(period)に、まさにピリオドを打つ日。

小中高大とかなり変わった卒業式を経験してきて、卒業自体に思い入れは無いが、卒業式には想い出がある。

ここが終わりで始まりなのだと思わされる日があるのは面倒だけど有難いことで、だからこそ一連の騒動で取り止めになった各地の卒業式、出席予定だった卒業生のことを慮ると、仕方ないとしても苦しい気持ちになる。代替案や、何かしら集う場があれば、出来ることがあればと願ってしまう。

私の中で一番印象に残るのは、女子校だった高校の卒業式。

受験を2/25に終え3/1が卒業式だった。受験勉強と並行で書いた答辞が頑張るモチベーションになった。何故か「そう書くことを求められている」気がして、私たちは女性として社会に出るのだと強く宣言したものの(社会に出れば女だからと蔑まれるであろう空気を感じていたのだと思う)、当時の私たちは他者との違いを認め合い「みんなちがってみんないい」を体現していた。他人に興味のないドライな人間が多かったせいかもしれないけど(笑)ガリ勉とオタクとギャルと運動部と文化部が適度な距離感で共存できる社会だった。頭が良くてもスポーツができても、部長や生徒会長になっても、重いものを持っても、二次元に走って彼氏が居なくても(笑)どんなことも自分達でこなしていく空間に性差を感じる暇は無かったのだ。

あの頃、私たちは女性ではなく、唯(ただ)一人の人間として生きていた。

女とはこういう生き物なのだという世間の当てはめに出会うのは大学に入ってからだった。重いものを持つのは男子。別教室にも食堂にもトイレにも一緒に行く。男子の目を気にしたファッション。嗚呼、私たちは何と穢れなく尊厳をもって育ったのだろうと切に感じた。(なお男子校と同レベルかそれ以上?の下ネタ連発、ロッカーやトイレの汚さ等々は、穢れとはまた別の話である。寒い地方の家には基本出ることのない黒い虫が、校内には出た。設備が古いとはいえ、である。笑)

自由には責任が伴うことを、校訓を通して高校生のうちに教えてもらったのは貴重な学びだった。歴史ある文武両道の女子校としてのプライドを在校生が培い、後輩へ伝えていく。校則もほぼなく、怒られることも明言されることも多くあった訳ではないが、私たちは私たちのままで良いのだと誇りと自信を持たせてもらったことが、その後の人生に強く影響していると思っている。

最後に、卒業式で歌った、いきものがかりの「YELL」の歌詞を引用して筆を置きたい。殆ど練習もしていないのに素晴らしいハモリで観覧の父兄を泣かせまくったエピソードは、「流石、土壇場に強い私たちだよね」と今でも笑い話にしている。

永遠など無いと 気づいた時から
笑い合ったあの日も 歌い合ったあの日も
強く 深く 胸に 刻まれていく
だからこそあなたは だからこそ僕らは
他の誰でもない 誰にも負けない
声を 挙げて “わたし”を 生きていくよと
約束したんだ ひとり ひとつ 道を 選んだ

サヨナラは悲しい言葉じゃない
それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
いつかまためぐり逢うそのときまで
忘れはしない誇りよ 友よ 空へ

僕らが分かち合う言葉がある
こころからこころへ 言葉を繋ぐ YELL
ともに過ごした日々を胸に抱いて
飛び立つよ 独りで 未来(つぎ)の 空へ

卒業を迎えられる皆様へ

不安と希望が入り混じった気持ちを感じているかもしれません。辛いこともあるでしょう。でも、それ以上に、想像もし得ない楽しいことが沢山待っていると思います。それに気付けるか、出会えるかは自分次第です。貴方が居る場所は貴方が選んだのだから。

…自分がどんなことを当時の答辞で述べたのか忘れてしまったけど、自分の不安を少しでも消したくて、希望に溢れる言葉を使ったような覚えがあります。自分に言い聞かせる様に綴った言霊。

改めて、ご卒業おめでとうございます。新たな門出を心よりお祝い致します。

#みんなの卒業式

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